田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

夏の飯田線旅行14 電車と競争4

2008-10-24 21:32:30 | 飯田線の旅
 電車と競争シリーズ最終回

 前回までの道筋は地図上の最短経路を選んでいるので、まあ、間違いのないところなのだが、この高松の交差点から先は問題がある。今を去ること10年以上前だろうか、飯田線ブームだった頃、とある雑誌にこの電車と競争の記事が出た。写真付でコースが紹介されていたが、ここ高松交差点から先のY字の分かれ道を左に進むルートを紹介していた。これも地図を見れば分かるのだが、幾分左ルートの方が短いかなと言う気もするが、左に行っても右に行っても距離はさほど変わらない。紹介していたのは確か鉄道雑誌だったから、彼らにとっては「どっちのルートでもかまわない」という判断だったろう。しかし、僕らは鉄道ファンの目線ではなく、あ~るファンの目線で検討しているので、ここは迷わず右ルートを進め!なのだ。



 前回の最後の写真の交差点をちゃんと信号待ちして、横断歩道を渡り、Y型の分岐の右に進む。目印はこのオレンジ色っぽいマンション。



 これは先ほどの分岐からしばらく進んで振り返った景色。
なんで、あ~るファン目線の僕らがこちらを進まなくてはならないか?それの理由がこの路地にある。まったく面影がなくなってしまったが、写真中央の道路右手の駐車場は、かつて道に面した所がずっと生垣だった。そう、OVAで競争させられたあ~ると浅野と岸田が息を切らせて立ち止まったのがこの場所だったのだ。生垣があった時分はまったくその通りの情景だったんだけど、これも時間の流れなのだ。



 進行方向に向き直る。部長と局長。局長が汗で溶けかかっているのがよく分かる。部長の頭上に写っている吊り下げ型信号機のある交差点までくればゴールはもうすぐ。



 信号機の交差点を左折。道のどん詰まりに踏み切りが見えてくる。この踏み切りは伊那上郷駅すぐ横の踏み切りだ。



 さらに進むと、ゴールの伊那上郷駅正面階段が見えてきた。ずっと上りのきついコースだったが、本当に競争するならこれを15~7分くらいで走破しなくてはならない。



 伊那上郷の駅名版。僕らはただ歩いただけだからそれほどでもないが、走ったらかなり疲れるだろう。しかし、思い起こせば今日は朝からよく歩いている。きっと夜のビールが旨いだろう。



 スタート地点下山村駅と同じ形の開放型の駅舎。但し上郷のほうが横に規模が大きい。電車と競争のスタート&ゴール駅の駅舎(待合)が同じデザインなのは無意識なのだろうか?どうも作為を感じるのだが。

 さて、しばらくして飯田行きの電車が来た。溶けている局長も冷房の聞いた車内で生き返った。

夏の飯田線旅行12 電車と競争3

2008-10-20 21:10:14 | 飯田線の旅
 風邪をひいたら微熱が1週間以上続いて、夜は寝込んでいたんだけど、やっと回復してシリーズ再開です。
 相変わらず道の写真が続く・・。



 野底川の右岸を登る。坂がきついが車通りは少ないので走りやすいのだ。



 しばらく登るとこの橋に出る。ここが加賀沢橋の交差点で、横断歩道と信号がある。横行する道路は交通量が多いので、しっかり信号待ちをしよう。



 横断歩道を渡ったら、また野底川の右岸の道路を進む。このあたりで丁度全行程の半分くらいだ。さすがに夏の終わりの炎天下にずっと歩き続けたので汗ばむ。局長はとろけて一回り小さくなった。



 少し進むとこの二股が現れる。ここで野底側から離れて右の分岐を進む。実はここから先がコース最大斜度を誇る上り坂だ。何回見てもうんざりする。鉄道ならばアプト式にでもなっていないと登れないような斜度だ。僕の背中でこの坂を見た局長がうなだれているのが分かる。



 写真では分かりにくいけど、結構凄い坂でっせ。
左に見える円筒形の建物は瀬口脳神経外科医院。かなり遠くからでも見えるランドマークで、コース中盤の目標になる。



 きつい坂を上りきるとこの高松の交差点。ここまでくれば一安心だ。ここまでは地図上のほぼ最短コースを進んできたので間違いはないだろう、さてこの先のルートは?

夏の飯田線旅行11 電車と競争2

2008-10-08 22:58:26 | 飯田線の旅
 気がついたら、せみの声が消えてコオロギが鳴いている。すっかり涼しくなって秋本番なのだ。でも、まだ夏のシリーズを続行中。
 さて、道順に沿って話を進めているので、どうしても変化のない写真が続きます。



 信号が青になったら天竜川支流の松川に掛かる新飯田橋を渡る。しばらくこのまま右側の歩道を突き進むのだが、適当なところで右に折れて松川に合流する野底川沿いに出なければならない。このあたり微妙に上り坂で、徐々に体力を消耗する。



 どこで曲がってもいいのだが、一応目立つ目安として、



 この食堂「市吉屋」の角を右折する。



 右折すると野底川が見えてくるので、そのまま橋を渡って川の右岸まで直進する。



 右岸に出たら、すぐ左折して川川沿いをひたすら直進だ。見ての通り、かなり勾配のある上り坂がづっと続く。この直進方向のずっと先が伊那上郷駅だが、当然ここから駅なんか影も見えない。
 局長が上り坂を見てげんなりしているが、進むしかないのだ。

