今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

今日も仕事の話だ!

2008-07-09 20:07:34 | タラの日記

こんばんは、卯月です。
今日はバイト先で湯呑みを一つ落として割ってしまいました。ぐすん。
でも、失敗にもめげずがんばって働いていたら、お客さん(お年寄りの女性でした)が、「天丼おいしかった。あなたの笑顔もとってもいいわ。元気が出たわ。ありがとう」と言ってくださいました。
うれしくて、自然と「こちらこそありがとうございます。またぜひお越しくださいませ」と口から出て、お互いが鏡のようによりいっそう笑顔になりました。
人と接することが苦手な私ですが、こんなとき、本当は人間が好きなのかもしれないと思います。
あのおばあちゃんがまた食べに来てくれたらうれしいな。

食べることって生きることに直結してる。
おいしいものを食べると、人は幸せな気持ちになる。
「食」を提供する仕事っていいな。人に幸せな気持ちになってもらえるんだもん。
これまでそんなふうに考えたことなかったけど、食べ物屋さんて素敵な仕事だな。

実は私の母は、食堂の娘でした。額に汗して働く、商売人の家の子として育ちました。
一方、父の実家は、戦前、大阪で一番大きいと言われた病院でした。父も当然のように医学部に進みましたが、事情があって医者にはならず、普通のサラリーマンとして人生を送りました。
母は、「額に汗して働く」ことを尊いと思っていましたから、頭脳労働しかできない父や父の実家のことを、どこか下に見ていました。
父は父で、いわゆる「いい家」の出でしたから、肉体労働をどこか見下げているところがありました。

姉は母に似て、学生時代から今まで、肉体労働しかしたことない人で、一方私はこれまでデスクワークしかしたことない人でした。
机にかじりついているしか能がないと、母はどこかで私のことをやっぱり下に見ていたと思います。
きっと今頃、「天丼屋の仕事が続いているなんて、あの子も実は私の血を引いていたのかしらねえ」とか思ってるんじゃないかな。

職に貴賎の区別はありません。
そんなこと習わなくてもわかりきってることだよね。
でも、私は自分が天丼屋さんの仕事に喜びを見出すまでは、父と同じに、どこかで肉体労働を見下げていたかもしれないと思います。

この仕事についてよかった。人に喜びや幸せを提供できる(って言っちゃうとおごりかもしれないけど)幸せを経験することができて、人生の幅が少し広がった気がするよ。
きっと私の知らない喜びが、人生にはまだまだいっぱいあるんだろうな。
いつもと違う道を通ってみると、思いもよらないことが起きるね。
「私にはこれは無理」「向いてない」と決め付けないでいこう。
そんなふうに思う今日この頃です。

今日も仕事の話だったね。
明日は薬局だ。がんばるぞ。
明日がいい日になりますように。
ではまたね。お元気でね。

p.s.今日は頭痛がひどかったのとすごく疲れていたのとで、掃除をほとんど全部、ヘルパーさんにしていただいてしまいました。
晩ご飯は宅配カレーを取ります。カニクリームコロッケののってるやつにしてみよう。おいしいといいな。

コメント (3)
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