硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

上京雑記。

2018-11-12 21:37:01 | 日記
人であふれかえる歩道を歩いてゆく。昨日の夜は恐怖を感じたが、今日は上手く人を交わしながら、ぶつかることなく歩けている。お昼も過ぎて、そろそろご飯を食べようかと考えるが、飲食店が衝撃的に多いのに、それなのにほぼ満席である。しかも列をなしているお店もある。書店が密集していて、しかも専門書ばかりを取り扱ってるのに、経営が成り立っていることと同じくらい不思議である。この消費力が、この街を支えているんだなぁと感慨深く思いながら、御茶ノ水駅を目指いしていると、ギターメーカー「ギブソン」の専門店が見え、衝撃を受けた。「ギブソンの専門店!! 」と思わず漏らしてしまった。僕も少しばかりギターをかじっていたので、(今は物置でエピフォンが泣いているのです)その凄さは理解できる。僕の街でイオンが出来た時、島村楽器が入っただけでも、嬉しかったのに、東京では専門店で成り立つ。しかもビルで!
外からちらちら眺めてみる。が、さすがに敷居が高い。店員さんに呼び止められて、「よかったら手に取って引いてみてください」と言われ時の事を想うと怖い。

確かに、地下鉄に乗っているときも、ギターケースを背負う学生さんの姿をちらほら見たけれど、ギブソンの専門店が成り立つなんてと驚く。でも、よく考えてみたら、Bzの松本さんもギブソンであったし、ミュージシャンという職業で飯を食う人を筆頭に、そこを目指す人たちがいっぱいいるのだから、当たり前なのかもしれない。

そんなことをいろいろ考えながら坂を上ってゆくと、ビル群の多くが大学である事に気が付いた。なるほど、だから、ありとあらゆる文化が密集していても成り立っているのかと納得。
右手の道に人が列をなしているのが見え、何の列かなとよく見ると、ESPのギターワークショップという看板を発見。ESPのショップってすごすぎる。(グラスルーツのエレキベース持ってました)驚きを隠せないまま歩いてゆくと、もう、楽器屋さんの連続であることに気づいた。

その前に、「名代 富士そば」の文字を見つけ、ほっとし、外の自販機でチケットを購入。お店の中は、ビジネスマンや男女の学生さんがいて繁盛している。厨房に入っているおばちゃんとおじちゃんがよいコンビで手際メよくニューをさばいてゆく。チケットを渡すと、一番近くの席に座り、美味しい水を飲みながら、出来上がるのを待つ。演歌が静かに流れている。若者が多いのに、不思議と違和感がない。チケットに刻印してある番号が呼ばれお蕎麦を取り、黙々と食す。ここでもやはり、旨いのである。かつ丼も、この値段でこの味は感動的である。

空腹を満たし、店を出ると、しばらく楽器店のショーウィンドウを除きながら歩いてゆくと、地下にベースばかりが置いてあるのが見えたので、これは見ておかなければと、お店に入り、階段を下りてゆくと、そこにはいまだかつて見たこともないベースの数々が並んでいた。
思わずため息。一時期、ユーズドで探していたベースも普通に並んでいて、あるところにはあるんだなと、感心。我を忘れてじっくり見ていると、若い店員さんが「よかったら、手に取って引いてみてください」と声を掛けられ、我に返る。身体に緊張が走る。ぎごちない笑顔を作り「ありがとうございます」と言って、ふわりと店を出る。

先ほど通ったお店では、試し引きをしてる人の姿が見え、それがまた、普通に上手いので、このエリアではかなり上手くないと試し引きなんてできないのではと思ってしまった。

坂を上りきると御茶ノ水駅が見えてきて、さてどうしたものかと考えていると、妻からメールが入り、今どこにいるのかと問うてきた。時間は2時を回っている。今から新幹線に乗れば、6時半には家に戻れる。しかし、なぁ、と思いながらも、御茶ノ水駅にいる事を写真を添付して送信した。
東京駅まで切符を買いホームに降りると、ここもまた工事中であった。狭いスペースでの工事という事で、川の中に足場を組みその上に重機をのせるという、なかなか見られない工事の風景に感心してしまっていると、隣に並んだキャップを深くかぶったモデルさんのような女の子が、両手を駆使して、すごい速さで、LINEを送っていた。後ろを通り過ぎてゆくファミリーの子供たちは笑顔で若いお母さんに甘えていて、お父さんも嬉しそうに微笑んでいた。川向こうには生活している人々の居住地がある。見上げればどこまでも続いているのではないかと思うようなビル群が立ち並んでいる。その先にはどこにいても変わらぬ青い空が見えている。アナウンスと共にびっくりするほど長い列車がホームに入ってきた。扉が開き、程よく空いている車内の座席に座り、流れてゆく風景をぼんやりとみながら、東京という街の魅力について考えた。

僕の住む町のある青年は、東京の大学に行き、「東京は怖い」といって、卒業後すぐに帰ってきた。その話を聞いて、住んでみなければわからない事もあるんだなと、思ったが、やはり、住めば都であり、ハイリスクであるが、趣味に生きることが出来る街でもある。そこにはありとあらゆるものの消費という運動がなければならないが、毎日が祭りのようでもあり、つねに死と隣り合わせになりながら生きねばならないともいえる。億ションに住み、高級外車に乗り颯爽と街を行く人もいれば、着の身着のままでゴミの中から何かを拾い上げ、川沿いや公園で段ボールに包まり日々を暮らす人々も存在している。様々な境遇を抱えている人々を連れて、街はどこまで膨張する気であろうか。そう考えていると、ふと、大友克洋さんの「AKIRA」を思い出した。
たしか2020年に東京オリンピックが来る設定であったなと・・・。

気が付けば終点、東京駅である。やはり、家に帰ろう。職場と、妻と母にお土産を買って行こう。「田舎の学問より京の昼寝」は終了である。東京駅で、頼まれていた崎陽軒のシュウマイを買い、帰路につく。新幹線は2時間弱で名古屋へ。近鉄に乗り換え、地下を出ると、すっかり日は落ちて暗くなっていて、沿線沿いに低く広がる街灯が、淋しい。関西とも関東ともいえない独特の方言の会話が聞こえる。僕の中で、少しづつ身体と心が、田舎モードに変わっていくのを感じた。