人生って、やっぱり、人それぞれ
『テーマ』
が違うんだな・・・・・
って思うことが良くある
かなり昔読んだ、スピリチュアル系の本で
「今生きている世界は、”映画”のようなもの。
だから、自分を”演じている”と思えばいい」
・・・というような事が書いてあったのです。
その本によると、
生まれてくる前に、自分のすべてを決めてくるという。
生まれる場所。
親になる人。
生まれる時間。
生まれる境遇。
もう、すべて。
もしこれが本当だとすると、
以前、別の本で読んだ
「今世はすべて前世の縁でつながっている」系
をあわせてみると、
お友達、
好きな人、
嫌いな人、
も、
その時に、配役など、話し合って決めている気がする(笑)
「本当はあなたのこと大好きだけど、嫌われ役はみんな嫌がるから、私やるね」
とか
(だから嫌われ役は、案外1番自分にとって重要とか愛があるとか・・・)
今生きている中で、
最も苦手で嫌われ役を演じてくれている人って、
自分を思って、成長させるために
嫌われ役をあえてかって出てくれた可能性が高い、ということ???
・・・・そういう気も、してくる。
どんなスピリチュアル系の本にも
『自分の魂を成長させるため』
ということは、変わらない。
その成長(学び)のために、
自分の成長に合った親を選び、
場所を選び、
境遇を選び、
時期を選ぶ
そして、
自分の学びに合う
お友達を決め
好きな人を決め、
嫌いな人を決め、
出来事を決める
のか?
その「決める」時にも、
「過去世は、お金のない役をやったから、次はお金持ちの役をやろう」
となり、
「今世は表に出る事をやったから、来世は裏方に回ろう」
とか、
経験していないことを、やるとか。
まあ、これは・・・・・よくわかりませんけどね
私はこういうの、ロマンがあって、楽しむには好きです
そういえば
特にお嬢様ではないのに、
なんだかとても品格がある人がいたり、
また、
権力とかあっても下品極まりなかったり。
そういうものって、「前世」のなごりかな・・・とも感じる
このような考え方を知ってから、
「この世はやっぱり平等なのだな」
と感じることができるようになった。
一見すると不公平に見えるものが、
実は
そのことを学ぶために「自分で選んできた」と思えば
納得できる部分もでてくるし、
その人その人によって、
「人生で学ぶテーマが全く違う」
と考えたら、
「あ、そっか」
って思えてくる 単純です(笑)
逆に、今、とても嫌っているものとかに
来世、(学ぶために)
ご縁が出来てしまう可能性があるかもしれないので、
今世中に、自分の中で消化しておかなければならないとか
私、案外「嫌」というものがあるので、
そっか、
それを”今の生きているうち”に、
自分の中で「解決」しておかねばいかんのだな・・・・・
生きているうちに「解決」(学び)できれば
それは来世に持ちこさないという。らしい。
いや、
本気で、取り組まなきゃと思っています
それは
「生きているうちにしか、解決できない(学べない)」 ←ココ重要
と言われているからです
でも、
ふと感じたのです。
この「嫌」なものが、
なぜ、
自分は「嫌」と思うのか・・・・・と。
「自分の考えと全く違う」「全く理解できない」「あり得ない」
とか
そういう感情をともなってしまうもの。
でも、
『人生の学ぶテーマ』がそもそもすべて違う、
そう見た時、
自分の「嫌」なものが、
全く別のものに見えてくる錯覚があったのだ。
そう、
「みんな、自分の選んだテーマの中で、一生懸命に生きている」
と。
おかしいと思うこと、
納得できないこと、
この世にたくさんあったりするけど、
みんなそれぞれの違うテーマの中で
学んでいるのだろうなあ・・・と。
それでも学ばない人は、
人間ではなく
神様がきっとどうにかすると思う。
そう、
私についているであろう?神様は『ものすごく怖い』ので、
私が少しでも歪むと、
怖いくらい容赦なく「矯正」してきたりするのだ
これは、
小さい頃から本当に感じる事です。
私の神様は『非常に、怖い』のだ
だから、学ばないと、
容赦なく、徹底的に怒られる。気がする。(本当に、怖いんだもん)
でも、
学んだあとに、すごく「優しい」と感じることがあるんです
たとえば、
どうにもこうにも「納得できない」
と思うことがあって、
怒りとか、収まらないだろうな・・・・というような出来事の時ほど、
それははっきりはっきり、わかるのだ。
その、
どうしようもない「気持ち」を
許して、優しい気持ちになんとか持っていた時、
驚くほど、良いことが、
「はっきり」
起こるという経験を、何度もしているのです。
でも
この「最強レベル」での怒りを
抑えるということは、
もう、内臓がよじれる気がするくらい
なんとも言えない不快を通過しないといけないので、
だからこそ、
そこを通過して「解消」した時、
「神様がご褒美でくれたのだな」
と、はっきりわかる出来事がすぐに起こるんです。
私の神様はきっと、分かりやすい(笑)
そのよじれるくらい苦しいものを通過するのが嫌だから、
あまり怒らないようになった気さえ、する
きっと、
「怒る」ことが悪いのではない。
「怒った後にどうするか」、
ということなのではないかと、思う。(あ、怒ることは血圧にも良くありませんが)
色々な感情が出てきても
色々な感情が出ることが悪いのではなくて
それを
「解消する」ことが学びなのかな・・・・
と
感じています
毎日、心地良くいられたら、幸せですね 今日は・・・しみじみ
『テーマ』
が違うんだな・・・・・
って思うことが良くある
かなり昔読んだ、スピリチュアル系の本で
「今生きている世界は、”映画”のようなもの。
だから、自分を”演じている”と思えばいい」
・・・というような事が書いてあったのです。
その本によると、
生まれてくる前に、自分のすべてを決めてくるという。
生まれる場所。
親になる人。
生まれる時間。
生まれる境遇。
もう、すべて。
もしこれが本当だとすると、
以前、別の本で読んだ
「今世はすべて前世の縁でつながっている」系
をあわせてみると、
お友達、
好きな人、
嫌いな人、
も、
その時に、配役など、話し合って決めている気がする(笑)
「本当はあなたのこと大好きだけど、嫌われ役はみんな嫌がるから、私やるね」
とか
(だから嫌われ役は、案外1番自分にとって重要とか愛があるとか・・・)
今生きている中で、
最も苦手で嫌われ役を演じてくれている人って、
自分を思って、成長させるために
嫌われ役をあえてかって出てくれた可能性が高い、ということ???
