田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

盤上の流行戦法・今昔

2018-03-26 20:38:02 | ヒゲの盤上の世界
最近の将棋を観ていて、想うものがあります。
それは、将棋の戦法です。
ヒゲ高校生が将棋の勉強していた昭和40年代は、大山名人の全盛期でした。
                  
だからなのか?
熊本のアマ棋界の8割は、四間飛車戦法。
1.5割が、ヤグラ戦法みたいな風でした。
居玉は絶対の悪で、必ず櫓か美濃囲いに入ってから、戦闘を起こすのが正統派の闘いでした。
つまり、今の“相掛り” みたいに、居玉でも構わない戦型はヨゴレ者のする事と。

しかし、ヒゲは、このふたつだけって云うのが、非常に不満でした。
もっと色んな戦法を楽しみたい!
せっかく将棋を指すのに、決まりきった定跡だけしかしないのは、もったいない!
そんな意識だったんです。
最近のTV将棋を見ていると、スタートは ・・・
  1. 2六歩  2. 8四歩  3. 2五歩  4. 8五歩
早くも、のっぴきならない展開です。 今でこそ、違和感なき指し手ですが。

しかし、昭和40~50年代当時のNHK杯将棋の、スタートは ・・・
  1. 7六歩  2. 3四歩  3. 2六歩  4. 4四歩
ここまで見て、ヒゲはトイレにこもります。
ゆっくり(大を)する為です。 (笑)
将棋は、見なくってイイの?
はい。 なーに、いつもと同じ手順だから、見る必要はないのです。
やっと済ませて画面をのぞくと、うーん、なるほどこの局面か。
想定内からハズれる事は滅多にありませんでした。

保守的な熊本ですから、当然ながら当時のアマは四間の振り飛車がほとんど。
例外は、熊本大学の将棋部の一部でした。
ヒゲ高校生たちは、ここで、やっと“横歩取り”なんかを楽しむ事が出来たのです。
そうは云っても、居飛車を指すのは極少数派。
流行ハズレの異端児扱い。
もちろん実戦では機会はありませんでしたが、ヒゲ高校生は色々な戦法を勉強していました。

例の升田流、棒銀3八角。
憶えてから20年経って初めて、実戦に登場するのです。
なんと相手は、奨励会三段。( 前ブログあり 2011.9.9 分 )
初めて使う定跡にしては、ハードな敵です。
そして、将棋プロVSマシーンで登場したコンピュータが指した、
序盤そうそうの相横歩取り7七歩!
相手のA級八段は、青ざめました。 こんな手が在るのか?
自らの首を絞めるような手にしか見えないが。
しかし、40年前(!)のヒゲ高校生は、この手の存在を識っていました。
                ( これも、前ブログあり )
もちろん、実戦で使う機会はありませんでした。
相手が居なかったからです。 (;´▽`A``

更に現在!
プロ間で見かける流行の戦型は、“雁木囲い”。
ヒゲ高校生の雁木の相手は、なんと江戸時代の棋士・天野 宗歩(!)でした。
            
           

和紙綴じの棋譜を、一生懸命かじりました。
もちろん、実戦で使う機会はありませんでしたが。
それが、今は堂々と指されている。
もし、昔の高校生ヒゲを現代に連れて来れるなら、ヤツは狂喜乱舞して喜んだに違いない。
振り飛車やヤグラだけではない、百花繚乱の戦型を見て、ヨダレを垂らすことだろう!? (笑)

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