ヘアジュエリーの試作を頑張って進めるにあたり、
道連れになる「同時進行仲間」に、『エイゴ』も入りました
これで道連れ仲間は、「会計の勉強」、「英語」となる。
イメージを大事にする仕事なのに・・・・と自分で思いつつも、
こういう「勉強もの」は疲れて嫌になると、
イメージの世界で遊ぶという『現実逃避』しやすいので、
逆に都合が良い(笑) ← そんな後ろ向きな考えなのか?
とりあえず、「会計」も「英語」も、
昔から、気になるものなので、いずれまた勉強する気になると思うし
イメージの世界でばかり生きていると、
たまにこういう勉強が、ものすごく新鮮で、サクサク頭に入り理解できることもある
たまに、頭も使わないとな(笑)
そこで、「エイゴ」だ。
どさくさにまぎれて、「エイゴ」をなんとかしたい・・・・
実は、「エイゴ」は、
「もう、携帯のアプリか何かで、
”日本語を話したら同時に、エイゴで音声が流れる”的なものが、出るだろう・・・」
と思ってから、やる気が一気に失せてしまったのだ (あれ?もうあります??)
だからね、勉強から外れてしまっていた。
でも、逆に、気持ち的に「やらなくてもいい」と思えてきたら、
気楽になって、「ちょっとやるか」、とも思えてきた(笑)
というのは、「エイゴ」は仕事で使うだけでなく、
「人とつながるため」のものだから
「エイゴ」は、もうあきれるくらい、さんざん、挫折してきました
しまいには、エイゴを勉強するどころか、
「なぜ、エイゴができないのか」
を分析することに意識が向いてしまって、勉強どころではなくなってしまったり ←アホ?
もう、できない分析は、いい。 とにかく、やるか。
エイゴができない私なりに、色々調べた結果、
「結局は、エイゴの上達の近道は、『外人の友達をつくること』が一番」
という、結果になった。
そこで、
「よし!、外人の友達をつくるか・・・・」と思った瞬間、
あ
私には、「外人」の友達がいる。。。。。
・・・・・・そう、身近に
改めて不思議に感じるのですが、
私は「外人」の友達を、
一度も、「外人」と思ったことがない
というのは、
みんな、
「日本語」
が、うますぎるから
「言葉の壁」とは良く言ったもので、
「言葉が通じる」と、日本人も外国人も、全く関係なくなる。
現に、私は、彼らを一度も「外人」と思って接したことがない。
しかも、
マレーシア人の彼女は8カ国語を母国語のように操れる、語学のスペシャリストだ
世界中を飛び回っているため、あまり日本にいないことも多い。
そして、インド人の社長も、親しくしてもらっている。
外国にもいくつか会社がある彼は、月の半分は外国に行っている。
彼の友人みんなで、食事をさせていただいたときは、
日本人が私だけで、まるで
「国際会議か」
と思ったものだ(笑)
では、
「外人の友達がいると、エイゴが上達する」
・・・これが当てはならないのは、なぜか?
みんな、
「日本語がうますぎる」
これしか、ない
外人が日本語をしゃべるということは、
「壁」がなくなる代わりに、
こっちは、ちっともエイゴが上達しない。。。。 (これは、私だけの問題かもしれない )
私は昔から、
「日本人同士で、エイゴを話すこと」が非常に苦手だ
なんか、とっても恥ずかしくて、言葉が出てこなくなる
だから、英会話スクールは、本当につらかった
外人であっても、「日本語がうまい」と、
同じ錯覚を覚えてしまう 「いちいちエイゴで話す必要がないだろう・・・」って。
こりゃ、大変だ
せっかく、外人の友達がいても、
日本語がうまければ、エイゴで話す必要もなく、
逆に、彼らがエイゴで話したとたん、
「壁」を感じて、さみしくなる。。。。。
本当に言葉って「壁」なんだなあ・・・・・
仕事だからとか、そんなんじゃなく、
なんか、「言葉」は、基本的なものなのだと、改めて実感する。
いわば、
「思いやり」
ですね。
言葉の壁をなくすのは、相手への「思いやり」と感じるんです
彼らが日本語を話せるおかげで、
友達として、長い付き合いをさせていただいてる。
もし、彼らが日本語を話せなかったら、全くつながっていなかったと思う。
だから、私がエイゴを頑張るのも、
未来の「お友達」のため、なのかも、しれない。
・・・・・と、自分でテンションをあげ、
頑張ると、するか。。。。。 私よ、今度こそ、頑張れ
・・・いや、そのまえに、日本語をしっかり・・・だろ。。。。
いつもどうもありがとうございます
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道連れになる「同時進行仲間」に、『エイゴ』も入りました
これで道連れ仲間は、「会計の勉強」、「英語」となる。
イメージを大事にする仕事なのに・・・・と自分で思いつつも、
こういう「勉強もの」は疲れて嫌になると、
イメージの世界で遊ぶという『現実逃避』しやすいので、
逆に都合が良い(笑) ← そんな後ろ向きな考えなのか?
