![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/06/9dbec3606e512db22dcfd5dc87e6b635.jpg)
今日は「ダメ中」。ダメから始める中国語。
だれもが、最初はこころざしを持って、勉強を
始めるけど、途中でスランプになったり、あきたり、
いやになったりして、挫折することが、ままある。
「やろう」と思ったら、やればいいし、やめたくなったら、
やめればいいと思う。
うちで長くやっている勉強会に「順受の会」というのがある。
論語の会だ。会社をやっている経営者などがよくくる。
経営はよく「人・もの・金」なんていう。どれもがうまくいっているときは、
経営者は楽だし、はっきりいって社長なんかいらないほうがいい、くらい。
そんな時の社長は、「論語」なんてどこふく風だ。少し、問題が起きたりして、
どれかひとつが問題になった時、時々、先人たちの教えに習うか、などといって
中国の古典なんかを紐解くことがある。ふたつに問題があり、しかも
最後の「金」に火がついた車状態になると、経営者は、勉強どころではなくなるようだ。
昨日の新聞に「会社員の75%以上が、社長は自分たちのことをわかっていない」
と答えた、みたいな記事があった。鳩山内閣の不支持とどっこいの数字だ。
「社長と副社長の差」は、「副社長と社員の差」と同じくらい、大きな差がある
ことを、社長以外は誰も知らない。こんなに混沌としてくると、とくに、経営者は
眠れない夜を迎えることが多い。
明日は「書の会」
明後日は「かっぽれ」
会社やお店をやっていたりすると、やっている間は、ずっと「人・もの・金」
の問題から、はなれられない。
生きていく限りは、「いろいろな問題」がある。でも
「いろいろなことがあるのが人生だ」とひらきなおると、目の前が
明るくなる。
週末23日は「墨田ぶらり下町音楽祭」。
利害得失を超えて、いろいろな人が協力して、二回目の音楽祭が
近づいてきた。
音楽があるだけで、人生がどんなに幸せになるだろう、と思うことが多々ある。
その音楽をやる舞台を、みんなで協力しながら作っていく感動は、人生を構築
していく、それと似て、言葉ではいいあらわせない。こんな感動がなかったら、
たとえ流行っていても、お店なんかやっている意味もないとつくづく思う。
だれもが、最初はこころざしを持って、勉強を
始めるけど、途中でスランプになったり、あきたり、
いやになったりして、挫折することが、ままある。
「やろう」と思ったら、やればいいし、やめたくなったら、
やめればいいと思う。
うちで長くやっている勉強会に「順受の会」というのがある。
論語の会だ。会社をやっている経営者などがよくくる。
経営はよく「人・もの・金」なんていう。どれもがうまくいっているときは、
経営者は楽だし、はっきりいって社長なんかいらないほうがいい、くらい。
そんな時の社長は、「論語」なんてどこふく風だ。少し、問題が起きたりして、
どれかひとつが問題になった時、時々、先人たちの教えに習うか、などといって
中国の古典なんかを紐解くことがある。ふたつに問題があり、しかも
最後の「金」に火がついた車状態になると、経営者は、勉強どころではなくなるようだ。
昨日の新聞に「会社員の75%以上が、社長は自分たちのことをわかっていない」
と答えた、みたいな記事があった。鳩山内閣の不支持とどっこいの数字だ。
「社長と副社長の差」は、「副社長と社員の差」と同じくらい、大きな差がある
ことを、社長以外は誰も知らない。こんなに混沌としてくると、とくに、経営者は
眠れない夜を迎えることが多い。
明日は「書の会」
明後日は「かっぽれ」
会社やお店をやっていたりすると、やっている間は、ずっと「人・もの・金」
の問題から、はなれられない。
生きていく限りは、「いろいろな問題」がある。でも
「いろいろなことがあるのが人生だ」とひらきなおると、目の前が
明るくなる。
週末23日は「墨田ぶらり下町音楽祭」。
利害得失を超えて、いろいろな人が協力して、二回目の音楽祭が
近づいてきた。
音楽があるだけで、人生がどんなに幸せになるだろう、と思うことが多々ある。
その音楽をやる舞台を、みんなで協力しながら作っていく感動は、人生を構築
していく、それと似て、言葉ではいいあらわせない。こんな感動がなかったら、
たとえ流行っていても、お店なんかやっている意味もないとつくづく思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます