以下斜体字の部分は朝日新聞4月11日号の「折々の言葉」にあった文である。筆者は鷲田清一氏であった。《身体髪膚之父母受敢毀傷孝始也(しんたいばつぷこれふぼにうく。あえて、きしょうせざるは、孝のはじめなり。本文縦書き。)《中国の古典『孝経』の一節)これを受けて「寝台白布之を父母に受る敢て起床せざるは孝の始め也」と墨書して自室の扉に貼っていた輩(やから)がいた。《読みはこのブログの編集者)
」この雰囲気大いに気に入った。洒落に教養がにじみ出ている。(註:身体→寝台。髪膚→白布。毀傷→起床。)
こうした学風は新制になって何処の学校からも消えた。戦後アメリカに押しつけられた、学制改革の大失点であると思われます。
もう一つ言えば己を優先させ公を考えない教育は「アメリカによる秘められた日本弱体化計画の一端であったと思われます。近年、公の視点を失った青少年の重大犯罪が多すぎます。軍国主義批判に名を借りたアメリカの占領政策盲信左派に泣かされます。そのうえすべてに優先するのが金儲けで 昔、「食うために生きるに非ず、生きるために食う」という格言があったが、現在の我が国は民放テレビを見ていると全国民が食うために生きているように思われます。もう少し気概を持って、世界の範とな
る国造りをしましょうよ。「武士は食わねど高楊枝」とまでは言いませんが。大学の附属病院からがんセンターまでおかしくなって、公を失った毒が相当上層部まで回った感があります。
ここで思い出すことがあります。
金融機関に請われて東芝の社長に就任され経営再建に尽力された後述の土光さんですが、朝食はいつも、イワシの目指しを焼いたオカズにお豆腐の入ったお味噌汁とごはん、だったといいます。奥様も、電気洗濯機をお使いにならず、洗濯板の上で固形の洗濯石鹸を使って、ごしごし洗われ、「私の健康法デスのよ」とお笑いになっておられたとか。当時の日本国民は、そんな土光さんを心から尊敬していました。今なら、政府が、国民の消費を刺激しなければなどと、三流商人のようなことを言ってムダを奨励します。情けない国になったものです。その土光さんですが奥様のウン十歳のお誕生日に東芝製の電気洗濯機と掃除機をプレゼントされたとか、麗しいお話です。
最後に念のため旧制高校について少し補足します。発足は明治時代で、イギリスのパブリックスクールを模して造られた学校で、年齢的には今日の大学前期にあたり、修業年限は3年、第一高等学校は東京にあって、通称一高、二高は仙台、三高が京都、四高は金沢、五高は熊本六高は岡山、七高は鹿児島、八高が名古屋、その後は地名を使って松本高校などがありました。一から八までの高等学校をナンバースクール、地名の付いた高等学校をネイムスクールという呼び方もありました。ネイムスクールの方の例は、松本の他に、静岡、松山、山口、新潟、浦和、高知、広島、富山、水戸、山形、弘前、松江、大阪、等があり、やがて、植民地であった旅順や台北にも開校されました。
どの高校も難関で旧制中学を卒業した生徒が浪人などして受験しました。だから、旧制高校は全寮制で猛烈に勉強しました。先生も当番制のようにして寮に泊まり学生の質問に答えたり、読書指導に当たりました。つまり、敗戦前までの我が国の非軍事部門の指導者を養成する機関としてよく機能し、教養、人格、精神力、指導力等を養成していました。その意味で、敗戦後も是非残したい教育機関でした。それだけに、アメリカは本気で潰しました。
「昔神童と云われた俺も、今じゃドイツ語で目が回る」というデカンショ節を歌ったのも旧制高校の寮生たちでした。蛇足ながら、ヤフーで検索すると相当詳しく旧制高校のことが分かります。以前経団連の会長を務められた土光さん《東芝の社長さん。東芝再建に尽力された)が経済界の重鎮を連れて、英国とドイツ、フランス等を回られ、我が国とこれらの国々との交流を深めるための懇談会を重ねられた、
恒例の相手国主催の晩さん会が開かれたとき乾杯の後のスピーチでドイツべはゲーテの詩の一説をドイツ語で、イギリスではシェクスピアーの戯曲の一節を古典英語で朗々と披露され,相手国の経済界の重鎮たちを驚かせられたとか、こういうことができたのも、土光さんが旧制高等工業高校《現東工大:旧制高等工業高校は旧制高校の校風を大いに取り入れていました)のご出身だったからこそであります。イギリスやヨーロッパでは教養のある人は尊敬され信頼されるという文化があり全ての交渉事が解決に向かって動き出します。
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