昨日は書の会だった。
江戸一という大塚にあるお店の、飲み仲間だった貞本さん
が月に一度きてくれて、音楽家とか多士済々の人たちと
いっしょに楽しんでいる。彼は天安門事件のころ4年間
中国で書の修行をしていた。それぞれが、手本もなく自分の
気持ちを表現できるのがいい。
「人のいく裏に道あり 花の山」
ではないが、「みんながやるから」とか「テレビや雑誌をみて」
とかいって、雑魚がたむろしているような生き方をしていたのでは、
新しい道が開けていかないような時代。
最近、音楽家とともに、若い蕎麦や料理人たちがよく遊びにきてくれる。
料理や蕎麦の話よりも、もっぱら「美意識」とか「空間」とか「しつらえ」
みたいな話で盛り上がる。
昨日こられた若い料理人は、夏目漱石の草枕よろしく、二階に
かけてあった木庵の書に魅され、ひょんなことから「お花の勉強
に加えてください」ということになった。
また不思議な青年が、原田先生の弟子になる。
いつの時代も師というには、「弟子が発見する」ものである。
「お稽古」とは、教える、習う、という単純なものではない。
「自分らしく生きる」ことを探求する旅みたいなものかも。
今日は「かっぽれ」。
バカになりきる、自分の殻をやぶるお稽古。
江戸一という大塚にあるお店の、飲み仲間だった貞本さん
が月に一度きてくれて、音楽家とか多士済々の人たちと
いっしょに楽しんでいる。彼は天安門事件のころ4年間
中国で書の修行をしていた。それぞれが、手本もなく自分の
気持ちを表現できるのがいい。
「人のいく裏に道あり 花の山」
ではないが、「みんながやるから」とか「テレビや雑誌をみて」
とかいって、雑魚がたむろしているような生き方をしていたのでは、
新しい道が開けていかないような時代。
最近、音楽家とともに、若い蕎麦や料理人たちがよく遊びにきてくれる。
料理や蕎麦の話よりも、もっぱら「美意識」とか「空間」とか「しつらえ」
みたいな話で盛り上がる。
昨日こられた若い料理人は、夏目漱石の草枕よろしく、二階に
かけてあった木庵の書に魅され、ひょんなことから「お花の勉強
に加えてください」ということになった。
また不思議な青年が、原田先生の弟子になる。
いつの時代も師というには、「弟子が発見する」ものである。
「お稽古」とは、教える、習う、という単純なものではない。
「自分らしく生きる」ことを探求する旅みたいなものかも。
今日は「かっぽれ」。
バカになりきる、自分の殻をやぶるお稽古。