文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

子ども達を含め、教育の現状とこれからのあり方

2005-10-01 23:22:31 | 東京の街角からモニタリングでわかること

教育は最も中央集権的になりがちな世界です。考えてもれば、最も大事なことは、今後の基本的な方法が,見試めし方式と理解出来れば、それが日本の基本技術だと考えられまする。
(1) まづ、誰が考えても家庭での教育が最も重要だと思います。大事な事は、きちんと、親子相伝です。親の背中を見て人は育つ。親の苦労を実感して、自立し、生活力を身に付ける。
(2) いつのまにか、教育とは学校の、先生の専業の仕事になってしまった事が相通じています。
 こうなると、あとは問答無用の世界になってしまいます。これはまさに慣行農法に対しての、ふゆ・みず・たんぼの構築をする世界とそっくりになってしまいました。
 田んぼの乾田化とは、田圃の問題であると同時に、昭和40年代以降の各省庁で共通な手法であって、教育関係もまさにしかりです。教育の現場とは、まったくの乾田化状況ではないかと思います。それに携わるメンバー間での仕事評価も

(3) その本質とはそれは、多様な価値観を、単一の手法に圧縮するための方法論を追求してきてしまったわけです。
(4) いま、湖の乾田化方式から、全ての状況が180度、コペルニクス的な発想の転換を求められています。
(5) そのキーワードは、現場からの情報発進力こそが、力の源泉です。

まるで田んぼの生き物調査とそっくりだなと感じています。

江戸時代の完全リサイクルが一つの見本に

2005-10-01 23:17:47 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 いままで、江戸時代は日本は240年間にわたる完全リサイクル社会を構築出来た、唯一の国であります。それは、国民の90%以上が農民であり、それぞれの場に於いて、生活者として24時間張り付いて、かつ集団で、年間を通じて、里山環境との接点を、じっと観察しながら、年間での自然のリズムを大事にしながら、そこからの産物を徹底的に手入れを行って、多様な手入れ方法や肥料の投入など、人による里山の環境への支援を通じて、多様な収穫を得て生活を成立させてきたわけです。
 この実態は、江戸末期、東京湾に来訪してペルー始め欧米人が、日本の里山の景観を見て、箱庭のように、これほどのすばらしい景観を見たことがないと、絶賛の的となりました。
 いま、日本の、千葉県での里山は、言ってみれば生活者がいなくなり、荒れ放題の様相を呈しだしています。
森のスギの木など木材価格の大暴落によって所得が大幅に低落(10年間で1/10に)
 森林経営では、収入が殆どゼロにまで落ちこんでいます
 所得が得られなくなれば、森林経営そのものが、成り立たない大赤字に。
 さらに田んぼや谷津田での米つくりも、先行きがはっきりしません。
田んぼでも、労力に見合う収入が得られない。他方でほ場整備での負担金、水道料はまったなしで支払わなければならない。
 今の、若い方々の米離れも深刻影響をもたらすことでしょう。
 現実には、これからさらに年間50万人ずつ、人口が減っていくわけですから、中山間地と呼ばれるところは、正に猪と、鹿と猿、そしてあらゆる外来種に脅かされて、ますます生活出来ない場所となってしまっています。
 山が単純林となって、餌がない状態から、秋の収穫物を狙う獣達に破れて、生活の場所を引き渡すような事が日常化していきそうです。
まさに”もののけ姫”の世界です。
 実際、千葉県の里山では、多くの場所では現実には、多くの場所がこのようになってきてしまっています。
 しんとして、人にであうことのできない場所がどんどん増えています。里山から人がどんどん抜け落ちて、生活の糧を得られる場所ではない。地域の人も、殆どサラリーマンとして都市で働いていますから、昼間山には入る人がいない。


日本の森林への資金投入を積極的に行うこと

2005-10-01 23:15:35 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
● 日本の森林への資金投入を積極的に行うこと
 いま、日本の国土の67%を占める、森林をこれからどの様に管理していったらよいのか、大変な問題です。
さらに、田んぼを含む農業全体が、国際化の中で呻吟しています。
 決定的に、森林はまず投資不足です。
それ以上に、国民の価値観が減摩して、現場認識がまるで出来ていない。
 敢えて暴論として言えば、産業界が、輸出をし、外貨を蓄えることが、社会貢献のトップであると確信し、日本の自然環境をバーゲンしていることに問題があると考えています。
  自動車産業のトップが世界一を目指す行為の陰で、国内の森林が(敢えての農業全般がとは言いません)国民の最も大事な資源が、管理されないまま放置されている現状を考慮すべきです。
 森林は生き物です。最低50年、人の一生と同じ、ワン・サイクルが完結しません。まだ戦後の植林の結果が完全には出ていません。
 これから全国民に、国土の67%が、不良債権化し、その重荷が背負っていけるのかが、問われる時代に至っていると思います。



