今日も暑かったけど、今日は少し風があって
気持ちがいい。先週は、九州産の新米を食べた。
毎週土曜日は、十間橋の近くの「ながしま」さんに
五目御飯を頼んで、まかないにしている。そのお米が
新米だった。秋は実の季節。そういえば、田んぼの稲穂が
西にいけばいくほど、黄金色に輝いていた。
新茶の季節もいいけど、玉露などは、あまり季節感を問わない、
というかさわがない。
そばは、昔から「新そば」に季節感を感じた。でも
ほとんどが、外国産で、地球の裏からおくられてきた蕎麦を
、印刷された「新そば」なんて張り紙しているところで、
食べようなんて、バカなことを考えたことはない。
うちは、喫茶店なので、「新そばです」みたいなでしゃばった
ことはしたことがない。これからもする気はない。
もちろん、まだ新そばではない。
珈琲の世界でも最近は、その年に収穫されたばかりのものを
「ニュークロップ」とかいって、宣伝するようになった。
ある日、青山にあるシアトル系の大手のコーヒーショップチェーンの前を
通ったら、ミニスカートをはいたねーちゃんが「今年のニュークロップ
の豆を焙煎したコーヒーです」というので、しかたなしに「飲んだ」。
季節感は、おねーちゃんのスカートのほうが、感じられた。
新しいものはいいけど、この大手チェーンは、どこで焙煎するのだろうか?
もしも本社のあるアメリカだとしたら、新豆を焙煎して、お店に到着するまで
どれくらいかかるのだろうか・・・?そんなことを考えさせられた。
新米ではないけど、若い新米陶芸家から「初めての個展です」という
ハガキが届いた。鈴木大弓くんだ。
明日が最終日だけど、信楽の「ギャラリー陶園」でやっている。
ぼくは、彼の信楽のぐいのみで、時々「死神」などを飲んでいる。
まだまだ若くて、やぼったいところもあるけど、新米は、一期一会みたいな
刹那の輝きがある。
でも古いものもいい。ぜったいに新しいものにはない魅力がある。
今日は「ダメ中」こと、ダメから始める中国語。先月末のnobieの
ライブにまいこ先生ほか、あまた聴きにきてくれた。
「精神的文化度」の高い女性たちが、たくさん集まる日。
ミニスカートのねーちゃんよりも、ぼく的には、ウキウキする日。
明日の夕方は「クラシックコンサート」
第二水曜日は、「伝授の会」なので、お店は休み。
シャッター通りで、電気もついていないうらびれた街に、
どこからともなく音楽家とそれを聴きにお客さんがやってくる・・・
この日は、月に一度のそんな日。
ぼくのふるさと、九州の宗像というところも、昔は、
大陸から、仏教、お茶、ガラス、陶器・・・いろいろな文化が
入ってきたところだけど、今はさびれている。
津屋崎という街に「津屋崎千軒」という栄えた町があり、それを
また町おこしをしよう、という動きがある。知り合いに声をかけて、
「協力する」ことを伝えた。お茶の世界で有名な芦屋釜という、遠賀川の河口にある芦屋
という街も、「芦屋千軒」といわれたし、ふぐで有名な下関も「下関千軒」
といわれた。もちろん、どこの町にも、そんな通りがあると思う。
音楽とか芸術とかで、人が集まってくるような動きが、自発的に起こってくれば、
まだまだ日本も捨てたものじゃない、とつくづく思う今日このごろ。
気持ちがいい。先週は、九州産の新米を食べた。
毎週土曜日は、十間橋の近くの「ながしま」さんに
五目御飯を頼んで、まかないにしている。そのお米が
新米だった。秋は実の季節。そういえば、田んぼの稲穂が
西にいけばいくほど、黄金色に輝いていた。
新茶の季節もいいけど、玉露などは、あまり季節感を問わない、
というかさわがない。
そばは、昔から「新そば」に季節感を感じた。でも
ほとんどが、外国産で、地球の裏からおくられてきた蕎麦を
、印刷された「新そば」なんて張り紙しているところで、
食べようなんて、バカなことを考えたことはない。
うちは、喫茶店なので、「新そばです」みたいなでしゃばった
ことはしたことがない。これからもする気はない。
もちろん、まだ新そばではない。
珈琲の世界でも最近は、その年に収穫されたばかりのものを
「ニュークロップ」とかいって、宣伝するようになった。
ある日、青山にあるシアトル系の大手のコーヒーショップチェーンの前を
通ったら、ミニスカートをはいたねーちゃんが「今年のニュークロップ
の豆を焙煎したコーヒーです」というので、しかたなしに「飲んだ」。
季節感は、おねーちゃんのスカートのほうが、感じられた。
新しいものはいいけど、この大手チェーンは、どこで焙煎するのだろうか?
