もともと、案外、ネガティブな考えをするほうというか、
とても恐怖症だったり、します
でも、むりやり、「良いほうに考える」ようになって、数年。。。。
なんかね、全ては
『考え方、一つ』
という気がするんですね。
究極には、この世は「良いも悪いもない」という。
私が一番避けるようにしているのが、
来年の運勢などを「悪い」と決めつける、占い。
(おみくじも、ひかない 笑
)
新しく一年がスタートする前から、
がっかりする事なんて、絶対に聞きたくない。
っていうか、私は単純なので、
言われたら、「そうなのか」
って、思いこんでしまう
人生なんだもの、色々な学びがあるのは、当たり前だし、
どんな経験だって、無駄なことなど一つも無いと、考えている。
大変な経験ほど、実はとても価値があったりするし、
大事なことかもしれないのに。
病気だってね、色々な学びだったり気づきだったり。
あ、「浄化」だったりね
全ては「必要」だから起こることであって、
必然だから、経験する。
どうせなら、そう考えたいんですね
人生って、「良い橋ばかりを渡り続けることなのか?」・・・・と
そんな事を、あるお友達が言っていたとき、
何か「はっ」としたんです
それも、また変だよな・・・・と。
本当のラッキーな人生、ラッキーな人って、
「良い橋を渡り続けることではなくて、
どんな経験も、すべて財産に変えてしまう」
という事ではないか、と思います。
辛い経験も、大変な経験も
すべて貴重な経験として、
ありがたく体験している、というか。。。。。
そういう人って、きっと、
「悪い出来事」さえも、「悪い出来事」なんて考えないから、
結果、
悪いことのない人生、となるような気がしています。
色々な経験をされている人は、
人間として「深い」と感じてしまう
周りの人を癒してくれる。
そんな気がします。
良い橋ばかり渡っている人には
人の痛みがわかりにくい場合もあるかもしれない。
大変な経験が、人の深さをつくる場合があるかもしれない。
辛い経験が、その後の感動を大きくすることもあると思う。
何を持って、「今年の運が悪い」というのか。
そんなことを、簡単に決めつけるのは、人生がつまらなくなると思う。
こっちが一生懸命、
どんな出来事も前向きにとらえて頑張ろう・・・・
そんな時に、
「あなたの来年は最悪です」
なんて、絶対に言われたくないんですね。
(私の大好きなM先生は、前向きになれるようなことを言ってくださいます
)
人間、思いこみもとっても大事です(笑)
たとえば、
「今年ものすごい大チャンス。素晴らしい一年でしょう」
と言われた年、
病気になったら・・・・
私なんて単純だから「壊れた部品を直した。きれいさっぱりした。」とか、
「いや、もしやこれは、『浄化』なのかもしれない(笑)」
と思うに違いない
でも、
「最悪な年」
なんてインプットされてしまっていたら、
「病気・・・・やっぱり避けられなかったのか・・・」的に思ってしまうかもしれない。
つまり、
最初に「インプット」している情報で、
同じ出来事でも「捉え方」が変わってくるかもしれない、と思うんですね。
転んでも、
素晴らしい一年 → 「あ、何かのメッセージかも
」と考えるか、
最悪な一年 → 「あ、やっぱりついていないのか」と思うのかは、
自分が思いこんでいるもので明らかに変わってくると思います。
だったら、「良い一年」と思いこんで
同じ出来事をとらえるほうが、絶対に良いって気がするんです
・・・・・・そう思うのも、「恐怖症」だからかも、しれませんがね。。。。
ちなみに、厄年って、「大活躍」の意味もあるそうですよ
私の大好きなた○しさんは「厄年にいつも大きな賞をもらうなあ・・」と言っていましたね
いつもどうもありがとうございます
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