田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

飯田線沿線の温泉5

2006-04-30 21:36:05 | 飯田線の旅
 天竜峡を過ぎても、地図を見ると天竜川沿いには温泉マークが点在している。その多くは一軒宿の温泉だったりするようで、気軽に入ると言うには少し気が引ける。だいたい立ち寄り湯をやっているかも定かではない。
 僕らがホームグランドにしている田切駅の近傍も、飯島温泉である。田切と飯島のほぼ中間地点にあるのが「陣屋旅館」で、ここは格式ある和風旅館だが、温泉に外来の立ち寄りが出来る。値段は¥500。屋根と高い壁のあるものの一応露天風呂もある。そのすぐ外には飯田線が走っている。露天風呂に入っていると、たまに通る飯田線の音が聞こえてくるのが風情があって良い。これで屋根がなければ少しは星も見えるのだろうが、それは言うまい。ここに歩いて来るには、田切からでも飯島からでもほぼ同じくらいの距離だ。夏の駅下野宿の時などは、一番近い温泉として大変重宝する。

 所で佐久間ダムが節目の50周年ということで、ダムでは先日記念のイベントが行われたようだ。静岡新聞でも特集記事が集中連載された。電力館の喫茶店が閉店したり、アトラクションが故障したまま動かなかったりしていたのだが、これを機に修理したのだろうか。

交通博物館

2006-04-29 21:06:00 | その他
 今日、GWの初日に交通博物館に行ってきた。もうすぐ閉館と言うことで、もの凄く込んでいたので、見学そのものが大作業だった。交通博物館はおろか秋葉原にさえ行ったのは10年以上ぶりだった。実際前に行ったのが何年何月の何の用事だったか覚えていないほど昔なのだ。
 久しぶりに見た交通博物館は、記憶の中の交通博物館と大差なかった。建物の規模も扱っている物のスケールに比してかなり小さい。確かに移転拡大再開が計画されてしまうのがよく分かる。

 ところが秋葉原はだいぶ変わっていた。秋葉原がと言うより、秋葉原に集う人がと言った方がより正確だ。
 今回は秋葉原の駅の電気街口を出て、そのまま博物館方面に向かったので、いわゆるおたく街方面には足を踏み込まなかったが、驚いたことにおたく街方面から博物館内に何人か見学に来ていた。中でも目を引いたのは何かの制服のような物を着た2人組だった。最近アニメも漫画も見ないので、いったい何が元ネタなのか分からなかった(勉強不足ですいません)のだが、ピンクと白の極端なミニスカートとベストの制服のような服(ちょっと変な日本語表記だな)で髪の毛は元々が長いのか、あるいはカツラなのか、遠目にはコスプレ女に見える男なのだった。
 僕は男が女の格好をしようが、それで野外を歩こうが、そんなことをとやかく言う気はさらさら無い。似合おうが似合うまいが、自分がやりたければやればいい、露出をするとか、服を窃盗でまかなうとかの違法行為をやらなければ、それは保証された個人の表現の自由ではないかと真剣に感じている。では、何に驚いたかというと、確実に男であるのに、あまりにも華奢なことにである。だって腰回りが細いのはまあいいが、胸回りが腰回りと同じ位で細い、足も実に細い、その上、毛を剃っているのかオーバーニーのソックスとミニスカートの間の部分がつるっとしているのだった。
毛深いかどうかは個人の資質だが、胸板や脹ら脛や大腿部が細いのは男としてどうなのだろう?と、全くいらぬ心配をしてしまうのだった。
 僕なんかさすがに最近は仕事が忙しくて筋トレをさぼっているが、それでも胸囲は1メートル以上ある。足もだいぶ細くなったと嘆いているが、太ももなんて未だにガールフレンドのウエストと同じくらいある。
 さて、くだんのコスプレ男子は細い胸回りに、形の良い豊かなバストだった。あれってブラジャー付けて何か詰め物でもしてるのかな?詳しい人は是非教えてください。

飯田線沿線の温泉4

2006-04-28 20:04:30 | 飯田線の旅
 鉄道である飯田線は高低差の変化に弱いので、天竜川に沿って谷底を走るが、自動車道は川を避けて基本的には山の上の方を走る。
飯田線に沿って北上する自動車ルートも、国道151号は天竜峡あたりではだいぶ名古屋よりの内陸部を走っていて、自動車で旅行すると余り飯田線の風情は感じられない。だが、このルート上に多数の立ち寄り温泉施設が点在している。

 唐笠と天竜峡の間あたりにある「コスモスの湯」、その少し北には「湯里湖」(多分漢字表記はこれで合っていると記憶している、読みは「ゆりこ」)と「かじかの湯」がほぼ並んである。この中でよく行くのはコスモスの湯だ。ここは最初期からある温泉施設だ。国道沿いに大きな城のようなドライブイン(現在は道の駅でもある)「そばの城」があり、その脇の小道をぐるっと裏手に回り込んで結構進んだ所にある。国道から離れた立地のせいか余り目立たず、他の施設に比べて圧倒的に空いているので、大変くつろげるのがよろしい。
 一方、湯里湖は国道151に接してあるので、知らずに走っていても目立つこともあり、ちょいと立ち寄りの客もあり結構混雑する。
 湯里湖は「ゆりこ」と言う名前の人は(恐らく該当するのは女性だけだろうが)免許証などで証明すれば利用料が只になる得点がある。だいぶ前に入ったことがあるが、あまり広くなかった記憶がある。ただ山の上の方にあるので眺めは大変よい。
 かじかの湯も立地条件は湯里湖と同じで、いつ横を通っても駐車場に車が多いので、つい寄るのを躊躇ってしまうのだ。

