さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹30 さらば!プリーよ!

2021-04-28 | インド放浪 本能の空腹
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30年近く前、私がインドを一人旅した時の日記をもとにお送りいたしております

前回、ミッキーマウスと言うレストランで、『友達』の少年シメンチャロ―が、他の少年従業員と共に空き瓶を片付けていなかった、と言う理由でオーナーから竹製の鞭でこっぴどく打たれる光景を見て、なぜか、こんなところにはいられない、日本に帰ろう、そして仕事をしよう、そんな思いにかられた、というところまででした

では、つづきを

******************


  K君に『カルカッタへ戻る』と、告げてから数日が経っていた。この間、バブーやロメオを交え楽しく過ごした。
 バブーとは映画も見に行った。相変わらずドンチャン騒ぎの支離滅裂な映画であった。その帰り道、おれはバブーにあることを相談した。

『バブー、実はボクがこの街に着いた日、ロメオの家に泊まらせてもらったんだ…』
『そのとき、ボクが日本から持って来たカメラ、それをロメオがお父さんにどうしてもプレゼントしたい、だからインド製のカメラと交換してくれないか…そう頼まれて交換することにしたんだ…』

『この話は前にもしたと思うけど、実はボクはまだそのインド製のカメラを受け取っていない…、間もなくプリーを立つけど、その前に彼にインド製のカメラをボクにくれるよう、バブーから話してくれないか』

 この時のおれにとって、実のところカメラ自体はもうどうでも良かったのである。どうせ持って来てもチャチなオモチャみたいなやつに違いないのだ。それでもおれがロメオにカメラを持って来させたかったのは、このままではおれとロメオの関係が「タカリと被害者」になってしまうからだ。
 このプリーで過ごした時間は、友としてのバブーやロメオ抜きでは語れない、それがどれほどオモチャのようなものであっても、約束したことを守って欲しかったのだ、でなければ『友』ではなくなってしまう。

『OK、コヘイジ、ボクがロメオに言ってやる、彼は、そう、時々お金や約束にルーズだ、それは良くないことだ』

 バブーに相談した翌日、ロメオがベスパもどきに乗ってやって来た。手にはカメラを持っている。

『ハーイ!コヘイジ!カメラを持って来たよ!』

 手渡されたカメラは想像通り、オモチャのようなチャチな造りの小型カメラであった。それでもおれは、ひとまず『タカリと被害者』ではなく、『友』としてロメオに別れを告げられることをうれしく思った。

 いよいよプリー最終日、おれはK君と西側の海岸を歩いていた。貝細工を売る少年を冷やかしたりしながらずっと端まで歩いた。
 一件のレストランに入る。K君が言う。

『コヘイジさん、おれ、ついにインドの洗礼を受けたかも…』

 「インドの洗礼」、つまりは下痢だ。およそインドを旅する日本人はみな一度は腹を壊すことがあるらしい。それが仕事上の短期滞在であっても、腹を壊さない日本人はいない、とまで聞いていた。その原因のほとんどが水である。
 幸いにしておれは、このプリーでの初日、甕から汲んだ水で作った水割りを飲んでもなんともなかったし、これまで一度も腹を壊していない。

『K君、大丈夫?』
『ううううう…』

 腹を押さえ苦しそうにしているK君を、少年従業員がおれたちのテーブルを拭きながらじっとみている。プリー、特に駅周辺から西側は、外国人観光客は少なく、こうしてもの珍しそうに見られるのは常であった。

