かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

サツキの満開と懺悔の思い出

2011-05-31 | 気ままなる日々の記録

 庭のサツキが満開になりました。最近、この満開のサツキを見ると、胸がチクリと痛み古傷がうずきます。

 私は、30代の中ごろから15年間ほど、庭に鉢植えのサツキを100鉢ほど、ひな壇のような鉢台に並べて育てていました。花が終わると、全ての鉢の植え替え・剪定・針金かけをしなければなりません。私はその作業を毎夕食後や土日を潰してやっていました。

 私をこの「狂気」の道へ誘い込んだのは、二度目の転勤で赴いた職場の上司でした。彼は私の母の女学校時代の親友の知り合いとかで、初対面のときから私を̏親戚の坊主扱い̋し、私もいつの間にか豪放磊落な彼の性格にひかれて、彼の召使いのようになっていました。その彼の趣味が「サツキ栽培」でした。彼の自宅(お寺)には1000鉢を超える鉢があり、サツキの雑誌を購読、いつも、人を招いてサツキの講釈を聞かせていました。

 私は彼に誘われてよく近くの植木センターに出かけました。彼はそこでいつも数鉢サツキの苗木を買い、私にも「お勧めの苗木」を選ぶのです。私は「水遣りが出来ない」と断固ことわっていました。何しろ夏場のサツキに水遣りが欠かせません。そのころの私の家は、家内も勤めに出ていて二人の子どもたちは小学生、私の両親が留守番でしたが、父は体を悪くしていて水遣りなどできません。母が一家を切りまわしていました。

 あるとき彼は言いました。「おみゃあさん、おっかさんに頼みやええがや、お袋ちゅうもんは、息子の頼みはなんでもきくでよお」「ダメです。おふくろも近頃はよく出かけるようですから」と私。「そんもんええわさ、なんとでもさっせるわ」

 そこで彼は言ったのです。「ええきゃあ、この鉢は500円だが、うちでは2,500円だったと言やあよ。だゃあたゃあ5倍から10倍の値段で言わないかん。そう言っとくと、一度は怒らっせるが、後はちゃんと水を遣ってまえるで」

 私はついに彼の「悪魔の囁き」に乗り、母を騙しました。かくして5鉢が10鉢になり、ついには100鉢ほどになっていました。母は、出かける時には近所のおばさんに水遣りを頼み、サツキの名前を覚え、花の頃にはこの花が好きだとか、あの花は品がない、とか盛んに感想を言うようになっていました。

 母が入院中は、朝の水遣りを倍にしたり全ての鉢を日陰に移したりして母の退院に備えました。母が亡くなったのは秋でした。次の年の夏、水遣りを忘れないようにしていましたが、晩秋を待たず紅葉が進み、晩秋にはすべてのサツキは枯死しました。今、母に会ったら「あの時は悪かった」と謝りたい気持ちで一杯です。正直な値段をいっても母はきっと水遣りを続けてくれたと思えるから。


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