夏の飯田線旅行10 電車と競争

2008-10-05 23:14:05 | 飯田線の旅
 飯田線と競走の話を少し解説する必要があるだろうか。飯田線は下山村から先、飯田駅を中心とした飯田の市街地を通るのだが、伊田の市街地は河川段丘の上に発達した町なので、その等高線にあわせて飯田線は大きく山側に入り込む形で迂回し急激な高度変化を避けるルートを取る。その結果、地形図で見ると大きな横倒しのΩ(う~んCでもいいんだけどね)型の経路になる。これを通称飯田市内巡回ループ(Ωループ)と呼ぶ。そこでループの口に当たる下山村と伊那上郷の駅間は直線では2キロ程度しかない。列車が飯田を底にするループを迂回し、なおかつ飯田駅での少し長めの停車時間(列車によって変わるが最小2分で、大体4~6分だった)でこの区間を走行するのにかかる時間は大体16分前後。これを電車対人間で勝負するのが飯田線のハイライト「飯田市内巡回ループ、電車と競争!楽しいぞ」である。長いので単に「電車と競争」と略す。最近は下りの完走列車がなくなり、飯田で確実に列車の乗換えがあるので、列車の所要時間が長くなって、競争の勝負バランスが大きく人間有利に崩れた。
 ルート的には上り下り双方向で勝負は成立するが、下り列車との勝負の方が人間が上り坂を走る為より過酷で、正統とされている。今回はこの正統ルートを歩いて移動するのだ。



 自分達が降りた列車が駅を出たら、それを写真に撮ってからスタートする。
駅は出口が一つしかないから、迷わずそこから出る。



 すぐ目の前の道を踏切とは反対方向、すなわち右に折れる。道はしばらくまっすぐ続く。この付近はまったく平坦だが、この先は登りばかりだ。



 しばらく直進すると、車通りの多い道と交差する。競争ルートは車通りのある道はそのまま横断せずに、横断歩道を渡るようにする。そこでこの道に行き合ったら左に曲がる。狭いながらも歩道があるので安心だ。



 少し進むと、変則4差路が見えてくる。青い看板が目印なのですぐに分かる。この交差点には信号と横断歩道があるので、信号に従ってここを渡るのだ。



 交差点を右に曲がる。つまり川に架かった橋を渡る方向に進むわけだ。



 空が夏の雲だ。歩いているだけだが、結構汗をかく。

夏の飯田線旅行9

2008-10-04 07:05:08 | 飯田線の旅
 天竜峡が寂れたのにはいくつもの理由があるのだろう。その中で一般にいわれている最大の理由は「駐車場問題」である。天竜峡そのものは渓谷だから、大量の大型バスが停まれるような駐車場を設置するスペースがない。その結果、バスで訪れる団体客の引止めに失敗したのだ。現在飯田線中部域のバス団体客の大多数は、近くの昼神温泉に行ってしまう。観光の目玉の天竜舟下りにしても、天竜峡から下流の「ライン下り」よりも上流である「舟下り」(路線で会社が違うのだ)の方がバス団体客が多い。舟くだりは、伊那八幡駅から少し離れた「弁天港」が起点で、天竜峡が終点になる。弁天港は駅から歩いて40分ほど離れていて電車利用だと便が悪いが、大きな駐車場がある。そこにバスで乗りつけた団体観光客は船に乗って川を下り、終点港である天竜峡の手前の時又港で降りてしまう。飯田線で言うと2個離れた駅になるのだが、ここにも河川敷を利用した大きな駐車場があり、弁天港で客を降ろしたバスが陸路を回送されて、乗船客を待ち構えているのだ。そして宿泊地の昼神温泉に移動してしまう。
 ご存知の通り現在の飯田線、特に南部~中部は本数が極端に少なく不便だ、その上で駐車場がないのでは客は素通りするだろう。川路駅が再開発(埋め立て)されて広大な空き地ができたときに、ここを大駐車場として整備して、飯田線パークアンドライドフリー切符でも設定すれば良いと思ったが、実現しなかった。JRには商売っ気がないし、今更何を言っても仕方ないことだ。

 天竜峡から列車に乗って飯田方面に移動、下山村で降りる。下山村~伊那上郷間の「電車と競争コース」を取材するのだ。ここに降りるのは久しぶりだ。天気も良くて絶好の競争日和だが、僕らは「競争」ではなく「取材」なので1~2本やり過ごすからノンビリ歩ける。



 下山村駅は、飯田市内巡回ループの入り口に当たる無人駅だ。かつては駅前に大きなアパートのような建物、天龍社の社宅があった。天龍社は正式名称を「下伊那生糸販売利用農業協同組合連合会天龍社」と言い、養蚕の会社だったが、養蚕業が斜陽でつぶれたらしい。建物は長く残っていたのだが、結局解体されて更地になった。



 列車は出て行く僕らは残る。



 片面のみのホームに開放型(扉がない)の大きな待合室。ここもまた無人駅だ。
今回はここから競争のゴール伊那上郷までのコースを歩いて移動する。