今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

大人になるということ。

2008-08-13 14:51:30 | タラの日記

このあいだのカウンセリングで、どうした流れからか忘れちゃったけど、久しぶりにその名前を口にしたのです。
吉見佑子さん。
私が「こういう文章を書く人になりたい」と初めて強く願った、そのお手本になった人なんだよ、という話をしました。

吉見さんの本は、もう処分してしまって家にはないと思っていました。私は、本というものに執着がなく、たまってゆくそれらに耐えきれずに古本屋に持ってったり古紙として資源回収に出しちゃったりしてきたからです。

でも、私がものを書くきっかけとなった本たちを、いくら私でも、そんなに簡単に処分するだろうか、ひょっとしたら…?と、今朝ふと思い立って、本棚を探してみたのでした。
すると、やっぱり。出てきました、吉見さんの著作4冊。
そのうちの、『ペパーミントは涙の味がする』『東京ゆきずりライフ』の2冊を手にとって、私はリビングのお気に入りスペースに寝転がって、しばし読みふけっていました。

懐かしいその語り口調、昔なじんだ文章が、そこにありました。

でも。
今日一日、どっぷりこの世界に浸かっていようと決めていたのに、もう気がすんでしまい、私はなんだか中途半端に不安定な気分で寝そべって、これを書いています。

私は、私が思っていた以上に、変わっていた。
歳をとっても、容貌や体力が衰えても、心は30年前と何も変わっていない、少女のままだと思い込んでいたのに、そうじゃなかった。
あんなに自分をシンクロさせてた彼女の文章は、今の私には照れくさく、遠いものになっていました。
古道具屋さんで懐かしく気に入って買った大好きなタイプのはずの置物が、家に帰って飾ろうと思ってみたらどうも今の部屋にはしっくりなじまない、そんな戸惑いを、今、感じています。

当たり前だよ、と笑うでしょうか。
私には、ずっとずっと大切にしてきた世界だった。自分がまだそこに、その中にいると思っていた。
でも、気づいたらいつの間にか、その外側を歩いていた。
それが大人になったっていうことだよ、と人は言うでしょうか。

いろんなことがあったんだよ。同じじゃいられない。変わっていくのが当たり前なんだよ。
自分をなだめてみました。
でも、やっぱり私には衝撃だったのです。自分が自分でなくなったような、不信感に揺らぎました。
過去の自分を、遠く遠く、感じてしまいました。
私はもう、私じゃないの? 私の思ってた私じゃないの?

遠い遠い、少女の自分。
それに比べて、私はなんだか汚れてしまったような気がして、悲しい気持ちになっています。
いつも純粋でありたいと思ってきた私が、煤けてしまったような、それを見てしまったような、寂しい気持ちでいます。

それでも、こうして、書くことは私に残っている。
吉見さんの文章とは違うけれど、違う世界のものになってしまったかもしれないけれど、吉見さんからの贈り物は別の形になって私の中で生きている。今の私を、生かしている。不思議だけれど。
それは果たして抜け殻なのだろうか?
今の私にはわからない。
ただこうして、言葉をつむいでいくことが、今の私にできることのすべて。
これを失いたくない。それだけの気持ちでいます。
今の私で、これで、いいんだよね? このままの私で生きていても、いいんだよね?
今の私の言葉で書いていても、それで許されるんだよね。

懐かしいはずのものたちが、私の足場をぐらつかせる。そのたび、不安定になる。
私はうまく大人になれなかったのかもしれません。今でも、大人と子どもの間を、ゆらゆらさまよっているのかもしれません。

これからまた、ペネロペのDVDを見ようと思います。それから、チョコレートを少し食べようっと。
今日は買い出しにも行かず、ずっと家で過ごします。外は暑そう。生協のお兄さんが、滝のように汗をかいて配達に来てくれました。

ではまたね。
気が向いたら、コメントくださいませ。
ちょっと心細くなっているタラでした。


卯月のスタート地点

2008-08-13 10:34:55 | タラの日記
おはようございます、卯月です。
埃だらけの本棚の奥から、懐かしい本を探し出しました。大好きだった、今でも特別に思い入れのある、吉見佑子さんのエッセィ2冊。
この人の作品に出合っていなかったら、私は随筆を書く人になろうと思わなかったでしょう。卯月のスタート地点となったのが、吉見さんの本です。

今日はこの本を読んで過ごそうと思います。

ではまたね。