硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

万国博覧会。

2018-11-26 18:22:31 | 日記
大阪万博が来る。1970年の万博をテレビで何度か見たけれど、印象深く残っているのは、これからやってくるであろう未来を見せていたことだった。

また、戦後という感覚が消え去らぬ、高度成長期に見せた未来は、人々が豊かになり、希望に満ち溢れていたように感じた。

今日のテレビニュースで、大阪府の知事さんが「50年先を見せたい」と意気込んでいたけれど、テレビは一人につき一台、pcかスマートフォンがあればテレビはいらないという世代に、どのような未来を見せられるのであろうか。

「攻殻機動隊」や「ブレードランナー2045」や「ウエストワールド」という作品が、既に来るかもしれないと思わせる未来を見せているけれど、その世界が来るとするならば、人という概念は、オリジナルとフェイク、頭脳とAI、に別れ、その存在はどのような形で共存するのであろうか。
レイ・カールワイツさんが言うように、ホモ・サピエンスは技術的特異点に達するのであろうか、それともノム・チョムスキーさん言うように「人間の話になるとシンギュラリティなどと称して、非理性的になってしまう」だけであろうか。

ただ、言えるのは、どんなに科学が進もうと『人は肉体を有する存在』であり、その肉体そのものが持つ維持機能が限界に達した時、その肉体から離れなければならない。
それを、「死」というのかもしれないが、もし、その死が意味をなさないものになってしまったら、それが人類が獲得した未来だとするならば、それが、人類の至福になるというのであろうか。

未来は誰にもわからない。ただ、地球上の誰しもがハッピーな未来というのは誰も描けないと思う。