かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

プラムの花が満開になりました。

2011-04-04 | 気ままなる日々の記録

 

 44日、昨日からの暖かさでプラムの花が満開になりました。福島原発からの重苦しいニュースが続く中、我が家の庭先では何事もなかったように春がほほ笑みかけています。4月1日にはツバメが姿を見せました。もっとも、来てくれたツバメが去年我が家で育ったツバメであるかどうかはわかりませんが。

 千葉県市川市に住む息子家族が「避難帰省」して来たのが3月28日。計画停電と余震、その上放射能汚染が問題になり、春休み中だけでも子どもたちを空気と水が奇麗で停電がない田舎で過ごさせたいと避難帰省して来ました。息子は「逆単身赴任」。上の孫が男の子で4月から小学2年、下が女の子で3歳。それまでは死んだように静かだった我が家が、急に賑やかになり、私も家内も若返った感じ。朝は孫たちに起こされ、すぐに「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」が始まります。私の家は古く、母屋と離れが渡り廊下で繋がっていて「かくれんぼ」にもってこい、鬼はいつも私で、分かっていても見つからないような振りをして2~3度通り過ぎ、やっと見つけたように振舞うと、孫たちはキャッキャッと喜んでいました。

 その孫たちも昨日市川市へ帰りました。下の子は4月から「年少さん」で幼稚園に入りますが、その準備があるのだそうです。それにつけても、孫たちの通学・通園が始まるころには、何とか放射能汚染だけはくい止められないかと祈らずにはいられませんが。

 プラムの花、上は4月4日撮影、下は4月2日撮影です。この花を見ながら被災地のことや福島原発のことを思うと、大自然の前で人間がどんなに小さいかという思いに駆られます。今、高台の避難場所から、瓦礫の平地と化した自分たちの屋並みの跡を眺め、その向こうに、春の光にきらきら輝くおだやかな大海原を目にされたとき、被災者の人たちの胸に去来するもの、それを想像しながら、私は深い思いに沈んでいます。