『何見てんだよ!!』

 腹痛で気が立っていたのか、K君が少年を怒鳴りつける。少年が驚いた様子でおれを見る。

『大丈夫、大丈夫、なんでもない、心配いらない』

 おれがそう言うと、少年は怯えたような様子で去って行った。
 
 店を出て再び海岸、K君は先ほどの店で一度用を足したが、まだ腹の調子が悪いらしい、海岸にあった公衆トイレへ入る、するとそこの便器にはウ〇コの山…。

『無理っす…、何とか我慢します…』

 確かにここで用を足す気にはなれない、再び歩き出す。
 それでも、しばらくするとK君の調子は幾分良くなったようだ。K君が言う。

『小平次さん、海、入りません? 交代で』

 おれはこのプリーに来て、毎日海を見ていたが、足をつけた程度しかなく、泳いでみたい、とは思っていたものの、実現はしていなかった。いつもパスポートなどの最重要品は肌身離さず持ち歩いていたので、そんなものを砂浜に置きっぱなしで海に入るわけにはいかなかったからだ。

 K君もそれは一緒で、信用できる人間と交代で、でもなければ海に入る機会なんかこの先もないかもしれないのだ。

 K君が先に海に入る、下痢の方はもう大丈夫らしい。

『小平次さん、どうぞ、すげえ気持ちいいっすよ!』

 おれも海に入る。インドは今、冬であったがまったくそんなことは感じない、気持ちがいい、頭まで海水につかり、青空の下、沖へと少し泳いでみる、やはり気持ちいい。
 何かカエルの卵のような紐状のゼラチン質っぽい物体がゆらゆら波間に揺れている。なんの卵だろう。

 おれは十分に満足して砂浜へ上がる。これでこの街にもう思い残すことはない、十分だ、ありがとうプリー。

 あたりが薄暗くなった頃、おれはK君とプリー駅に向かった。出発の一時間前だ。バブーとロメオも見送りに来てくれることになっていたがまだ来てはいないようだ。二人で駅前に座って待つ。そこへ、突然『ヤツ』が現れた。

 不良インド人、バップーだ。

 バップーはニヤニヤしながらおれたちに近づいてきた。当然おれとK君は無視している。

Hi、ジャパニー、Hi

 相手にしない。

『ジャパニー、キミはロブスターは好きか? 石は? きれいな石に興味はないか?』

 バップーは馬鹿の一つ覚えのような誘い文句をK君に投げる。おれからコイツを相手にしないように言われていたK君は無視を決め込む。

 おれたちが目も合わさず無視をしていると、呆れたように『フゥッ…』と息を吐きバップーが言った。

『アナタタチハ、ヤッパリ、チョットクルクルパーネー』

 おれの胸に怒りがこみ上げた。おれは立ち上がり、バップーの目をしっかりと見据えて言った。

『バップー! クルクルパーは日本語でバカという意味だ。そしてそれをキミは知っていて日本人であるボクたちにその言葉を使っている、それはとても良くないことだ。』
『でも、ボクはキミを怒らない、なぜならキミはボクの大切な友人だからだ。』
『ボクはクリスチャンだ。Jesusはこの世界、全ての人に愛をくれた、だからキミは友人だ。Jesusは言った、「あなたの隣人を愛せ」と。だからボクはキミを愛している。たとえバカ、と言われてもキミは同じ神から共に命を与えられた友人だ、だからもう一度言う、ボクはキミを愛している!!』

 バップーはしばらくキョトンとした顔でおれを見ていたが、すぐに何かバツの悪そうな表情になり、下を向いて言った。

『…、I'm sorry…』

 それから自転車に跨ってこちらを見ずに言った。

『…、サヨナラ…、』

 おれは夜の闇に消えて行くバップーの後姿を見えなくなるまで見送った。

『小平次さん! すごいっすね!あいつ、ションボリして逃げて行きましたよ!』
『いや、…、まあ…、』

 後に決別することとなるが、この時おれがクリスチャンだったのは本当だ。だが、おれはやっぱりアイツが大嫌いだ。あのクソバップーを黙らせ、謝らせたことに、『愛している』 と言ったその言葉とは裏腹に

