最近、頭の中を空っぽにしてボーっとしていると、あれは、「どうだったかなあ?」と何の脈絡もなく若いころのことを思い出し、
忘れそうになっていることを一生懸命、思い出そうとしていることが多くなった。
そんなことの中で圧倒的に多いのが、高校時代のことである。
そんなことの一つに漢文の授業のことがある。僕が漢文を習ったのは「古典国語乙」とかいう教科で週3時間程だったと思う。
先生はご高齢の大柄な男の先生で漢文を朗々と楽しそうにお読みになる先生だった。
あの先生は検定上がりの先生だといううわさがあった。
旧制の中学校の教員養成は高等師範学校で東京と広島にあり旧制の高等女学校の教員用養成は女高師と云う学校があって、東京と奈良にあった。そのほかに文部省が実施していた検定というのがあって、合格すると中学や女学校の教員になることができた。ところで、戦前の中学や女学校の先生の給料は結構高く女中さんを雇って家を1軒借りても残る程の給料をもらっていた。
人事は全国区の文部省人事でそのあたりは漱石の「坊ちゃんに」に詳しく描かれている。だから、勉強好きの人は独学で本を買ってきて勉強し、検定に挑んだので、それに合格したら中学や高女の免許状が与えら旧制中学や高女の教師になることができた。だから、検定の先生は学力があり、人間的にも面白い人が多かった。
明治時代我が国を先進国として世界に羽ばたくために教育こそが国力だという考え方で教育勅語を基本方針として予算をつけ、力を入れていたからだ。敗戦後占領軍によって、我が国の教育は骨抜きにされ我が国の左翼思想家は教育を壊すことに夢中になり、今や取り返しがつかない状況となっている。
ところで、漢文の授業であるが、先生は実に楽しそうに朗々と教科書を読まれ生徒たちはうっとりしていた。丁度「長恨歌」を習っているときだった。隣の席の友人から身振り手振りで先生を見るようにと云うサインが届いた。そこで、先生を見ると左手に教科書を開いてお持ちだけれども、目は完全に閉じておられ、それでも声は乱れることなく出し続けておられた。
つまり、先生は「長恨歌」は全部暗記しておられ、教科書を見なくても朗々と読めるのだった。体は軽く前後に揺れていい気分で「長恨歌」を歌っておられる感じだった。しばらくして、最後まで読み終わられた時には生徒はクラス全員が拍手をした。先生は恥ずかしそうに笑われ、マアマアと広げた手のひらを上下させ拍手を止めようとされたが、その仕草が可愛くて生徒は余計に拍手していた。続いて口語訳であるが、
回眸一笑百媚生だが、瞳を巡らせ微笑めば、媚が溢れて零れ落ち、だが先生は楊貴妃さんが可愛い瞳をぐるっと回してにこっとされると、色気があたりに溢れ、男どもは全員がコロッと参ってしまった。と訳されクラスの男どもはこの一節を覚えようとした。続いて「夜專夜」(よるはよるをもっぱらにし)だが、先生はニット笑われ「わかるな!」と云って生徒の方を見られた。誰か豪の者がいて「分かりません!」と云ッたら先生がどう説明されたか面白かったが、純情な我々生徒の中にそんな生徒はいなくて、みんなドット笑ったが「分かりません!」とは言わなかった。今思い出しても生徒も先生も純情で微笑ましい。
蛇足をⅡ点お許しください。
①世界三大美女をご存じですか。答え①クレオパトラ:連戦連勝の猛勇シーザーを籠絡して出身地のエジプトへ攻め込ませなかった。②「長恨歌」の楊貴妃③小野小町。ただし小町の名を挙げるのは日本人だけで、世界的ではない。世界的と云うことになるとマりー・アントワネット、ではないでしょうか。オーストリア帝国の皇帝の娘マリーはほとんど政略結婚でフランス皇帝家に嫁いだ。でもその美貌でフランス国民の人気を得て両家の平和と共存に貢献しましたがフランス革命によってギロチンにかけられるという不幸にあった。
②「長恨歌」の歴史的背景と作者について。長恨歌に出てくる皇帝は中国唐の時代の玄宗皇帝です。玄宗皇帝が楊貴妃に夢中になっていて政治をないがしろにしていたために安禄山が謀反を起こした。
これを鎮圧するために、部下に出陣を命じたが、命令に従わず楊貴妃を殺し皇帝が先頭を切って出陣して下さらなかったら誰も従いません、というので、
やむを得ず楊貴妃を殺させ自ら出陣してそれに大勢の武将が兵士を連れて参加したので反乱軍を制圧でき、嘗てのように、唐の繁栄を取り戻した。
其れを唐の詩人白居居が長編の詩に書いたのが「長恨歌」です。紹介した文脈の他に、平和を取り戻した玄宗皇帝がやはり、楊貴妃が恋しくなり、
有名な占い師を呼んで冥界の楊貴妃を呼び出しどうしているか尋ねさせました。その占い師が冥界へ行って楊貴妃に合い皇帝の命で様子を見に来たと告げると
楊貴妃は、恨み言は一切云わずだだ、はらはらと泣き崩れたといいます。その様子は「梨花一枝春雨を帯びた」ようであったと「長恨歌」で謳われています。
さらに、この「長恨歌」は我が国の平安時代に遣唐使によって持ち帰られ、源氏物語の紫式部も「枕草子」清少納言もすでに読んでいたとのことです。以上参考までに。失礼シマシタ。