田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

初夏の田切掃除04

2011-05-24 22:09:00 | 飯田線の旅
 次の駅は三河東郷だ。ここは建て替え工事をしているのを車内から何度か見ていたので、建て替わっているのは知っていたが、やはりこうして間近で見るのは久しぶりだ。
 ここもコンクリート打ちっぱなしの平屋駅舎だった。ただ自動車道に面したいわゆる正面側には、こんな装飾があった。丸太を組んだ柵のようだが、これもコンクリート製で、偽木(ぎぼく)と呼ばれている物だ。これは何かと言うと、この駅付近で行われた長篠の合戦で織田軍が武田の騎馬隊の突進を阻止する為に建てたとされている場防柵だ。ただ味気ない打ちっぱなしではなく、こうした観光に関連した意匠を込めるのは好感が持てる。


 でも、反対(ホーム)側はいたってシンプルだ。人と比較しても、駅舎の待合スペースの小ささがわかる。


 ここにも使われている様子の無い待避線がありました。


 順番では次の駅は大海なんだが、ここは以前に写真を撮ってあるし、変化が無かったので、ちょっと見ただけで素通りした。
 そこで鳥居駅。ここはあ~るのアニメを見た人には馴染み深い駅だ。ここも古い木造の駅舎が建て変わっている。と言うか、駅舎を取り壊して、ホームに少し大きな待合室を作ったと言った方が正しように思う。白い外壁でおしゃれな出窓の待合室だ。


 裏側から見るとやはりシンプル。待合室としては田切よりも少し奥行きがあって広めだ。


 さて、駅脇の踏切から坂を見る。この上が通称「西園寺の丘」だが、あ~るを知らない人にはただの上り坂ですね。さて、この景色が危うくなりつつあるようだ。丘で何か大規模な工事が行われているのだ。


 少し視線を横に移動すると・・・何かの道路の桁だろうか?ここって三遠南信動が通る経路だったろうか。


 あ~るのアニメの景色も次々消滅しているが、ここもまた記憶の中の景色になるかも知れない。

初夏の田切掃除03

2011-05-23 20:53:00 | 飯田線の旅
 時間があれば野田城址を見学したいところだが、今回は駅の写真を撮るのが主目的だから先を急ぐ。

 東新町に着いた。この駅も建て替わっていた。前の駅の記憶が定かではないが、木造だったことに間違いはあるまい。コンクリート打ちっぱなしでないのがまだマシだ。駅舎のアプローチには車椅子対応のスロープがある。これも最近の飯田線の駅の流行だ。


 線路側から駅舎を見ると、ホームに大きな庇がある。これなら多少強い雨でも大丈夫だ。線路の手前側というか左側が少し広い地面になっているのが分かるだろうか?


 かつてはこの広い空きスペースにもう1本線路があったようだ。反対側のホームが残っている。しかし今では架線の支柱が立っているので2度と使われることは無いのだ。


 こいつも広角で撮ったから四隅にけられがある。ホーム脇の踏切を通過する119系。写真手前の右下に小さな花を写し込んだんだけど、あまりに小さな花で目立ってないな。


 次の駅は茶臼山。かまぼこ型の駅舎と言うか待合がある。昔はスレート瓦の平屋の駅舎があった。


 これが待合の中から似た様子。縦に細長い窓が3つ並んでいる。上の外から見た写真と比べてみてほしい。前はこの待合内にゴミが散乱し、壁には穴があいて、焼け焦げた跡などもあり、大変汚い荒れた印象だった。ところが今では結構綺麗に維持されている。近所の人か利用者が清掃管理に気を使っているのだろう。無人駅ではこうして人の手が入って管理されている状態が見えるのが大事なのだ。


 さらに北上は続く。この先だんだん山間部に入っていく。

初夏の田切掃除02

2011-05-17 20:42:00 | 飯田線の旅
 江島駅を後にして飯田線沿いを北上する。このあたりは線路と道路が寄り添っているので隣の駅まで数分で移動してしまう。
 
 東上駅に着いた。以前は木造平屋の古い駅舎だったが、やはりコンクリート製に建て替わっていた。無人駅の耐火化として仕方ないが、この打ちっぱなしコンクリートは飯田線の風景に似合わないように感じる。なじむにはあと20年くらい経って、古びてくる必要があるだろう。さて、この写真は駅舎前を少し引いて撮った。駅舎前の狭い空きスペースは駅舎側に向かってかなり傾斜している。その真ん中に無理やり小さく丸の安全地帯を書いて、ロータリーにしてある。ロータリーにするほど広くないし、そもそもすごい坂だからここで無理に回る人は居ないんじゃなかろうか?