『ザマーミロ!』

と心では思っていたのであった。

 
 やがてバブーとロメオがやって来た。おれは二人と抱擁した。

 本当にありがとう。本当にありがとう。本当にお世話になった。ありがとう。

 おれは何度も二人に心で感謝した。

 夜の闇も深くなる。

 もう出発の時刻だ。おれは列車に乗り込む。3人がおれの席の窓に立つ。

 ゴト、ゴト、ゴトッゴトッ、ゴトッゴトッ

 列車がレールを軋ませ、ゆっくりと走り出す。

 まるでドラマか映画のように、3人がホームを駆け出しおれを追って来る。

『Goodbye、Koheiji!』

『Koheiji、Goodbye!』

『さよならー!小平次さん!さよならー! 日本に帰ったら必ず手紙書きますー!さよならー!』

 窓から顔を出し、おれは3人に手を振る、大きき大きく手を振る、やがて姿が視界から消える。

 列車の外はたちまち灯り一つない暗闇に包まれる。

 明日の朝にはカルカッタだ。

 凄まじい数のポン引きと物乞い、人、人、人、車、車、車、リクシャ、リクシャ、リクシャ!! けたたましい騒音、ゴミの山、手のない人、足のない人、指が全て蝋のように溶けている人、両足を失い、手作りのスケートボードを漕ぐようにやって来た老人、すべて現実だ。

世界最貧の街、と言われるカルカッタ、都市文明化の失敗作の街、と謳われたカルカッタ、世界一汚い街、と誰もが認めるカルカッタ。

 おれは、夜のサダルストリートでビビりまくり、ずる賢い詐欺師に15万もの金を払わされ、たった2日で、這々の体で逃げるようにプリーへ向かった。

 どこか海辺の街で、腰を落ち着け、そこの住人のようになり、友人を作り、街を歩けば挨拶をする人もいるくらいにゆっくりとその街に溶け込みたい、そう考えインドへやって来た。それ以外の目的など何もなかった。そしてその目的は十分に果たせた。だが、それはまだインドの一方の顏を見たに過ぎない。

『カルカッタ』

 この街こそインドそのものである。この街を逃げるように通り過ぎただけでは、インドを旅したなどと言えない。

『カルカッタ』

 リベンジだ!

************** つづく

ついにプリー篇の完結です。このブログで記事にした以外の細かな出来事もたくさんありましたが、将来、自分が記憶しておきたいだろうことを中心に記事にしてきました。
いよいよ次回からカルカッタリベンジ編です。かなり濃い内容になると思います。引き続きお読みいただければ幸いに存じます。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。



 
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インド放浪 本能の空腹29 LONG VACATION

2021-04-08 | インド放浪 本能の空腹

イメージ プリー東海岸


こんにちは
30年近く前、私がインドを一人旅した時の日記をもとにお送りいたしております



*****************************

 ある日のこと、おれはK君と銀行へ両替に行き、そのまま昼飯をいつものミッキーマウスで食おうと、東側地区へ向かって歩いていた。

 前方から、見覚えのある男、いや、忘れることなど絶対にない男、そう、あの『不良インド人バップー』が自転車に乗ってやってくる(インド放浪 本能の空腹 24 『不良インド人 バップー』)。

 バップーとはあの一件以来、せまい街だから度々路上で出くわしてはいたが、もちろん会話も挨拶もしない、ただガンの飛ばし合いをするのみであった。
 バップーはおれに気づくと、あの一件の日と同じようにニヤニヤとしながら近づいてきた。K君に興味を持ったのだろう。だが、近づくにつれ、バップーの表情が心なしかこわばり、緊張したような顔になった。

『Hi ジャパニー、友達…、 か?』

『ああ、友達だがキミに用はない』

『…、キミはどこから来たんだ?』

K君には通じない。

『彼は日本人だ』

おれが答える。

『エッ! ジャパニーだって!? ……、 フランス人かと思った…、』

 K君は、自転車の旅で多少陽に焼けてはいたが、本来は色白でスッキリとした爽やかな顔立ちの青年だった。少し長めの髪もサラサラで、確かにイケメンではあったが、『フランス人』ってのはよく意味がわからない。おれと初めて会った時は、見るなりすぐに『ジャパニー』と呼んだくせに、気に入らない!。それにしても相手がフランス人だと思うと、あんなに緊張した表情を見せるのか! 卑屈なやつめ!