京都議定書とこれからの現実

2005-10-01 23:13:01 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 京都議定書でも、特に環境省は日本の森林の間伐や伐採によるCO2の排除数値を極めて高く評価していたと聞いています。co2対策での日本の削除数値のなかで大きな計算根拠であったと聞いています。
 しかし、実際にはほとんど間伐のされず、山林は放置されたまま、また、10年後には日本の田んぼを主体とした農地さえ、同じ扱いにすることを決した国です。日本は。日本中の里山、なかんずく中山間地帯を中心にして、これからぼろぼろと人の姿が消えていくことになると思います。
 毎年50万人単位で人口が減っていくことがほぼ確定しているからです。
ますます都市部に集中し、地方では生活しやすく、文化レベルの高い、地価の高い地域に人々が集中して生活することになると思います。まず、同じ市町村での、地域間の競争が激しくなります。市町村が、地方分権化の流れに乗って、諸課題を直接国側とやりとりすることがますます多くなると思います。

景観保全がもっとも大事な要素だと考えられます

2005-10-01 23:10:56 | 水質浄化:東京湾、船上からの報告
 地域在住とは、あっという間に何百年もの歴史が背景にある。
江戸末期のペルー等の外国人の東京湾に入って、日本の景観を観察しています
 里山に上って、そこから展望した千葉県や神奈川県での里山や谷津田のすばらしさに感嘆しています。
 これからは、地球市民の一員として、世界を旅する高等な渡り鳥が、どのような感覚で景観を見ていくのかの認識が必要に
なります。雁・鴨・白鳥や白鳥、トキ、コウノトリ等が、地域に定着することで故郷として認識してくれるか否か
 それらの最大の課題は、重要な要素としての、餌、安全・安心、が重要です。
 まず、景観とは、生活者の日常生活との結びつきがあって、はじめて美しく保つことができます。
 EU特にドイツのごとく、環境税は、森林の維持管理費用として使われています。景観保全は、その作業に費やす時間を、作業者として時間単価で換算したら、非常に費用のかかる世界となります。
 それらは、江戸の昔に、240年にも及ぶほぼ完全なリサイクル社会を形成することのできた唯一の国だからです。生活者の真のボランティア精神があってこそです
 日本での、完全リサイクル社会の原体験が、今ほど世界中から渇望され、貴重と思われている時代は無かったと思います

スローフードとLOHAS

2005-10-01 23:02:28 | 東京の街角からモニタリングでわかること
スローフードとLOHAS
  スローフードは地域の活性化の策として、NPOから始まった草の根運動の感覚がします。下からの盛り上げによって地域の再生に利しています。 LOHASは、企業社会におけるイメージ戦略から端を発した、上からの運動の感じがします。
 Lifestyleとしての生き方を問いながら、しっかりとデザイン化を加味して、商業的な味付けがなされている。特定される地域とか条件はなく、あくまで個人レベルでの感覚は主体になっています。
 
 LOHASで感じる勢いは、日本が江戸時代に責阿仁冠たる庶民文化を築き上げた、その勢いの再現ではないかと言うことです。
浮世絵に瓦草紙、瓦版、歌舞伎など、特に浮世絵の世界の凄さは、世界に知れ渡りました
 