 東上を後にして次の駅、野田城に向かう。ここはまだ木造の駅舎が残っていた。有人だった頃の駅務室のある大きな駅舎だ。周囲に民家も近く、意外と綺麗に維持されている。
 この野田城と東上の間に野田城址がある。武田信玄が火縄銃で撃たれ、その傷が元で死んだとされている史跡だが、堀や井戸の跡がかろうじて残るだけで、石垣や建物などの城らしい物は残っていない。因みに武田信玄を撃ったとされる火縄銃が、有名な信玄砲だ。普通「○○砲」って名前がついているのは、その砲を使った側の人の名前が付くのだが・・・デスラー砲とか。


 野田城のホームに停まっている119系豊橋方面行き。


 駅舎の屋根が大きく張り出したところ。以前ポイント切替機の大きなレバーが何台か並んでいたように記憶している。


 ホームの外側に退避線が残っていた。貨物があった頃の物だろうか?今でも本線と接続されているが、使われている様子は無い。


 広角でこんなの撮ってみました。四隅がけられている。


 古い駅舎が残っている駅がだいぶ少なくなった。それを寂しく思うのは僕のような古いファンだけだ。コンクリートの小さな駅舎がこれからの飯田線の風景になっていくのだろう。

初夏の田切掃除01

2011-05-09 20:14:00 | 飯田線の旅
 先日このブログの有料料金2年分を振り込んできた。と言うのも、写真が多い関係で、無料分の容量ではまったく足りなくなったので、2年前に有料サービスに変更しサーバー容量の増加を図ったのだ。それが2年契約と言うわけだ。あれからもう2年が経ち、また新たな2年が始まったのだ。

 すでに承知のとおり東北の地震で、恒例の春大掃除は延期していたが、あまり延ばすと夏になってしまうので、本格的に夏になる前に初夏掃除を挙行した。日取りはGW真っ最中の5月3~5日の3日間、時期的に青春18切符が無いので車両での移動とした。
 高速道路の休日料金上限1000円の特例措置が6月で終了するようなので、安く移動できるのもこのGWが最後だ。とみんな考えることは同じで、もの凄い渋滞が予想されたが、仕方あるまい。
 埼玉から2日夜遅く出発し、東名高速を西走し局長を拾いに行く。予想通り沼津付近が大渋滞だった。

 今回は少々調子の悪いメインカメラEOS-10Dを使わずに、サブのコンパクトG-2にいつもと違うさらにワイドのコンバージョンレンズを着けて持っていった。望遠はまったくだめだが、広角側が本来の32ミリの0.65倍、20.8ミリになる。こいつは面白そうだ。
 天竜二俣駅構内に置いてあるキハ20-433だ。最も広角側で低い位置から撮影。画面4隅にけられが出ている。中心部はシャープだが、周辺部の画質低下が激しいな。



 局長を3日早朝拾い、飯田線南部に向かう。今回は田切の掃除以外に、飯田線南~中部の建て替えられた駅舎の写真を撮影すると言う目的があった。そこでいつもの佐久間に直乗り付けでなく、まず、江島駅に向かった。その途上でこんなものを見つけた。
 これは新東名(前は第2東名って言ってなかったか?)の工事現場。これを見ると「静岡だな~」と感じる。何せ関東に居て新東名の工事のニュースなんて見たことは無い。静岡は長期在任した前の県知事が、極めて土木が好きだったのだ。
 橋がつながる寸前の先端部分に何かがぶら下がっている。工事そのものはGWで休んでいるようだ。


 アップにすると、こいのぼりだった。吹流しは絡まっている。この写真は望遠が必要なので予備機のFZ-20で撮影した。


 さて、今回の出だしの駅、江島につきました。飯田線はこの駅から天竜川の河川段丘沿いの景色の良い場所を走る。駅そのものは建て替えられていなかったが、駅前の民家で飼われていた犬が居なくなっていた。
 またワイドのG-2で撮影。画面周辺の画質がソフトで、最近流行のジオラマ風にも見えるのが面白い。


 これから飯田線沿いに駅の写真を撮りながら北上するのだ。