もしも本社のあるアメリカだとしたら、新豆を焙煎して、お店に到着するまで
どれくらいかかるのだろうか・・・?そんなことを考えさせられた。
新米ではないけど、若い新米陶芸家から「初めての個展です」という
ハガキが届いた。鈴木大弓くんだ。
明日が最終日だけど、信楽の「ギャラリー陶園」でやっている。
ぼくは、彼の信楽のぐいのみで、時々「死神」などを飲んでいる。
まだまだ若くて、やぼったいところもあるけど、新米は、一期一会みたいな
刹那の輝きがある。
でも古いものもいい。ぜったいに新しいものにはない魅力がある。
今日は「ダメ中」こと、ダメから始める中国語。先月末のnobieの
ライブにまいこ先生ほか、あまた聴きにきてくれた。
「精神的文化度」の高い女性たちが、たくさん集まる日。
ミニスカートのねーちゃんよりも、ぼく的には、ウキウキする日。
明日の夕方は「クラシックコンサート」
第二水曜日は、「伝授の会」なので、お店は休み。
シャッター通りで、電気もついていないうらびれた街に、
どこからともなく音楽家とそれを聴きにお客さんがやってくる・・・
この日は、月に一度のそんな日。
ぼくのふるさと、九州の宗像というところも、昔は、
大陸から、仏教、お茶、ガラス、陶器・・・いろいろな文化が
入ってきたところだけど、今はさびれている。
津屋崎という街に「津屋崎千軒」という栄えた町があり、それを
また町おこしをしよう、という動きがある。知り合いに声をかけて、
「協力する」ことを伝えた。お茶の世界で有名な芦屋釜という、遠賀川の河口にある芦屋
という街も、「芦屋千軒」といわれたし、ふぐで有名な下関も「下関千軒」
といわれた。もちろん、どこの町にも、そんな通りがあると思う。
音楽とか芸術とかで、人が集まってくるような動きが、自発的に起こってくれば、
まだまだ日本も捨てたものじゃない、とつくづく思う今日このごろ。
> 音楽とか芸術とかで、人が集まってくるような動きが、自発的に起こってくれば、まだまだ日本も捨てたものじゃない、とつくづく思う今日このごろ。
→ 長年地域づくりに関わって、強く感じるのは、“地域づくりのキーワードは「文化」ではないか?”と感じます。伝統文化、地域文化、芸能文化等の【地域の無形資産】は、DNAに刷り込まれています。
文化=カルチャー=耕す=地域づくり では?
感謝合掌
ごはんと漬物だけでいいくらい 美味しいですよね~
ついつい もういっぱい食べたくなちゃいます!!
このごろは 見ないけど そばが近所で作ってあったこと思い出しました。
新そばも美味しいでしょうね~!!
うなづけます。見慣れた風景の中から創造性を
発揮すること、ゆったりとした時間の流れに
馴染んだ人には踏み切れないしがらみの様な
ものを感じます。
うちの実家では、ジャンボタニシが大繁殖してしまって、例年のお米の量を収穫できないかもと嘆いていました。
最近は、プランターで野菜を作ろうと取り組んでますが、この暑さのせいかまったく芽が出なかったり成長前に枯れたりして、作物を作る事の大変さを実感中です。
農家の皆さんはもっと大変な思いをしながら作った野菜を我々は安くスーパーで買っている・・・複雑ですね。
にするために、種を蒔いたり、水をやったり
し始める時かもしれません。 感謝。
結構探せばあるものだなと思いました。
でも、気にかけていないと、関心がないと、
気が付かなかったり、実際入り込みにくい、
とかはあるかもしれません。そういうと、衣・食・音楽・アートはらくに浸透しやすいものですね。
特に私は環境保全活動に興味がありますが、
(特にそれが地域活性にすぐに役立つかは?ですが)
それについても、森、里山、畑、街とそれぞれの場での動きは
探すといろいろあるみたいですが、それをつなぐネットワークとなると
非常に少なく、(森なら森だけとか)うまく循環できないでいるような気がします。
衣食住の循環がもっとあるといいですよね。
昨日のニュースで外資による森林資源の買収が取り上げられてました!日本やばい!!
→訂正です。発信している側は楽ではないです よね。
受け取る側が気楽に楽しんで、なおかつ
それが地域活性にもつながっている。
ということです。字足らずで失礼しました。
している人が増えてきていますね。
いいことです。