 そこに、その差違を感じます。 それがひとつ、LOHASだろうか


千葉の農業を考える(4)少し解説します

2005-10-01 23:00:34 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
 全国的には農業とは、戦後の、生活圏を確保する運動から、戦後すぐに農業協同組合を形成して、生活の厳しさから行政との対応とを含めて生き残れる権利確保のため戦ってきた経過があります。
 千葉県では、温暖で雪も降らず、海の幸、山の幸に恵まれ、豊かな生活を確保してこられました。従って生活圏を戦って確保するような農協のような組織を形成した経験も少なく(従って現在も弱体のままと観察されます)現在に至っています。農政との対応はその証です。
 その過程で個々の農家と行政がケースバイケースで1:1で対応する必要が生じたときにバッフアーとなる中間組織が弱いという事態が生じてきます。非常時が生じた時に、この是々非々の関係が、行政が焦って一歩強権化策を弄したとなれば、たちまち成田闘争での三里塚のごとき状況を引き起こす可能性があります。
 いま、千葉の里山や谷津田では、圃場整備の経過で、国の意向で動く、土地改良区が主役で、そのパイプ役として資金投入を続けた結果として、県がほ場整備を通じて、県の農政そのものが、農家を結果として支配してしまう、戦前流で言えば大地主となってしまっています。
 県が大地主となって、小作人たる農家を管理する。まさにその結果、農業がうまくいかないケースが続出し、逆に国の施策にことごとく反対してきた農家が、結果として勝ち組と揶揄される状況が出来上がってきてしまっています。
 現在でも、裏では国と県からの莫大な圃場整備等の投資結果に対しては色々な課題が生じています。例えば反発は根強くあります。が、当事者が借金づけで真っ向から意見を言える状況にない事も事実です。

 手賀沼土地改良区等では、県はほ場整備率99.6%もの達成率を誇る。結果として鴨を含め生態系が壊滅的なダメージを受けている。いまでも大きく減少していますが、このままでは数年後に壊滅します。
 国内でも珍しいほど、鴨など水鳥がいなくなった場所となりかねません。地域に取って恥だと考えられますが、10年以上手賀沼の水質ワーストワンを継続した地域ですから、それをも感じる感性があるのでしょうか。
 それにしても、鳥の博物館や、(財)山階鳥類研究所がある箇所です
福嶋市長は、優れた行政手腕で著名です。
 でも、明らかに農業問題はアンタチャブルです。全国でも珍しく、中堅都市のど真ん中で空中散布を、いまでも行っています(さすがに来年度中に中止とのこと)でもラジコンヘリによる空散は行うのでしょうか?


江戸鎖国人が千葉の里山と谷津田を守ってきた→あらたに命名

2005-10-01 22:52:38 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
 千葉,江戸鎖国人(縄文・弥生人に対比して)とは、人としての生き方が現代流ではなく、江戸時代の鎖国された日本の農業にたづさわってきた方々の、現代に至っても基本の生活手法を変えずにきた方々を尊敬を込めて語る敬称です。
 千葉県下は、雪も降らず、都会が近く換金作物が、しかも2期作ができ、結果生活が比較的豊かで、普段行政との接点も殆ど持つ必要がないまま生きてこられたのが千葉県内でしょう。その様な方々の生き様のまま、壊されずにそのまま保全されてきているのが、現在の千葉の里山であり、谷津田だだと考えてみました。
 つまり、まずそこは江戸鎖国人が現在も生きていて、その魂がはっきりしているから保全されてきたのでありましょう。まんず、頑固人でもあり純粋でもあります。
 香取郡多古町のごとく、奥深くい里山や谷津田がいくつあるかわからないような箇所は、それだけ多くの現存する江戸鎖国人の存在を彷彿とさせられます。

 

千葉県での農業問題(3) 田んぼの現状は

2005-10-01 22:31:16 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
 米の生産量も価格も、本年度はどうでしょうか。
 若者の米離れが急速に進んでしまって、今後の基幹食糧としての位置付けさえ危なくなってしまっています。
 千葉県の産米の味に関しても消費者から厳しい指摘がされ、印旛沼周辺で栽培されたお米の価格や販売先は、特に心配です。
 工業用コメの極端な価格低下が生じております。輸入品、余剰品、いろいろとありそうですが、森林で生じたような極端な価格暴落(10年間で価格が1/10にまで)が生じるとしたら、工業用コメからだと言われています。
 千葉県の産米の味に関しても消費者から厳しい指摘がされ、一部の地域のコシヒカリは馬の餌になっているという噂もあります。印旛沼周辺で栽培されるお米の価格や販売先は、どうでしょうか。
 現在でも千葉県は全国一の空中散布県のままでもあります。米に旨みの元になると言われるミネラル分が不足しているのだという指摘もされています。
 バブルの期間に、宮城県や新潟県、秋田県などの米作中心の所である場所での田んぼ価格と、東京の近郊であった千葉県内では、まっく事情が違いました。
 土地バブルで、一時10Rあたり1億円にまで値段が付いた田んぼも大きく下落し、さらに現在は農家の高齢化も原因の一つとして耕作の放棄が広がり、それもあって田んぼの売買価格もかって考えられないレベルまで安くて落ちこんでしまっています。
 しかも、それら田んぼには別途の負担金が重くのし掛かって来ています。10aあたり30万円とか言われます。
 同時に大規模ほ場整備箇所であるほども、時間経過で水回りから傷みが出だして、30年を経過すると、マンションと同じで、マンション管理組合が、その修復費用をひねり出すのに四苦八苦している状況と同じ苦しみにもがいています。
 田んぼの地下の水回りがどのようになっていくのか、冷静に考えていかなければならない状況でもあります。
 かっての田んぼであれば、農家同士で話し合って、自由にコントロール出来たことが、ほ場整備の結果、マンションの区分所有みたいになってしまって、費用負担だけでは補いのつかない世界になっています。土地の周所有権は絹日本国憲法で保障されていますが、肝心の自分の周遊する田んぼに対して、自由に加工も出来ない、創意工夫も発揮できない状態です。
 政府が管理するマンションのごとき構築物の世界になってしまって、その負担すべき費用だけでも、大変です。

農業問題を考える(2) ほ場整備と農家の関係

2005-10-01 21:50:37 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
 千葉県の一部地域では、実質的に、田んぼのほ場整備進捗の経過で、千葉県農林水産部そのものがが、かっての戦前の大地主のごとく立場に立たされてしまった感があります。他県ではかって農家の生活圏を守る、あるいは確保するための運動として、農業協同組合が結成され、国と県、そして個々の農家の間に立っていくkと賀なされましたが、千葉県は今でもJAが弱いこともあって、結果としてその様な方法を選んだとしか言いようがありません。
 農家の方々は、国と県からの莫大な圃場整備等の投資に対して、国が、県が勝手にやりたいという事に協力したのだ、国や県がはじめたことだからと言うニュアンスで、田圃への投資された結果に対しての。大事な自発的な責任感が乏しい。
 今になって、国の農政に直結していると見られる各地の土地改良区の皆さま方の意見から、県の考え方との食い違いが随所で噴き出していると感じるのは私だけかも知れません。
 県は土地改良区や市町村の担当者との相対上、何も言うことが出来なくなって、硬直化してしまっている模様都感じられます
 例えばT土地改良区では、この改良区での最新型を含むほ場整備立率は99.6%もの達成率を誇ると、そこの事務局長さんがいいます。
 国は、ほ場整備等の費用として、平均して田圃10aあたり350万円もの設備投資をしたに関わらず、千葉県下では、現在農家同士での取引では田圃10aあたり50万円でも売買が成立しない有様だと聞いています。
 でも結果として、初期のほ場は30年以上の時間の経過のなかで、田圃の暗渠排水の水周りは、マンションの水回りが壊れていくと同様にして壊れかけているといいます。しかし、その補修費用の捻出が難しくなっている。米価の低下による採算性の悪化と、お百姓産さん達の老齢化の結果として、意欲はあっても働けないために減退が著しく、後継者がそっぽを向いているために、田圃等での売買ができない悪循環に陥り、結果として国や県は、表面化していなくても甚大な不良債権化している恐れが高い都考えられます。
 では、新しい農政策として、担い手によって大規模化して、稲作が採算が取れるものなのかが肝心です。
 でもその前に、15haもの田植えを行おうとすると、担い手さんは朝から夜まで、トラクター上で、半月も誰にも会うことのない生活を強いられる。結果としてへとへとになっての重労働は、変わりがない
 

 