 そんなバップーは、K君が日本人だとわかると、すぐさまワルインド人の顏に戻り、ニヤニヤして言った。

『Hi、ジャパニー、キミはロブスターは好きか? 石は? きれいな石は欲しくないか?』

 おれに声をかけて来たときと同じことをK君に言う。
 おれは語気を強めてバップーに向かって言った。

『彼は! ロブスターも石も興味ない! 関わらないでくれ!!』

『Hi、Hi、アナタハ、チョット、クルクルパーネー』

 バップーはニヤニヤとしながら、人を小馬鹿にしたワル顏のまま去って行った。

『小平次さん! アイツ、今クルクルパーって言いましたよね! アイツっすか? 前に小平次さんが言ってたワルインド人って?』
『うん、K君、そう、アイツがバップーだよ、絶対に関わらないようにしなよ!』
『大丈夫ですよ! あんなヤツ相手にしませんよ!』

 おれたちは少しばかり気分の悪い思いをしたが、気を取り直して再びミッキーマウスに向かって歩き出した。

 ミッキーマウスにに着くと、いつものようにシメンチャロ―が眉をハの字にして嬉しそうに駆け寄って来る。そしていつものようにシメンチャロ―を交えて談笑する。いつものように、いつも通り平和な時間だ。

シメンチャロ― K君撮影

 ところが…

『〇#!!◆▼!#!!!!!!!』

 突然、裏口の方から大きな怒鳴り声がした。

 振り向くと裏口に、大柄で恰幅の良いインド人男が何か喚いている。その周りを、シメンチャロ―と同じ年頃の少年従業員たちがオロオロと動き回っている。シメンチャロ―も、少しばかり顔を引き攣らせあわてて大男のもとへ駆け寄る。

『〇#!!◆▼!#!!!!!!!』
『〇#!!◆▼!#!!!!!!!』
『〇#!!◆▼!#!!!!!!!』

 大声は止まらない、その内、大男は近くにあった細い竹製の棒、を手に持ち、鞭のようにしならせ子どもたちを打ちつけはじめる。

『ビシッ!』
『ビシッ!』
『ビシッ!』
『ビシッ!』


 その音だけでも、相当に痛いであろうことがわかる。

 打たれるたびに子どもたちが『ウッ』と小さく呻く。

 もちろんシメンチャロ―も打たれている。

 子どもたちは打たれながら空き瓶を片付けている。

 子どもたちが瓶を片付け終えると、大男は何かを言って、ようやく打つのも大声を出すのもやめた。

 それから大男は、店内にいた唯一の客で会ったおれとK君の方へ、少し興奮した面持ちで近づいて来て言った。

『私はこの店のオーナーだ。今の光景を見ていたと思うが、どうか気を悪くしないで欲しい、彼らは、彼らのすべき仕事をしていなかった、だから私は彼らを叱った、これは彼らが仕事をしてお金を得る、それを理解させる、彼らのためのトレーニングなのだ、だからどうか気を悪くせず、食事をして欲しい…』

 日本では考えられない光景、目にすることなどあり得ない光景、おれとK君はかなり困惑していた。本来小学校に行くような年齢の子どもたちが、学校にも行けず、働き、鞭ような棒で打たれる、それをおれたちがどれだけ残酷な光景だと思ったとしても

ここは

『インド』

なのだ。

『わかった、よく理解した』

 おれがそう言うと、オーナーは少し微笑んで去って行った。裏口に目をやると、いつも以上に眉をハの字にしたシメンチャロ―が、おれたちに心配をかけまいとするかのように無理な笑顔を見せていた。

