ようこそ、卯月です。
今日、2度目の更新です。
結局、仕事はあんまり捗らなかった。気づいたら眠ってて。
頓服をあれ以来飲んでいないんだけど、それでも眠い。
姉のことを、ずっと考えていた。
私が姉に抱いているのは肉親としての愛情だろうか。
一緒に親の虐待をくぐり抜けてきた同士だから、2人で助け合って生き延びてきたから、それで結束が固いんだと思っていた。
それは当たり前だと思っていた。
でも、そうだろうか。
わからない。
私は姉にずいぶん八つ当たり的意地悪をされて育ってきた。いつも姉の顔色を窺っていた。親の顔色と、姉の顔色と、両方を窺ってきた。
でも、私は姉には逆らえなかった。やり返すこともしなかった。
一人になったら生きていけないと思っていたんだと思う。
でも、実際には姉といることで楽というわけではなかった。心強いということは少しはあったかもしれないが、私はむしろ母に罵倒される姉をかばい、慰める役回りだった。
高校生になった姉がお酒を飲み始めて、家の中は大荒れになった。父は姉の飲酒を知っていて、何も言わなかった。
酔っ払って母と罵り合いをするのが日常茶飯事となっても、父は知らん顔だった。
たまに姉を弁護することがあったかもしれない。けど、いつも父は「いない人」だった。
私はひとしきり怒鳴り合う声をやり過ごし、泣きじゃくる姉を部屋まで連れて行って、彼女の悲しみを聞いた。吐いたものを片付けて着替えさせたことも1度や2度じゃない。母はそういった世話を一切しなかったから。
そのことを思い出して、私はもしかして「アル中の妻」だったのかもしれないと、さっき初めて思い当たったのだ。
私と姉は共依存だったということには気づいていた。
でも、私は姉に一方的にいじめられていたという記憶ばかりで、姉をかばって姉の問題を助長したという自覚はなかった。
お互い子どもが生まれて、姉は子どもに愚痴を言って甘えるようになった。私の役割は終わった、と私は思った。
私の子育ては、母に影響を受けた(母は反面教師だった)という自覚はあったが、どうしてこんなにしつこいぐらいに子どもを保護したがるのか、自分でもよくわからなかった。自分がきつく当たられたから、あんな思いを子どもにさせたくない一心で、だと思っていた。
もしかして、それは違うのかもしれない。
私は「アル中の妻」で、かばってやる相手を求めていたのかもしれない。姉が子どもを私の代わりにしたように、私も私の子どもたちに、姉の代わり(かばわれ保護される役)を求めたのではなかったか。
そう思ったとき、身震いがした。
これは多分、当たっていると思う。
あまりに辻褄が合う。
私はずっと姉を求めてきたのだ。
どうして姉とこんな関係になってしまったのか、それが私にはわからない。
でも、小さいときから、姉は私にとって大切な人だった。自分より姉だった。自分の気持ちより、姉が泣いていないか、だった。
私が自分の気持ちに鈍感なのは、多分そのあたりに原因があるのだろう。
私は姉を思って、自分をないがしろにしてきた。
そのことに気づいて、今、なんだかとても哀しい。
自分が誰からも愛されず、捨てられた人形みたいに思えて、とても惨めな気がする。
私は、私を愛することができるだろうか。
自分の信頼を、得ることができるだろうか。
そんなことを、夕方からずっと考えている。