今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

ものを書くということ。

2008-08-26 22:32:09 | タラの日記

こんばんは、卯月です。
なんだか喉が痛くて、ゴロゴロしています。
お天気も悪いし、体調も狂いやすい時期ですよね。みなさまは大丈夫でしょうか。

子どもがまだ小学生だった頃ですが、1年だけ、「レターカウンセラー」という仕事をしたことがありました。
ベネッセの中の「子育て研究所」というところで、「たまひよ」の読者の方から寄せられる育児の悩みの手紙に、一人一人手書きで、先輩ママの立場から、応援とアドバイスのお手紙を書く、という、想像しただけでも大変そうな仕事で、実際にとても大変でした。
便箋3枚ぐらいのお返事を書いて、1通の報酬は確か当時650円だったと思います。在宅でしたので、肉体的には楽ではありましたが、精神的にけっこう消耗する仕事でした。

それでもその仕事を私は好きでした。割が合わなくても、くたびれても、若いママたちの不安を軽くしてあげられる、そのことが喜びでした。
もともと書くことは好きでしたから、それほど苦にはなりませんでした。
私はレターカウンセラーとして高い評価を受け、新人の研修会で先輩として発表をしたりする立場になりました。仕事は増え、特別にワープロを使ってもいいことになりました。

誇りを持ってやっていたその仕事を、なぜ1年で辞めたのか。
きっかけは1通の手紙でした。新米ママが、お姑さんとうまくいっていないという悩みを綴ってきたのです。
寄せられる悩みは多岐に渡っていて、必ずしも直接的な育児の相談とは言えないものでも、新米ママをサポートすることが育児をサポートすることにつながっていくとの観点から、よほど突飛な内容でない限り、所定の用紙(「たまひよ」についてくる。今もあるのかな? 知りません)に綴られた悩みには応えることになっていたので、私はそれまでもいつもそうしていたように、ママの側に立った、共感の内容のお返事を書きました。
書いた手紙は本部にファクスしてOKが出たら投函していいことになっていました。私は書いた手紙を封筒に入れ、投函の準備をしていました(なんと宛名も手書きでした)。

そこへ、本部から「書き直し」の指示が出たのです。初めてのことでした。
「これではママの立場に寄りすぎている。お姑さんが読んだら気を悪くする」とのことでした。
確かに、私はお姑さんの批判ともとれるような内容の手紙を書いていました。でも、これはママ宛のもので、お姑さんが読むものではないはず。それに、孤独な新米ママを元気づけるには、意地悪なお姑さんを少しぐらい悪者にしてしまうことも必要、と私は考えていましたから、そう言いました。
「誰が読んでも傷つかない手紙を書いてください」。本部の答えはそうでした。
割り切れない思いが残りました。

それから、私はどんな手紙を書くのがよいのか、わからなくなりました。
若いママたちの心を支えるのに、誰も傷つけないことなんてそもそもできるのか。
当り障りのない手紙を送れというのか。ママたちの待っている返事は、そんなものなのか。所詮、サービスでしかないのか。

やがて私は、鬱が悪化して仕事を続けることができなくなりました。半年の休職の後、惜しまれつつ退職しました。

私は今でも思うのです。だれも傷つけない手紙なんて私には書けない。
そんな毒にも薬にもならないものを、なんのために、誰のために書くのか。

今、こうしてものを書きながら、私の書くもので誰かが傷ついているかもしれない、と思います。
でも、私は、心の中で手を合わせながらも、書きたいことを曲げずに書いています。もの書きとはそういうもの、罪の深いもの、覚悟が要るもの、そう思っています。
誰かが悲しんでも、誰かに恨まれても、私は全部を背負っても、書いていきます。そう覚悟を決めたから。

今日は「もの書きの覚悟」について書きました。
長々お付き合い、ありがとうございました。

ではまた明日、お会いしましょう。
おやすみなさい。