知事選と県議選がやってくる。地元に近い所から立候補した議員さんが、近くの公民館にみえ、お話されるというので、聞きに行ってほしいと、母が、自治会の人から頼まれた。しかし母はめんどくさいからと言って、僕が代わりに行くことになった。
僕自身は、政治家の人がどんな話をされるか、とても興味があったので、少し楽しみにしていったのですが、その内容は新聞記事で読んだようなことばかりであった。
少しがっかりしたけれど、漠然と、議員さんになるのもなってからも大変なのだなと、思ったのであるが、職場でのレクリェーション活動で、「ああ上野駅」を皆で謳っていた時、ふと思った。
「ああ上野駅」という歌は、1964年のヒット曲で、東北地方から集団就職で出てきた青年が東京で職を得て、頑張って生きてゆくというお話で、その歌詞の中に、「くじけちゃならない人生が、あの日ここから始まった」や「お店の仕事は辛いけど、胸にゃでっかい夢がある」という詩があります。
それは、敗戦から立ち上がり、高度成長期になり、これから豊かになってゆくのだという、期待感があったから、前向きな詩も生まれ、皆に愛されたのであろうけれども、年号も新しくなろうとしてる現代には、テレビも電話も、自動車も、洗濯機も冷蔵庫もクーラーも、一人一台所有できる個人主義的な世の中になり、平均的な豊かさは多くの人にもたらされてしった。
だから、議員さんが、河川や海岸の護岸工事、道路の整備、若者の流出や、海外の人を受け入れて人口減少に歯止めをかけ、超高齢化社会に備え、看護師や介護士の人員を確保する。というような、大味のお話をされたのも、私達がそこそこに満たされていることが前提にあり、日本経済は今以上に発展しないから、国から多く予算を摂ってきて、地方で消費する事が、地方経済を安定させる唯一の方法であると、考えたからではないかと思った。
自治会の人々も、それを望んでいるから、その議員さんを押しているのであるが、無党派層の人達が選挙に行かない理由の本質は、議員さんに、何を求めればよいのか分からないから、選挙に行く必要もないと思ってしまったのではないかと思った。
僕自身は、政治家の人がどんな話をされるか、とても興味があったので、少し楽しみにしていったのですが、その内容は新聞記事で読んだようなことばかりであった。
少しがっかりしたけれど、漠然と、議員さんになるのもなってからも大変なのだなと、思ったのであるが、職場でのレクリェーション活動で、「ああ上野駅」を皆で謳っていた時、ふと思った。
「ああ上野駅」という歌は、1964年のヒット曲で、東北地方から集団就職で出てきた青年が東京で職を得て、頑張って生きてゆくというお話で、その歌詞の中に、「くじけちゃならない人生が、あの日ここから始まった」や「お店の仕事は辛いけど、胸にゃでっかい夢がある」という詩があります。
それは、敗戦から立ち上がり、高度成長期になり、これから豊かになってゆくのだという、期待感があったから、前向きな詩も生まれ、皆に愛されたのであろうけれども、年号も新しくなろうとしてる現代には、テレビも電話も、自動車も、洗濯機も冷蔵庫もクーラーも、一人一台所有できる個人主義的な世の中になり、平均的な豊かさは多くの人にもたらされてしった。
だから、議員さんが、河川や海岸の護岸工事、道路の整備、若者の流出や、海外の人を受け入れて人口減少に歯止めをかけ、超高齢化社会に備え、看護師や介護士の人員を確保する。というような、大味のお話をされたのも、私達がそこそこに満たされていることが前提にあり、日本経済は今以上に発展しないから、国から多く予算を摂ってきて、地方で消費する事が、地方経済を安定させる唯一の方法であると、考えたからではないかと思った。
自治会の人々も、それを望んでいるから、その議員さんを押しているのであるが、無党派層の人達が選挙に行かない理由の本質は、議員さんに、何を求めればよいのか分からないから、選挙に行く必要もないと思ってしまったのではないかと思った。