かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

娘夫妻が車でお年始兼お見舞いに来てくれました。

2015-01-04 | 気ままなる日々の記録

娘夫婦は兵庫県加古川在住、2日に出発、既に高速道路の渋滞が報じられていたので、神戸・大阪を通る高速道を避け何と若狭湾へ抜ける道を選び、まあまあ順調に福井県に入り、三方五湖辺りから江南市を目指したとのこと、この選択が正解で2日の日に実家に到着。(それでも渋滞で10時間以上かかった)。お風呂にも入ったとのこと、、三日の午前中に顔を見せてくれた。婿さんは若いころ冬山に登っていた岳人でピンチの時の冷静な情報収集力と判断力は信頼できる。

 

婿さんは長男で、12月30日に、親戚一族が集まって餅つき大会を開くという伝統行事をお持ちのご家庭で、長男の嫁は餅つきの時「手返し」ができないと治まりが悪いが、御嬢さんは手返しが上手で喜んでいます、とは、お父様のお言葉。

 そういえば、我が家でも、親戚から頼まれたお餅を幾臼もついてその全部手返しを母がしていた。娘はそれを見て育っているのだ。いつどこで、何が役立つかはさっぱりわからないのが人生というものか、何事にも興味を持ち、もし自分がするとしたら、と云う態度で観察しておくのが良いのかもしれない。我が家も母が健在の頃は30日が餅つきの日で、私と兄はへとへとになっていた。

 

私がブログに書いた「大晦日と元日に生家を離れたことがない」と云う一文に二人からクレームがつきました。一人は家内でもう一人は娘です。オソマツ君の名に恥じない失態ですが、正直に告白します。

家内からのものは、去年の大晦日と元旦は病院だったことをもう忘れたの?というもの。ギャフン!

そういえば、救急車で運ばれたのが12月15日の未明で、それ以後一度も家に帰っていない。

二人目は娘で「私が大学生だった頃の大晦日の日に東京のホテルへ泊まりに行って、初詣は明治神宮だったことを忘れたの?あれは一体何だったの、とんだ散財じゃなかったの?」というものだった。

そういえば、私が提案してそんなことをしたことを思い出した。あれは、どこかの旅行社で手に入れた広告に僕がとびついてしまったからだ。そのパンフレットには、江戸時代末期の江戸商店街のお正月の情緒を再現します。お獅子の厄払い・筝曲演奏・町内会の名刺交換会等々。とあり僕は急に覗いてみたくなってしまったのだった。ホテルは銀座東急だったか、品川か赤坂のプリンスだった気がする。行ってみて分かったことだが、年末年始の東京のホテルは、会社や役所の出張がないため、ガラ空きで、各ホテルは独自のイベントを計画して客集めをしていて、「正月の江戸情緒」というのもそのイベントの一つに過ぎなかったまあ、手短に言えば、客不足に困ったホテル側が、田舎者の野次馬を狙って疑似餌を撒いたところ、田舎者の野次馬の見本のようなオソマツ君が家族まで引き連れて釣り上げられたという構図でした。それでも、二人一組の獅子舞は圧巻で、子どもたちの頭を噛む真似をして厄をおとしてくれたし、筝曲の生演奏もこころを和ませてくれた。名刺交換会の会場をホテルが提供した格好で、お金持ち風の商店主たちが紋付羽織はかま姿でお年始のあいさつを交わしお屠蘇を勧めあっている光景もいい感じだった、確か宿泊客も部屋番号のバッチを付ければ参加できたと思うが、私は参加しなかった記憶だ。娘が、この旅行をよく覚えていてくれたことは。嬉しい限りだ。息子は覚えているかどうか怪しい。

蛇足ながら、偉い人が年始客をにご自宅でなくホテルでお受けになるという話を聞くようになったのも、このころからである。