飯田線沿線の温泉3

2006-04-27 20:04:22 | 飯田線の旅
 飯田線のもう一つの温泉地と言えば当然のように天下に名高き「天竜峡温泉」だろう。古くからの温泉場でかなり高級なホテルから国民宿舎まである。だが、近年になり、だいぶ衰退してきた。まず駅前にある大きなホテルが2軒廃業している。また天竜峡周遊コースにあった安い旅館も跡形もなく消えている。ここは僕の定宿だった場所だ。
 駅前のホテルは500円で外来入浴をしていたので、よく時間の都合を付けて入りに行った。何しろ駅の改札を出てものの1分も歩くと着くので大変便利が良かったのだ。その日の宿泊客が着くであろう午後4時前なら、がらがらに空いているのも良かった。ただここは、露天風呂の施設はなかったので、その点だけは少し不満だった。

 このところ列車で天竜峡を通り過ぎるたびに、駅から見える範囲の風景でさえ寂れているのが感じられて胸が痛い。「天竜峡」という名前だけは全国区で有名だが、その現状がこれか・・・と思う。こうも寂れた理由が、一にも二にも自動車での観光に対する対応が決定的に遅れた、と言うより現在でも行われていない事によるのだ。具体的にはここから中央本線の中津川に抜ける街道の中程に湧いた「昼神温泉」に客を奪われたのだ。温泉としては昼神温泉の方が新参者で知名度も低いが、あちらは大型観光バスを受け入れる広い駐車スペースを確保し、マイカー客&バス客を積極的に誘致したのだった。方や天竜峡は、その渓谷という地理的悪条件もあり、広い駐車スペースが作れなかった。また、駅の直近という立地条件に安心していたのかも知れない。結果として団体観光が列車から大型バスにシフトしたのに対応できなかった。時代に乗り遅れたのだった。
 現在、天竜峡を訪れるバスでの観光客は、季節によってリンゴ狩りなどを楽しみ、天竜峡駅付近には近寄らないで、上流の時又港までの船下りを楽しみ、肝心の泊まりは昼神温泉に行ってしまう。宿泊を伴わない観光客では観光地は儲からない、従って寂れていくのであった。

 さて、今夜はもう一つ、掲示板の方に常連のyuki氏から書き込みがあったが、マミヤが「カメラ」から撤退するらしい。これも時代なのだろう。マミヤと言えば、あ~るファンにはお馴染みの光画部顧問「間宮善三郎」の名字の元ネタになっているカメラメーカーだ。ちなみに名前の元ネタは、同じくカメラメーカーのゼンザブロニカ。国内でもカメラそのものや、フィルムカメラから撤退するメーカーが出始めているが、ついにマミヤもか、と言う思いはある。

 なんか寂れる話ばかりで、心侘びしい夜なのであった。

飯田線沿線の温泉2

2006-04-25 20:56:35 | 飯田線の旅
 立ち寄り温泉でも、最近は施設がもの凄く充実しているのでうれしい。
ことに露天風呂は人気らしく、それを売りにしている施設も多いのだ。
さて、立ち寄りの露天風呂には一つ不満がある。それは夜に星空を見られないことだ。理由は主に二つある。
1.星が出るような夜間時間帯は営業していない。
2.露天と言っても、屋根がついていて空そのものが見えない。
だ。冬など日の沈むのが早い時期にはそれでも多少星を見ることが出来るが、やはり営業終了する時間が早いのでゆっくり楽しむと言うわけにはいかない。
 また、温泉そのものの立地条件にもだいぶ左右される。つまり明かりが多いところ、街中ではいくら夜空が見えても、星は見えにくい。
 暗い夜空がゆっくり見られる露天風呂があると良いと思う。

 さて、湯谷温泉を過ぎると、飯田線はかなりの山の中というか谷底を這って進む。途中にもいくつかの町を通過し、何カ所かに温泉がある。
 近年は平岡駅が建て替えられて、大きな施設になった。ここにも温泉があるのだが、この場所で湧いているのではなく、少し離れた温泉から専用のタンク車で運んでいるのだ。それでも一応「温泉」と名乗っても良いのだ。
実はここにはまだ入ったことがない。と言うのも、街中にあって特に温泉の風情があるでもなし、どちらかというと銭湯のようなもので、わざわざ入りたいと思わないからだ。ただ、何しろ駅上温泉であるから、鉄道が好きな人には価値が高いだろう。僕もそのうち旅の行程に余裕があったら入ってみようと考えている。