今回は「古道の風情」を中心に報告します。
苔むした山間の道、石段もすべて不揃いな自然石で歴史を感じさせます。しかしすべてが古道で繋がっている訳ではなく所々途絶えて旧道になっている部分もあります。私たちは旧道は車で走り、有名な古道を選んで歩きました。
風雪にさいなまれた石仏。その周辺はきれいに掃き清められ、新しい花が手向けられていました。近くの集落に住む人たちの手によるものと思われますが、もしお年寄りたちの手によるものとすれば、ここまで登ってくるだけでも大変な労力だと思われ、胸が熱くなりました。世界遺産登録の前後でしょうか、国土交通省による案内版が設置されていました。
途中「徐福」を祀る神社に寄りました。「徐福(じょふく)」というのは中国の歴史書『史記』にでてくる人物で、秦の始皇帝の命を受け「不老不死」の霊薬を探しに東方へ船出した、という人です。史記によれば、船には3,000人の技術者が乗り、膨大な食糧と五穀の種を積み込んだというのです。ところで、その霊薬は見つかったでしょうか、史記によると、旅先で広い平野と湿地を得て、そこの王となって帰国しなかったとのこと。ここから先はいろいろで、旅先で始皇帝の死を知り失意のうちに帰国を断念したという徐福善人説から、始皇帝を騙して3,000人の部下と膨大な食糧を奪った詐欺師説まで諸説満開。その徐福がこの地に住み、ここで亡くなったということで建てられたのがこの神社です。
実は、「東方だから日本に違いない」ということで、北は青森県から南は鹿児島県まで徐福に関する伝承は各地に残されていて、その一つがここ熊野の地というわけです。史実はどうかということよりも、その地の人々がその伝承を信じて1000年以上にわたり神社を護ってきたということに私は興味を感じました。
熊野古道は、海岸線沿いにも延々と続きます。上の写真は古道の一部で、那智黒石がとれる浜辺です。私はここで自分への記念品として黒光りのする小石3個拾ってポケットに入れました。ここでは夏に全国的に有名な海上花火大会が開かれるそうで、左の階段は見物者用の座席も兼ねていると聞きました。
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