昨日はひさしぶりに、アーティストたちが集まった。
天真庵を改装したくれたのは、芸大の建築を卒業した中西君と、その仲間で
「UNA」のみかん君、とか、その友だちの林君の3人が中心で、土・日は、
10人くらいになったり、多士済々の人たちが、3ヶ月やってくれたお陰だ。
普通の工務店に頼んだら、ぜったいにできなかった「仕事」ができたと思っている。
昨日は、そんなメンバーたちが久しぶりにやてきて、飲んだ。
この街に住む鹿児島産の「ろくさん」も、不思議な縁で知り合い、大工道具や小道具、
彼が将来お店を開く時にと、蓄えていて古材なんかもちょうだいした。
毎日ぼくが仕事をしている厨房の中の床材も、彼から譲りうけたものだ。
そんな稀有な親切な「よかにせどん」(鹿児島では、いい男のことをいう)
が、今年の2月に肺がんの手術をした。だから、昨日は、その快気祝い
ということで、みんなで集まって祝った。
途中で「わぶ庵」?(近所の手風琴という元・喫茶店を中西君が改装して、そこに
アーティストが住んでいる)の若者がギターを持って快気祝いに、演奏してくれた。そしたら、ろくさんが、そのギターを弾いて、一曲歌ってくれた。
彼は長年、銀座のクラブで歌う仕事をしていたのだ。
友だちというものは、いいものだ。こんな夜を何度経験するか・・・が、
「幸せな人生だったな」と、思える人生を築いていくのだろう。
天真庵を改装したくれたのは、芸大の建築を卒業した中西君と、その仲間で
「UNA」のみかん君、とか、その友だちの林君の3人が中心で、土・日は、
10人くらいになったり、多士済々の人たちが、3ヶ月やってくれたお陰だ。
普通の工務店に頼んだら、ぜったいにできなかった「仕事」ができたと思っている。
昨日は、そんなメンバーたちが久しぶりにやてきて、飲んだ。
この街に住む鹿児島産の「ろくさん」も、不思議な縁で知り合い、大工道具や小道具、
彼が将来お店を開く時にと、蓄えていて古材なんかもちょうだいした。
毎日ぼくが仕事をしている厨房の中の床材も、彼から譲りうけたものだ。
そんな稀有な親切な「よかにせどん」(鹿児島では、いい男のことをいう)
が、今年の2月に肺がんの手術をした。だから、昨日は、その快気祝い
ということで、みんなで集まって祝った。
途中で「わぶ庵」?(近所の手風琴という元・喫茶店を中西君が改装して、そこに
アーティストが住んでいる)の若者がギターを持って快気祝いに、演奏してくれた。そしたら、ろくさんが、そのギターを弾いて、一曲歌ってくれた。
彼は長年、銀座のクラブで歌う仕事をしていたのだ。
友だちというものは、いいものだ。こんな夜を何度経験するか・・・が、
「幸せな人生だったな」と、思える人生を築いていくのだろう。