熱は37.1度まで下がりました。明日は天丼屋さんのバイトに行きます。
ミイのカバンは、夕方になって届きました。おまけに小さなミイのフィギュアがついてきて、とても可愛くて幸せ…。
カバンは今度、雨の日に使おうっと。うれしいな。
昨日の訪問者さんは71人でした。どんなかたがいらしてくださってるんだろう…。私のブログを気に入ってくださってるなら、とてもうれしいです。感謝です。
ご存じないかたもいらっしゃるかと思いますが、私、卯月タラは、このブログと同じタイトルの本を、雲母(きらら)書房さんという版元から出版しています。もう数年前ですが。
日々感じたことを綴ったエッセイになっています。ご興味を持たれたかた、図書館でお借りになるか、書店さんまたは直接、雲母書房さんにご注文くだされば幸いです。
よろしくお願いいたします。
雲母書房さんのご連絡先:03-5331-3343
…今日はちょっと宣伝させていただいちゃいました。
ちなみに、本の帯は、社会評論家の芹沢俊介さんが書いてくださっています。
芹沢さんは本当に鋭い視点と穏やかで優しい性格を併せ持つ、素晴らしいかたで、芹沢さんに帯を書いていただけたことは私の誇りです。
解説を書いてくださった高岡健さんという精神科の先生も、数々の著作を持つ著名なかたで、もう卯月はどうしようっていう感じです。
帯と解説だけでもこの本の価値はある!ってか。
私がもの書きになりたいと思い始めた頃は、まだエッセイという分野が確立されていなくて、小説家のかたの書かれた随想のようなものはありましたが、エッセイだけ書いている、今でいう「エッセイスト」というかたは、まだいなかったか、いらっしゃったとしても一般に知られてはいなかったと思います。
そんな頃出あったのが、『mc Sister』という雑誌(Sが大文字だったかどうかははっきり覚えていません、違ってたらごめんなさい)に連載されていた、吉見佑子さんのエッセイでした。
こういう文章を書く人になりたい、と強く思いました。もう30年以上前のことです。
どうやったら、こういう、いわゆる「随想」のようなものを書くことを生業とできるのか?
周りの大人に聞いてもわかりませんでした。
なんとなく辿り着いた答えは、「小説を書いて、『もの書き』の地位を得てから好きなことを書いていけばいいのかな?」ということでした。
私は何年か、今で言う「ファンタジー」のようなフィクションを書いて過ごし、同人誌もいくつか経験しました。でも、どこかで「これじゃない」と思っていたように思います。
息子が不登校になって、自分の具合が悪くなって、創作どころじゃなくなり、しばらく日記と手紙以外書かなくなっていた私が、不登校の親の会と出あったのは、ある意味「運命」と言えると思います。
そこの世話人さんに勧められるままに書き続けた会報の文章が、私の処女作として後に出版されることになったのですから。
会報に原稿を書けば書くほどに、「私が書きたかったのはこれだったんだ」という気持ちになっていき、どんどん書きたいことが湧いてくるようになりました。
まだまだ「エッセイスト」とは言えないけど、「エッセイストの卵」ぐらいにはなれたでしょうか。
これからも、日々、いろんなことを書いていきたいと思います。
お付き合いよろしくお願いいたします。
ではまたね、おやすみなさい。