 おれは、初めてシメンチャローに会った時のことを思い出していた。

『コヘイジ、インドにはどれくらいいるの?』

『わからない、帰りたい、って思うまでかな』

『仕事は? 仕事は大丈夫なの?』

『……、 仕事は、…、今、LONG VACATION…、なんだ』

『そうか、いいなあ…』

 この時、おれの中で何かがささやいた。

『LONG VACATION…、 そんな、そんな長い休み、もう終わりにしなくちゃ…』

 同時におれは口を開き、K君に言った。

『K君、おれ、そろそろ帰るかも… 日本に…』

『えっ!』

『いや、日本に帰るかはまだわからないけど、とりあえずカルカッタに戻る、とにかく…、あのカルカッタへ…』


*******************  つづく

この時、なぜ突然そう思ったのかは、30年近く経った今でもわかりません。


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インド放浪 本能の空腹28 『明日は明日の風が吹く』 

2021-03-11 | インド放浪 本能の空腹

画像引用元 (そうだ、世界に行こう インドの田舎村でホームステイしたらカルチャーショック祭りだった )イメージ

こんにちは
30年近く前、私がインドを一人旅した時の日記をもとにお送りいたしております

前回、英語もままならないにも関わらず、自転車でインド半島最南端まで走破しようと言うツワモノ、K君、とダッカで別れて以来、奇跡的な再開を果たし、二人で昼飯とホテルの予約をしようと歩き出し、そして、着いたホテルでK君が全て日本語で押し通して予約をして見せた、というところまででした



つづきです

***********************


 オーナーの奥さんが日本人、と地球の歩き方に出ていたホテルでK君が一週間分の予約を済ませ、おれたちはまた通りへと出た。シメンチャロ―の働くレストラン、『ミッキーマウス』はこのホテルからすぐ近くであった。
 
 通りを歩いていると、またよく見かけるサイクルリクシャ引き(以下自転車引き)の男がいた。男は、柔らかく温かいふわふわとした陽射しに包まれ、リクシャの横に寝そべりのんびりとくつろいでいた。男は寝そべったままおれを見つけ言った。

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『Hi、ジャパニー、友達か?』
『ああ、友達がプリーに来たんだ』

 自転車引きの男はゆっくりと立ち上がり、笑顔を見せた。しかし、その表情が見る見るうちに驚愕の表情へと変わった。

『おい!すごい自転車だな!!』

 自転車引きの男は顔を紅潮させ、K君の自転車をまじまじと見回す、自転車で飯を食っているプロとして、素人のおれでもわかる、かなり高性能の日本製自転車に興味が惹かれたのであろう。

『なあ、少しこれ、乗らせてくれないか?』

 自転車引きの言葉をK君に伝える。K君が即座に答える。

『ダメだよ!それはできない!』

 K君の言葉を自転車引きに伝える。

『なあ、頼むよ!一度、ほんの少しでいいから乗らせてくれよ!』

 これからまた、ガイドブックなどにも出ていない街を含め、インドと言う魔界のような国を2,000キロ近く走ろうと言うのだ、この自転車はK君にとって、命を託す大事な相棒、戦友、とも言えるものだろう、それを会ったばかりのインド人に貸すなんてことができるはずがないのだ。

『なあ、頼むよ!なあ!』

 K君の答えは変わらない、それでも食い下がる自転車引き。

『なあ! … それならどうだ!? 自転車でおれとレースをしないか? それでおれが勝ったら乗らせてくれよ! そうだ! おれはこの男を後ろに乗せて勝負でかまわない!』

 なんと!自転車引き、K君の最新式日本製自転車に勝負を挑んできたのだ、しかもおれを後ろに乗せて勝負だ、と言う。
 自転車引きのリクシャ、頑丈そうだがとても速そうには見えないインド製、しかもおれを乗せて、そんなの勝負になるはずもない。それにどんなこと言ったってK君は自転車を貸さないだろう、と思っていたらなんだかK君の闘争心に火が点いてしまったようだ。

