硝子戸の外へ。

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異国でのテロから分かる事。 その2

2019-04-23 20:59:19 | 日記
スリランカでのテロが、イスラム過激派によるものではないかという見方が強まっている。
その動機が、ニュージーランドのモスクで起こった銃乱射事件であるという。
イスラムの民がやられたのだから、キリスト教徒にやり返すのは当然であるというような論理らしいのですが、イスラム教もキリスト教も起源をたどってゆくと同じところに行きつくので、上手く呑み込めない。

また、「ナショナル・タウヒート・ジャマーア」と言われる組織は、「統治する権利を持っているのはイスラム教のみで、不信仰者は(異教徒は)イスラム教徒の統治を認め、忠誠を誓う条件下のみで生存が許される」という思想があるそうなので、異教徒は認めないという考え方はわかるのだけれど、もし仮に、彼らのコミニュティーが、イスラム教徒だけになった場合、イスラム教内の宗派、学派間での争いも無くなるという事になると思うのですが、本当に無くなるのでしょうか。

なくならないのだとしたら、人は何に対して信仰しているのか分からなくなります。
そしてそれが、神ではなく、利権争い、覇権争い、という神とは関係ない思想から成り立っているのだとしたら、宗派、学派間での争いは、聖戦ではなくなってしまいます。

神様は、人類に対し、どんな試みをなさっておられるのだろうか。