従前よりフライヤーをゲット、9月の声を聞いたらぐるっとパスPart3発進、その後訪問しようと思っていた本展。
藝大でのSDG企画展が8月末までと知り、その最終日に合わせて訪問と決めました。
事前に下記添付のフライヤー左から4枚を色んな美術館で目にし、正直存じ上げない作家ばかりだなあ、と思いつつ、持ち込みでない都美独自キュレーションの企画展であることは明白なので、頭がくるくる🌀になる可能性は受認して伺ったんですが…
「世界にふれる、世界を生きる」がサブタイトル、5人のアーティストがフューチャーされています。
フライヤーは見つけた限り2パターン、表裏表紙の作品が異なり、内側は一緒。
今回は既に物故されている個々の作家に言及していきますが…
ジョナス・メカス 1922-2019 、リトアニア生まれ、ニューヨークへ亡命。その後映像作家に。「日記映画」。
受付経てエスカレーターで降って最初の作家、フライヤーでは1、6枚目が彼の作品。
会場内には彼制作の映像も流れていますが、写真でお分かりか、ムービーカメラの扱いを正式に習った経験のない彼の映像はピントがボケたり露出が合わなくなったり、が頻発。
今回はどなたもどうやって注目を浴びるようになったのか、という切っ掛けというか経緯というか、をもっと知りたい気がしましたが、この不思議な温かさを感じるピンボケ写真、確かに興味をそそる…
増山たづ子 1917-2006 岐阜県旧徳山村出身、カメラばあちゃん
増山さんはダム建設に伴い湖底に沈んだ徳山村に生まれ、ご主人が出征で戦死。
でも突然の生還も有りうべし、と帰国した際留守中にこうやって村が消えていったんだ、とご主人に見せられるようカメラを手に取る様になった…
その撮影枚数の多さ、尋常なさ、それをアルバムに整理したそのことが凄い。
そしてカメラの目線は次第にそこでの人々の日々の暮らしに向いていきます📷
ズビニェク・セカル 1923-1998 チェコ・プラハ出身、強制収容所を経て1969年にウィーンに亡命。その後もチェコには戻らなかったそうですが、今ではチェコを代表する彫刻家として知られる…
矩形、平板の素材に色々な傷跡?を付けてみたり、
60歳を過ぎてから、という各種箱状の作品群。
多言語に精通されていたので、強制収容所で各国言語での死亡証明書作成に携わり死を免れた、と展示にありましたが、
そうした死と向き合った不条理な日々が作品に投影、ということになるのでしょうが、
それとは別に雰囲気のある作品群でした。
シルヴィア・ミニオ・パルウェルロ・保田 1934-2000 イタリア出身、神奈川県で没
イタリアの美術大学在学中に留学で来た保田さんと出会い結婚。
その後東京で子育て中心の生活、お子さんの手が離れたところでご主人と大磯だったかな、に引っ越し。
ここで念願のアトリエを持ち、その後制作活動に入るのですが、60代半ばで病を得て死亡、と今回紹介の方々の中では早くに亡くなられた。
その後ご主人が整理された作品群と今回出会います。
彼女の作品は作品そのものが本当に語りかけてきます、凄い…
東勝吉 1908-2007 長年木樵として生活。その後入居した特別養護施設で83歳の時に水彩絵具と出会う
手元に置きたいNo.1、保田さんのはキリスト教色色濃いですからねえ…
しかも表現形式とか作品、対峙する山々、川によって変えてくるんですよねえ、素晴らしい。
語る言なし、写真でご覧ください。
さて、こういった制作活動が生きるモティベーションというか生き甲斐となっていった作家紹介を拝見した今回の入場料は800円。これが無料となって、ぐるっとパス効果は計1,000円となりました。
オリパラも終わり、このブログ制作が生活の中心になっている私。何処かで注目を浴びるようになるのかしら…
それには後30年???
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