『コイツ、ナメてますよね、小平次さん後ろに乗せて、このオンボロ自転車で勝とう、って言うんですかね、よし!やってやる!』

 こうしてインドの片田舎で、自転車のハンディキャップレースが行われることとなった。おれは自転車引きに言われるまま後ろの座席に座る。

『あそこの緑の看板までだ』

 自転車引きが指をさす、道は直線、傍らにいた別の自転車引きがスターターを務める。

『Start!』 

 同時にスタートラインを飛び出す、すぐさまK君が差をつけ圧勝、と思っていたが、なんとスタートからしばらく二人は併走、決してK君が手を抜いているわけではない、細身ながら筋肉質な背中をおれに向け、自転車引きは猛然とペダルを踏む、加速が増していく、しばらく併走が続く、目いっぱいペダルを踏みながら、驚いた様子でK君がこちらを見る、すごいぞ!自転車引き!

 予想外の併走がしばらく続いたが、中盤過ぎからはやはり性能の違い、おれを乗せているハンデも大きく、一気に加速をつけたK君がおれたちを引き離してゴールイン、K君にだいぶ遅れておれたちもゴール、レースは終わった。K君が自転車を降りて言った。

『すごいな!おまえ! 一瞬ヒヤっとしたよ! いいよ!少し乗らせてやるよ!』

 自転車引きの健闘を称え、K君が自転車を自転車引きの前に回す。自転車引きはうれしそうに握手を求め、それから自転車にまたがった。

 ミッキーマウスに着くと、いつものようにシメンチャロ―が、眉をハの字じして困ったような顔をしながら、それでもうれしそうにおれたちのテーブルへ駆け寄って来る。

『コヘイジ、友達?』
『そう、友達、K君と言うんだ』
『ボクはシメンチャロ―』

 シメンチャロ-が右手を差し出す、それにK君が答える。

『小平次さん、こいつ何だか困ったような顔してますね! おい!なにか困ってるのか!』

 K君が笑う、おれも笑う、シメンチャローも笑う、シメンチャローとK君はすぐに『友達』となった。

シメンチャロ― K君撮影

 おれたちは再会を祝し、ビールで乾杯、大いにこれまでの旅の話で盛り上がった。

『地球の歩き方なんかに出ていないような街に行くとですね、日本人、って言うか外国人自体珍しいんでしょうね、しかも自転車だし、大人も子供もみんな集まって来るんですよ!

何言ってるかはわからないんですけどね、身振り手振りで…、

多分名前聞かれたんですよ、それでね、おれ、立ち上がって胸張って、大声で言ったんです!』

『アイアム、サダムフセイン!』 

『みんな大笑い、すげえウケましたよ!』

 やはり『ツワモノ』だ。大いに盛り上がり、ミッキーマウスを出た時には、もう夕暮れであった、少し歩くと、今しがたレースをした自転車引きがまた、道の隅に寝そべっていた。自転車引きはおれたちに気づくと、立ち上がり傍らのウイスキーの瓶を持って近寄って来た。

『さっきの自転車のお礼だ、飲もう!』

 自転車引きは屋台の男に声をかけ、グラスを受け取り地べたに座り込む、そしてウイスキーを注ぎおれたちに差し出す。
 おれとK君もその場に座り、礼を言ってからウイスキーを啜る。しばしの談笑、やがて急ぎ足に陽は沈み、辺りは通りの薄暗い灯りだけの夜の闇に包まれる。

