最近、二階には、南條先生の寒山拾得を飾っている。
絵もいいけど、先生の書もすばらしい。誰にも師事せず、
自由奔放にひょうひょうと書いてあるのがいい。
バンダヂの上に、「白日青山に遊ぶ」というのがある。
まだ昭和だったころ、新宿の三越ギャラリーで、初めて
南條先生に出合った日に、買いもとめたものだ。
そのころ、ある会社とジョイントで仕事をしていた。
お互いの会社の「哲」が、あわなくて、契約を解除して、
野にくだろうかと考えていた時、突然雨が降ってきて、
そこにあった「三越ギャラリー」に雨宿りした。せっかくなので
エレベータにのって、上の会にいくと、けったいな絵(寒山拾得)が
並んでいた。「本来無一物」とか「相語相笑」などの言葉にもなんとなく
ひかれ、たたずんでいたら、作務衣をきた老僧みたいな人が、声をかけて
きた。お客さんがたくさんいて、対応に追われているように見えたけど、
こちらにつかつかと歩いてきて、「どこかでお会いしましたか?」
という。ので「いや、たぶん、はじめてです」
と答えた。ら、「京都あたりで、お会いしませんでしたかの~?」
というので、「いや、京都時代は毎日珈琲を入れるのに必死で、美術館や
ギャラリーなどはほとんど無縁な生活でした・・」と答えると、
「ほんじゃ、前世であっとるわい」ときた。ふたりで顔をあわせて笑った。
そして「ままよ、きんたま、男の子」よろしく、その絵を買って、家の壁に
かけ、酒を飲みながら、「新しい道をいこう」と思い、野にくだり、代々木に
あった事務所を池袋に移し、ゼロから再スタートした。
「白日青山に遊ぶ」。とらわれのない心でいると、いつでも、どこでも
そこには青山(楽園)がある。心ひとつの置き所で、人生どうにかなるもんだ、
ということをその絵には、何度も教えてもらった。
それからバブルがはじけ、三越ギャラリーも閉館になり、南條観山展を
天真庵でやることになった。まったく不思議な奇縁だ。
最近、またその絵たちが、話かけてきたり、夢にでてきたりする。
いままでも、そんなことがちょくちょくあった。
今日は「書をしよう会」の日。IT企業の社長でありながら、書家という
顔ももつ貞本さんがやってくる。
文人墨客たちがきて、好きな書をかき、酒を酌み交わす。
金曜日は、こないだまで女子大生だったようなふたりの素晴らしい
コンサート。薩摩琵琶とピアノで、いろいろな青山を遊ぶような
世界をみんなで楽しみたい。
絵もいいけど、先生の書もすばらしい。誰にも師事せず、
自由奔放にひょうひょうと書いてあるのがいい。
バンダヂの上に、「白日青山に遊ぶ」というのがある。
まだ昭和だったころ、新宿の三越ギャラリーで、初めて
南條先生に出合った日に、買いもとめたものだ。
そのころ、ある会社とジョイントで仕事をしていた。
お互いの会社の「哲」が、あわなくて、契約を解除して、
野にくだろうかと考えていた時、突然雨が降ってきて、
そこにあった「三越ギャラリー」に雨宿りした。せっかくなので
エレベータにのって、上の会にいくと、けったいな絵(寒山拾得)が
並んでいた。「本来無一物」とか「相語相笑」などの言葉にもなんとなく
ひかれ、たたずんでいたら、作務衣をきた老僧みたいな人が、声をかけて
きた。お客さんがたくさんいて、対応に追われているように見えたけど、
こちらにつかつかと歩いてきて、「どこかでお会いしましたか?」
という。ので「いや、たぶん、はじめてです」
と答えた。ら、「京都あたりで、お会いしませんでしたかの~?」
というので、「いや、京都時代は毎日珈琲を入れるのに必死で、美術館や
ギャラリーなどはほとんど無縁な生活でした・・」と答えると、
「ほんじゃ、前世であっとるわい」ときた。ふたりで顔をあわせて笑った。
そして「ままよ、きんたま、男の子」よろしく、その絵を買って、家の壁に
かけ、酒を飲みながら、「新しい道をいこう」と思い、野にくだり、代々木に
あった事務所を池袋に移し、ゼロから再スタートした。
「白日青山に遊ぶ」。とらわれのない心でいると、いつでも、どこでも
そこには青山(楽園)がある。心ひとつの置き所で、人生どうにかなるもんだ、
ということをその絵には、何度も教えてもらった。
それからバブルがはじけ、三越ギャラリーも閉館になり、南條観山展を
天真庵でやることになった。まったく不思議な奇縁だ。
最近、またその絵たちが、話かけてきたり、夢にでてきたりする。
いままでも、そんなことがちょくちょくあった。
今日は「書をしよう会」の日。IT企業の社長でありながら、書家という
顔ももつ貞本さんがやってくる。
文人墨客たちがきて、好きな書をかき、酒を酌み交わす。
金曜日は、こないだまで女子大生だったようなふたりの素晴らしい
コンサート。薩摩琵琶とピアノで、いろいろな青山を遊ぶような
世界をみんなで楽しみたい。