「からゆきさん」を読み終え、小学校時代からの友人と長電話をする。
東京へでてきて、すぐにその友達が結婚式をし、その時に司会を頼まれた。
その縁で、本の著者の息子さんと知り合いになった。ぼくの実家のすぐ近くで彼
も作家をなりわいにしている。母親同様、「売れる本」なんかに興味がなく、自分が
やらなければ、消えてしまうようなことを、いのちがけで取材し、いのちを削るおもいで、
原稿のマスを耕している。どこの街にも、記憶の波の中でのみこまれて消えていくような「れきし」が
いっぱいある。そんなことを拾い上げるような仕事をしている人と出会うと、頭が下がる。
昨日は「福の会」だった。毎月熱心に通う女子は、福岡生まれだけど、父親の仕事の関係ですぐに
東京にきて、東京で育った。子供たちも独り立ちし、「自分さがし」の旅を年ニ度くらいしに、帰福する。
必ず寄る場所が、天草とぼくが紹介した「星野村」。天草はからゆきさんでも、なくてはならぬ土地
でもあるし、読み終わった本をバトンタッチした。
今回の「島原蕎麦打ち大会」の帰り、門司港からでる船の時間に余裕があったので、北九州市
にある「いのちの旅博物館」に立ち寄った。都市高速を降りて、スペースワールド近くのそこをめざして
車を走らせた。途中の信号に「春の町5丁目」というのがあった。ぼくが生まれて場所だ。半世紀ぶりにきた。
八幡製鉄所ができ、城下町のように栄えた街の名にふさわしい命名だけど、今は鉄が冷え、
100万都市の座を捨て、世界遺産よろしく街全体が、ある時の記憶の舞台装置のようにガランとした街。
「鉄の街の記憶」という名著があり、それに精しく書かれている街だ。でも最近が「移住したい町」のトップ
クラスにランクされているらしい。
「いのち・・・」では、明治維新の時の関門海峡の歴史・・みたいなことをやっていた。
明治維新というと、関門海峡をはさんだ長州や薩摩隼人が中心で語られているけど、
小倉藩、福岡藩も、いのちがけで生きていた人たちの「いとなみ」があった。
インフラが整い、いろんな街に旅ができるようになった。でも旅行会社とか雑誌のいいなりの
規格品みたいなんでは、わからないようなことをしたい、と
最近思う。「旅は哲」 鉄の街を旅して哲。
明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」
明日はかりすま気功師の「満つ豆の会」もある。これからも健康がいのちばん。
一に健康、二に健康、三四がなくて、五に仕事?
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