硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

上京雑記。

2018-11-09 16:32:07 | 日記
緩やかな斜面の上に水平に保たれ、南向きの大きなガラス窓が印象的、近代的で、その中には白いベランダという二重構造になった、凝った建物である。椿の花が咲く公園前に先生の半身像があり、その下に則天去私の言葉。にやにやしながら写メに収め、記念館に向かう。
真新しい記念館に入ると、警備員さんが丁寧にあいさつをしてくれたので、軽く会釈をして奥へ進むと、モニターがあり、先生の生い立ちや交流などが映像に纏められていて、その前に設置してあるソファに座り、休憩がてらじっくりと拝見。とても上手く構成されていて、蓄積された情報の記憶と映像がリンクしてゆくのでたいへん楽しめた。
そして、すべて見終わったのちに、入場料を払い、いよいよ漱石山房へ。

熊本の内坪井旧居も観に行き、明治村に移設された千駄木町の家も観て、そしてついに早稲田の家に来た。聖地巡礼のクライマックスである。

多量の書籍が山積みになっている漱石山房再現展示室は、夏目先生を始め、寺田先生や東洋城さん、小宮さん等、多くの学者さんや文学者さん達の当時の息遣いを感じられるようである。しかし、日清、日露戦争で勝利した独立国家日本を冷静な目で見定めて、「滅びるね」と作中で言わした先生の胸中を察すると少し心にさざ波が立った。
テラスを回り2階に上がると、様々な所蔵資料を観ることが出来た。愛用の万年筆で書かれた直筆の原稿の文字は出力に追い付かないことを物語っていた。また、漱石山脈と呼ばれる、先生と友人、門下生の皆さんの写真があり、文字でしか知ることのない人達の写真を見ることが出来て感動。満州鉄道の総裁、中村是公さんはもっと大柄な人かと想像していたので、こんな人だったのかぁと感心。そして大塚楠緒子さん。

とてもきれいな人である。

楠緒子さんが亡くなられた時に先生が詠んだ句「あるほどの 菊投げいれよ 棺の中」は、とても印象的で情緒的でもあり、楠緒子さんの姿を見て、このような句が詠まれたのも、必然であったのではないかと思った。

展示資料室を堪能し、一階におりるとグッツを吟味する。魅力的なグッツが沢山あるが、無駄遣いはいけないと、吟味に吟味を重ね、一番実用的なノートを購入。その流れで、となりのcafé soseki でレモネードを所望し、カウンターで一息入れた。

エネルギーをチャージし、再び公園へ行き、ぼろぼろになった猫の墓を観察する。どうやら空襲で壊れ、そのがれきから再構築したものであるから、傷んでいるのだと初めて知った。
前の道にはバットやグローブを持った野球少年が元気よく坂を下り、公園裏に隣接する家々には、日当たりの良いテラスで干された洗濯物が揺れていた。こんな閑静な住宅地にある山房も、戦争の惨禍に巻き込まれていたことには想像が及ばなかったが、平和を無条件に享受できている現代のささやかな幸福を少し喜んだ。

散策を終えると、次の目的地へと移動する為、スマホに情報を入力すると、徒歩15分圏内に地下鉄の駅があり、そこに向かえという。記念館を過ぎ、坂を上りきると再び下り坂。早稲田小学校の前を通り過ぎると、再び上り坂。何とも起伏の多い土地である。まよわず、どんどん細い道を進むと、ナビ通り早稲田通りに出て、道の向かいに地下鉄への入り口が見えた。東京メトロ東西線である。信号待ちをしてる間に、八百屋さんの前に陳列してある野菜を観る。僕の住む町では、大型スーパーの進出を機に、個人の八百屋さんは店を閉めてしまった。元八百屋さんのおじさんに話を聞いた事があるが、大型スーパーが出来たとたん、商売が成り立たなくなったと言っていたが、逆に都心では、個人の八百屋さんが、まだ地域を食を支えることが出来ているの事が不思議であったが、よく考えてみれば、住宅街の近くに広く後代に空いた土地がない都心であったが故に、この形が残っているのであろうと思った。

横断歩道を渡り、地下に潜り、九段下駅を目指し地下鉄に乗ると、おやっと思った。車内の広告や駅の広告に漫画、アニメ系が多く、なぜなのだろうとよくよく考えたら、たくさんの学生さんが利用するからだと気づいた。

消費対象に合わせて表示する広告を変えるというのも、業績を上げるという観点から考えると当たり前と言えば当たり前であるが、地方の単線で、このような傾向はあまり見られない光景であるから、僕にとってはたいへん面白い事象なのである。

地下鉄は快適に走る。神楽坂の案内が流れると、思わず口ずさんだのは「あなたのリードで、島田も揺れる」で始まる、神楽坂ハン子さんの「芸者ワルツ」である。芸者さんが、お客さんを好きになってしまうが、芸者である為に、一緒になれないという、時代を感じさせる切ないラブソングである。しかし、そんな古い歌を「神楽坂」というキーワードで反射的に歌ってしまうのだから、職業病といえなくもない。
そして九段下の案内が流れると頭に浮かんだのは爆スラの「大きな玉ねぎの下で」である。
カラオケで良く歌ったので、瞬時にメロディが流れてきて、鼻歌を歌っていたら、ドアが開いた瞬間、そのメロディが構内に流れていた。やはり、名曲なんだなぁと感慨深く思った。
改札を抜け、いくつかの階段を上がり、地上へ向かい、次に目指すのは、神田。

神保町で行われている「古本祭り」である。