とりあえず、「会計」も「英語」も、
昔から、気になるものなので、いずれまた勉強する気になると思うし
イメージの世界でばかり生きていると、
たまにこういう勉強が、ものすごく新鮮で、サクサク頭に入り理解できることもある
たまに、頭も使わないとな(笑)
そこで、「エイゴ」だ。
どさくさにまぎれて、「エイゴ」をなんとかしたい・・・・
実は、「エイゴ」は、
「もう、携帯のアプリか何かで、
”日本語を話したら同時に、エイゴで音声が流れる”的なものが、出るだろう・・・」
と思ってから、やる気が一気に失せてしまったのだ (あれ?もうあります??)
だからね、勉強から外れてしまっていた。
でも、逆に、気持ち的に「やらなくてもいい」と思えてきたら、
気楽になって、「ちょっとやるか」、とも思えてきた(笑)
というのは、「エイゴ」は仕事で使うだけでなく、
「人とつながるため」のものだから
「エイゴ」は、もうあきれるくらい、さんざん、挫折してきました
しまいには、エイゴを勉強するどころか、
「なぜ、エイゴができないのか」
を分析することに意識が向いてしまって、勉強どころではなくなってしまったり ←アホ?
もう、できない分析は、いい。 とにかく、やるか。
エイゴができない私なりに、色々調べた結果、
「結局は、エイゴの上達の近道は、『外人の友達をつくること』が一番」
という、結果になった。
そこで、
「よし!、外人の友達をつくるか・・・・」と思った瞬間、
あ
私には、「外人」の友達がいる。。。。。
・・・・・・そう、身近に
改めて不思議に感じるのですが、
私は「外人」の友達を、
一度も、「外人」と思ったことがない
というのは、
みんな、
「日本語」
が、うますぎるから
「言葉の壁」とは良く言ったもので、
「言葉が通じる」と、日本人も外国人も、全く関係なくなる。
現に、私は、彼らを一度も「外人」と思って接したことがない。
しかも、
マレーシア人の彼女は8カ国語を母国語のように操れる、語学のスペシャリストだ
世界中を飛び回っているため、あまり日本にいないことも多い。
そして、インド人の社長も、親しくしてもらっている。
外国にもいくつか会社がある彼は、月の半分は外国に行っている。
彼の友人みんなで、食事をさせていただいたときは、
日本人が私だけで、まるで
「国際会議か」
と思ったものだ(笑)
では、
「外人の友達がいると、エイゴが上達する」
・・・これが当てはならないのは、なぜか?
みんな、
「日本語がうますぎる」
これしか、ない
外人が日本語をしゃべるということは、
「壁」がなくなる代わりに、
こっちは、ちっともエイゴが上達しない。。。。 (これは、私だけの問題かもしれない )
私は昔から、
「日本人同士で、エイゴを話すこと」が非常に苦手だ
なんか、とっても恥ずかしくて、言葉が出てこなくなる
だから、英会話スクールは、本当につらかった
外人であっても、「日本語がうまい」と、
同じ錯覚を覚えてしまう 「いちいちエイゴで話す必要がないだろう・・・」って。
こりゃ、大変だ
せっかく、外人の友達がいても、
日本語がうまければ、エイゴで話す必要もなく、
逆に、彼らがエイゴで話したとたん、
「壁」を感じて、さみしくなる。。。。。
本当に言葉って「壁」なんだなあ・・・・・
仕事だからとか、そんなんじゃなく、
なんか、「言葉」は、基本的なものなのだと、改めて実感する。
いわば、
「思いやり」
ですね。
言葉の壁をなくすのは、相手への「思いやり」と感じるんです
彼らが日本語を話せるおかげで、
友達として、長い付き合いをさせていただいてる。
もし、彼らが日本語を話せなかったら、全くつながっていなかったと思う。
だから、私がエイゴを頑張るのも、
未来の「お友達」のため、なのかも、しれない。
・・・・・と、自分でテンションをあげ、
頑張ると、するか。。。。。 私よ、今度こそ、頑張れ
・・・いや、そのまえに、日本語をしっかり・・・だろ。。。。
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