テーマは「長崎の被爆体験を語る」という運動の限界について、でした。
横浜の中学生が修学旅行で資料館を訪れ学校の依頼である被爆体験者が原爆の悲惨さを体験に基づいて話しているとき,
一部の生徒がお喋りばかりして聴いてくれないので「静かにしてよ」と注意したらその中学生が「何だ!死にぞこないが!」と語り部に文句を言ったという事件を紹介て、語り部運動の抱える問題点ばかりを論じていたが、中学生にもなってそんな人権を無視した暴言が許されている状況を問題にしないというセンスにうんざりしました。これを見ていて「いじめ」が絶えない中学の現状が見えてきました、と同時に教育問題を扱う時の我が国のマスコミの視点の狂いも見えてきました。
例えば引率の先生がその場で本気になってその生徒を叱り学校を代表して語り部に謝罪するとかすべきでないか、それが教育の場というものではないか、と云う問題の立て方ができないのかと思えます、児童中心主義が、教育放棄を生んでいるのではないか、こんな大人を社会へ送り出されては日本の社会は乱れてしまいます。文科省を始め教育評論家は極端な偏向に陥ってる、と思います。老人に向かって「死にぞこない!」と云う暴言を吐く中学生に育ったことを問題にせずどんな教育があるというのだろうか。