日本の慣行農法と、ふゆみずたんぼのごとき農法の出会い(1)、

2005-10-01 21:24:15 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
 日本の稲作主体での農法に関わって、考えてみますと
1 ふゆ・みず・たんぼ(冬期湛水水田)をある地域で具体化しようとすると、たちまち、各県のそれぞれの、従来型農業政策とぶつかることになります。
 そこで、宮城県田尻町のように、環境省と組んで自然再生推進事業としての取り込み方で、膨大に増加した雁・鴨・白鳥の越冬地形成を目的として行政自体が「ふゆみずたんぼ」事業を開始するとすると(正にはじめてしまいました)国との意見交換が必要となります。水利権の問題等がそれです。
 国に対して、町としての行政責任で質問を発し、同時にこうあるべきと提言をする。経営レベルで言えば、直接相対ということで、市町村にワンセットでの、市民、NPO、大学、そして地権者(農家など)によって構成され、しっかりとした情報発信できる基盤があれば、県とではなく、国と直接相対を開始してしまいます。企業で言う中抜き、別名、問屋不要論となります。
 認可を求めるのではなく、こうしたらどうかと、具体案を出す。 国では、各市町村やNPO、個人からのたくさん出た提言を並べて、意見発表を聞き、その中から最適な方法論を複数選定し、それに若干の予算を付けて、期限を切って実行を促す。
 要は、現実に国がそれに直接解答をするとの関係が構築されだしています
 そこで、県との関係が微妙になってきます。
県は情報を管理する情報屋さんとしての立場があります。まあ一般企業として言い換えれば、かっての問屋さんの機能です。
 でも立場上県は、国と市町村との間の情報の中継ぎをすることになります。
 さらにその結果報告を受けて、審議会等によってそれらを評価し、全国へ普及させるべき課題として決定します。
そのために必要な、国としての法律的な整備と、若干の予算と、情報の広報を行います。
 でもその範囲で留まる。後は地域の県や都道府県側の自由裁量となります.
 市町村の中の勝ち組、元気な町などが、どんどん活躍をして、国とのパイプを太くしたら、地方分権によって、国と県と、市町村は対等ですから、県の存在価値が問われ出します
 県としては、情報の問屋さんとして、配下の市町村を管理したいという誘惑が強いでしょうが、国との関係が微妙になってきています。国自体がどんどん発信する情報に関して見試めす方式に変わってきていますから、事態の進展に県がついて行けないという事態も生じてきていると考えられています。

トヨタが主導するハイブリット車と、期待される燃料電池車

2005-10-01 17:24:16 | 東京の街角からモニタリングでわかること
 この講話の後、有志との話し合いの中で、二酸化炭素の排出源の最大要素が車であり、その燃料変換が急がれる事に関しての議論がされました。
 燃料電池の普及がキーワードであることは、事実として、トヨタ自動車が中心になって邁進している、ハイブリット車の普及が、かえって燃料電池車の開発と普及を妨げてしまうことにならないかの質問が出ました。
 たしかに、ハイブリット車は燃費が良く、地球環境に貢献することは理解出来ます。しかし、燃料がよい分、結果としてより大型の車両の販売に力が入り+-ゼロになるだけでなく、けっkとして普及を妨げてしまうことを恐れるとの意見も。
 

環境問題で思考の転換、二酸化炭素は人類の排泄物

2005-10-01 17:15:54 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
本日、文京区のNPO法人環境省ネットワーク・文京主催の勉強会に参加しました。
柳沢幸雄さん(東京大学大学院教授)の講話で、
人口の爆発的な延びの問題点から、人類の生存上の危機として、従来は
1 マルサスの人口論:食料生産力の限界を指摘し
2 ローマクラブ:資源供給の限界 が主張されてきたが、最近の論調から
3 気候変動:排出物の蓄積が重要との指摘をされた

 特に有限で変化しない代表物、地球をベースに考えて、人類の以上に排出している二酸化炭素こそが、火を使う生き物である人類の排泄物であると断じられた。これは目から鱗の考え方であります。
 先生は例として、熱帯魚を飼育すると排泄物が蓄積した環境はストレスとなり市を引き起こすとされ、定期的な換水が欠かせないが、人類は大気の交換をすることが出来ない、したがってこのままでは人類は滅亡の縁に追いやられる可能性が高いと説明された。
 非常に分かりやすく、怖い話しである。過去1,000年ほぼ変化の無かった気温変化が1900年より1999年まで100年間で始めて0.4度上昇し、これからの100年間で科学者は1.4度(mini)から5.8度(max)の幅で気温の上昇が予想されている。
 二酸化炭素が人類の排泄物だとの観点から言えば、地球温暖化現象は短期的な視点と、長期的な視点で両方で取り組むにしても、すでに手遅れなのではないかと言う悲観論も出てきている。、これからの資源対策としての水素燃料、風力
地熱、太陽電池などが実用化が急がれているが、そのポイントは化石燃料たる石油の価格であり、これがますます値上がりすることも、温暖化防止策上で、施策的には追い風と成ってきている。そのなかで原子力は、情報公開による市民の理解と、同様に廃棄物処理の流れが整備されたならば。改めて中期的な観点で見直される可能性が高い。なにせ二酸化炭素を出さないと言う点で、と解説されました。