3月の中旬、庭仕事も一段落していて、家内も「お出かけ」で留守番となったある日、私は晴天に誘われてチョットした探検に出かけました。北アルプスの霊峰御嶽山あたり一帯を水源地とする木曽川が、犬山を境に扇状に広がり濃尾平野の東部扇状地を形成しています。「あばれ川」の異名をもつこの川は大洪水を起こす度に川筋を変え、多くの人々を飲み込み、新たな「中州」を作って来ました。現在「大震災と津波」が東北地方の人々を苦しめていますが、私たちが住む地では「大震災と大洪水」が人々を苦しめました。そんな連想から、ここを歩いてみようと思ったのかもしれません。
現在は治水工事完成と上流での取水(愛知用水や名古屋市水道局)によって、ようやく川筋が管理され、北側を流れる北派川と南派川の二つに分けられ、その間に大きな中州であるのが川島町でした。
上の二つの写真は戦後のもので、上は岐阜県川島町から愛知県一宮市の高校へ通う高校生、下は昭和27年橋の完成を祝う地元有力者の記念写真と思われます。治水が進んだとはいえこの木橋はチョットした洪水でよく流されていました。
この川島町は平成の大合併で岐阜県各務原市と合併することになりました。かくして各務原市は木曽川の右岸沿いに「うなぎの寝床」と呼ばれる細長い市となりました。合併当時の川島町の町長さんはこれを機に政治の世界から引退、合併交渉の条件であった木曽川北派川への架橋に全力投球されたそうです。その架橋工事が現在着々と進んでいます。
この橋の完成を私も楽しみにしています。何しろ前町長が「世界屈指の美しい橋にする」という意気込みで取り組んでいたという噂を聞いたからです。この日の私の探検は川島町の東端、木曽川の分水点を見てみよう!というものでした。川島町の北側の境界線(北派川の河原)をひたすら上流に向かって歩きました。「木曽の丸石」で有名な大きくて丸い花崗岩で埋め尽くされた河原を歩きました。
そしてやっと辿り着きました。写真の「測量ポール」の立っている地点です。私の希望は南派川の水量(写真右側への流水量)が多くなることですが、ここを見る限りそのための工事は並大抵でない気がしてきました。それでも楽しい時間を過ごしました。帰りに川島町内にある「ラジコン飛行場」で多くのヘリコブターが飛んでいて、「私もやってみたいなあ。でもチョット年を取りすぎているかなあ」という思いで見せて貰いました。