・・・・そういう気も、してくる。
どんなスピリチュアル系の本にも
『自分の魂を成長させるため』
ということは、変わらない。
その成長(学び)のために、
自分の成長に合った親を選び、
場所を選び、
境遇を選び、
時期を選ぶ
そして、
自分の学びに合う
お友達を決め
好きな人を決め、
嫌いな人を決め、
出来事を決める
のか?
その「決める」時にも、
「過去世は、お金のない役をやったから、次はお金持ちの役をやろう」
となり、
「今世は表に出る事をやったから、来世は裏方に回ろう」
とか、
経験していないことを、やるとか。
まあ、これは・・・・・よくわかりませんけどね
私はこういうの、ロマンがあって、楽しむには好きです
そういえば
特にお嬢様ではないのに、
なんだかとても品格がある人がいたり、
また、
権力とかあっても下品極まりなかったり。
そういうものって、「前世」のなごりかな・・・とも感じる
このような考え方を知ってから、
「この世はやっぱり平等なのだな」
と感じることができるようになった。
一見すると不公平に見えるものが、
実は
そのことを学ぶために「自分で選んできた」と思えば
納得できる部分もでてくるし、
その人その人によって、
「人生で学ぶテーマが全く違う」
と考えたら、
「あ、そっか」
って思えてくる 単純です(笑)
逆に、今、とても嫌っているものとかに
来世、(学ぶために)
ご縁が出来てしまう可能性があるかもしれないので、
今世中に、自分の中で消化しておかなければならないとか
私、案外「嫌」というものがあるので、
そっか、
それを”今の生きているうち”に、
自分の中で「解決」しておかねばいかんのだな・・・・・
生きているうちに「解決」(学び)できれば
それは来世に持ちこさないという。らしい。
いや、
本気で、取り組まなきゃと思っています
それは
「生きているうちにしか、解決できない(学べない)」 ←ココ重要
と言われているからです
でも、
ふと感じたのです。
この「嫌」なものが、
なぜ、
自分は「嫌」と思うのか・・・・・と。
「自分の考えと全く違う」「全く理解できない」「あり得ない」
とか
そういう感情をともなってしまうもの。
でも、
『人生の学ぶテーマ』がそもそもすべて違う、
そう見た時、
自分の「嫌」なものが、
全く別のものに見えてくる錯覚があったのだ。
そう、
「みんな、自分の選んだテーマの中で、一生懸命に生きている」
と。
おかしいと思うこと、
納得できないこと、
この世にたくさんあったりするけど、
みんなそれぞれの違うテーマの中で
学んでいるのだろうなあ・・・と。
それでも学ばない人は、
人間ではなく
神様がきっとどうにかすると思う。
そう、
私についているであろう?神様は『ものすごく怖い』ので、
私が少しでも歪むと、
怖いくらい容赦なく「矯正」してきたりするのだ
これは、
小さい頃から本当に感じる事です。
私の神様は『非常に、怖い』のだ
だから、学ばないと、
容赦なく、徹底的に怒られる。気がする。(本当に、怖いんだもん)
でも、
学んだあとに、すごく「優しい」と感じることがあるんです
たとえば、
どうにもこうにも「納得できない」
と思うことがあって、
怒りとか、収まらないだろうな・・・・というような出来事の時ほど、
それははっきりはっきり、わかるのだ。
その、
どうしようもない「気持ち」を
許して、優しい気持ちになんとか持っていた時、
驚くほど、良いことが、
「はっきり」
起こるという経験を、何度もしているのです。
でも
この「最強レベル」での怒りを
抑えるということは、
もう、内臓がよじれる気がするくらい
なんとも言えない不快を通過しないといけないので、
だからこそ、
そこを通過して「解消」した時、
「神様がご褒美でくれたのだな」
と、はっきりわかる出来事がすぐに起こるんです。
私の神様はきっと、分かりやすい(笑)
そのよじれるくらい苦しいものを通過するのが嫌だから、
あまり怒らないようになった気さえ、する
きっと、
「怒る」ことが悪いのではない。
「怒った後にどうするか」、
ということなのではないかと、思う。(あ、怒ることは血圧にも良くありませんが)
色々な感情が出てきても
色々な感情が出ることが悪いのではなくて
それを
「解消する」ことが学びなのかな・・・・
と
感じています
毎日、心地良くいられたら、幸せですね 今日は・・・しみじみ