私、ずっと、“ある思い”があるんです・・・・・
それは、
「人によって、その価値は、違う」
ということ。
・・・・・とっても当たり前のことですかね。。。。
たとえば、
車でも、絵でも、アニメでも、もう何でも、
「ある人にとっては、ただの物であり、ある人には、宝である」
そういうことを、最近よく考えます。
物でなくても、
「ある人には、全く価値のないものが、ある人には価値がある」
たとえば、それを“どれだけ欲しているか”で変わると思うのです。
ただ、欲しい・・・・くらいと、
“もう、すごく欲しい・・・”では、
当然、物の価値も変わってきます。
うちに、とても有名なアニメの絵があります。世界に2枚しかないというその絵は、
家族がゴルフの優勝の記念で頂いたものです。(私はゴルフ、やりませんけどね)
でもね、うちに飾るイメージの絵ではないし、不気味で・・・・
でも、好きな人にはたまらないのだろうな・・・・そう思います。
だから、私が持っているべきではないと思うんです。(飾らずにしまってあります・・・・)
(いつか売るかもしれません。売っても飾ってなくても、どちらも失礼ですよね・・・)
なんでもそうですが、
それを欲しがっている人の手に渡ってナンボ。
物ってそういうものだとしみじみ感じます。
そういう人の手に渡ってはじめて、「本当の評価」をされると思うのです。
カルジェルネイルが、まだ新しい頃、
マニキュアがすぐはがれて悩みだった私は、カルジェルがすごく画期的に思え、
習ってすぐに高校時代からの友人に塗ってあげました。
でも、・・・・・・まったく感動なし
「あれ?・・・・カルジェルって、こんなもの???」
母親に塗っても、同じ。
でもね、今になってわかるんです
もともと、マニキュアとか、塗らないお友達なんですねお化粧もあまりしないコ達でした。
なんでもそうですが、
「求めている人にとって、はじめて価値となる」
そう思うようになりました。
当たり前ですが、カルジェルにその価値がないわけではない。(って、私の塗り方に問題があったのかも)
わかる人、欲している人には確実にわかるわけです。
だから、今では当たり前のカルジェルなわけですね
この事があってから、
私は「アレンジつけまつげ」も、非常に慎重でした。
お友達にモニターをお願いしても、
とくにつけまつげを必要としていなければ、その価値はわからないし、感動も落ちる。
もちろん、お友達なので、悪いことなんていうわけがないけど、
それでは本当の評価がわからない。
だから、すごく本当は自分の中で葛藤がありました。
お友達だからこそ、難しい部分ってあるのだとしみじみ感じます。
でも、お友達に支えられているのも、また事実です
全てのものに、万人に受けるものはないと思っているし、
人によって、その価値も評価も様々。
物や、全てのものってそういうものだと思っています。
本当に欲しい人のところにいけることが、
物も人も幸せなんだなあ。。。。。。
それは、
「人によって、その価値は、違う」
ということ。
・・・・・とっても当たり前のことですかね。。。。
たとえば、
車でも、絵でも、アニメでも、もう何でも、
「ある人にとっては、ただの物であり、ある人には、宝である」
そういうことを、最近よく考えます。
物でなくても、
「ある人には、全く価値のないものが、ある人には価値がある」
たとえば、それを“どれだけ欲しているか”で変わると思うのです。
ただ、欲しい・・・・くらいと、
“もう、すごく欲しい・・・”では、
当然、物の価値も変わってきます。
うちに、とても有名なアニメの絵があります。世界に2枚しかないというその絵は、
家族がゴルフの優勝の記念で頂いたものです。(私はゴルフ、やりませんけどね)
でもね、うちに飾るイメージの絵ではないし、不気味で・・・・
でも、好きな人にはたまらないのだろうな・・・・そう思います。
だから、私が持っているべきではないと思うんです。(飾らずにしまってあります・・・・)
(いつか売るかもしれません。売っても飾ってなくても、どちらも失礼ですよね・・・)
なんでもそうですが、
それを欲しがっている人の手に渡ってナンボ。
物ってそういうものだとしみじみ感じます。
そういう人の手に渡ってはじめて、「本当の評価」をされると思うのです。
カルジェルネイルが、まだ新しい頃、
マニキュアがすぐはがれて悩みだった私は、カルジェルがすごく画期的に思え、
習ってすぐに高校時代からの友人に塗ってあげました。
でも、・・・・・・まったく感動なし
「あれ?・・・・カルジェルって、こんなもの???」
母親に塗っても、同じ。
でもね、今になってわかるんです
もともと、マニキュアとか、塗らないお友達なんですねお化粧もあまりしないコ達でした。
なんでもそうですが、
「求めている人にとって、はじめて価値となる」
そう思うようになりました。
当たり前ですが、カルジェルにその価値がないわけではない。(って、私の塗り方に問題があったのかも)
わかる人、欲している人には確実にわかるわけです。
だから、今では当たり前のカルジェルなわけですね
この事があってから、
私は「アレンジつけまつげ」も、非常に慎重でした。
お友達にモニターをお願いしても、
とくにつけまつげを必要としていなければ、その価値はわからないし、感動も落ちる。
もちろん、お友達なので、悪いことなんていうわけがないけど、
それでは本当の評価がわからない。
だから、すごく本当は自分の中で葛藤がありました。
お友達だからこそ、難しい部分ってあるのだとしみじみ感じます。
でも、お友達に支えられているのも、また事実です
全てのものに、万人に受けるものはないと思っているし、
人によって、その価値も評価も様々。
物や、全てのものってそういうものだと思っています。
本当に欲しい人のところにいけることが、
物も人も幸せなんだなあ。。。。。。