 おれたちのいる通りの北側には、だだっ広い荒れた土地にヤシの葉で造ったような掘立小屋が無数に並んでいた。
 
 自転車引きが、心地よさそうなほろ酔い口調で言った。

『俺の家は… あの中にあるんだ、貧しい家さ…』

 おれとK君は黙って聞いていた。

『2年前、大きなサイクロンが来て、この辺りの家はみんな吹っ飛んでしまった…』

『それは大変だったね』

『どうってことない、吹っ飛んだらまた建てるだけだ…』

 自転車引きは、決して悲しそうな表情など見せず、かと言って無理にそうしようとしているわけでもなく、ただほろ酔いの心地よさにひたり、軽く微笑んでそう答えた。

 おれとK君はウイスキーを啜りながら、点々と灯る掘立小屋の集落を見つめていた。

 自転車引きが突然、日本語で言った。

『アシタハアシタノカゼガフク…』

 驚いておれはK君と顔を見合わせる。

『その意味はわかっているのか?』

 自転車引きは微笑んでから答える。

『Tomorrow is another day…』

 二十代半ば、おれはそう大きな挫折も失敗もない人生を送ってきた。ここまでは順風満帆だ、だが、この先、これが続くなんてあり得ない、必ず大きな試練や壁にぶち当たることがあるだろう、その時におれは、インドの漁村でインド人が言った日本語のこの言葉を、思い出すことができるだろうか…。

 いつかきっと、逃げることも立向うことも困難なことがおれを襲うことがあるだろう、おれは掘立小屋の消え入りそうな仄かな灯りを見つめながら、必死に自転車引きの声と言葉を心に刻み込もうと、胸の奥ででそれを何度もつぶやいた。


*************** つづく


※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。



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インド放浪 本能の空腹27 『ツワモノ!』

2021-02-24 | インド放浪 本能の空腹
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こんにちは

久々のインド旅行記です。

30年近く前、私がインドを一人旅した時の日記をもとにお送りいたしております

前回、ダッカで知り合い、カルカッタで待ち合わせの約束をした、自転車でカルカッタからインド最南端のカーニャクマリまで走破しようという野望を持つ日本人青年、K君、カルカッタで会うことはかなわず、なんとこのプリーで奇跡の再会!

2人ともカルカッタで、小芝居からセリフまで同じだったという詐欺に引っかかってしまったことが判明、痛い話ながらも久しぶりの日本語の会話に大いに盛り上がった、というところまででした。

では、続きをどうぞ

***********************

 プリーの東側地区は、おれのいる西側地区とは違い、貧しい漁村や掘立小屋に住む人たちが多く、貧乏旅行者向けの安宿もこちら側に集中していた。

 オーナーの奥さんが日本人で、ちょっと遠出するときなどにはおにぎりを作ってくれたりするという安宿の情報が地球の歩き方に出ていた。K君がそこへ宿をとりたいと言う。

『OK、そこならっ知ってるよ、一緒に行こう』

 おれたちはホテルを出て歩き出した。
 
 自転車を引きながら歩くK君と並んで、ホテルの通りを駅の方へ向かい右に折れる、そこからバブーとロメオ、二人の中学校時代の担任教師と『キン〇マ』の大合唱の宴をした掘立小屋のレストランの脇を通り、海岸線の道へと出る、海岸線へ出て左、しばらく歩くと安宿や、貧乏旅行者向けのレストランが並んでいる。

『ヘイ!ジャパニー! 友達が来たのか!』

 よく会うサイクルリクシャ―引きの男が声をかけてくる。

『ああ、彼は今朝プリーに着いたばかりだ』

『そうか! それは良かったな!』

 リクシャ―引きが嬉しそうに笑った。

『小平次さん、すごいですね!この街で結構顏知られてるんですね!』
『いや、毎日だらだら歩いているからね』

 やがてお目当ての日本人奥さんのいるホテルへと到着、いかにも貧乏旅行者向けの味わいあるインドらしい安宿だ。

 狭い入口から中へ入る、すぐ右手に小さなフロント、のようなものがあって大柄で体格の良いインド人男が座っている、K君はその男を見るといきなり日本語でまくしたてた。

『おれさぁ!』

と言って自分を指さす。

『今日からここに!』
 

と言って床を指さす。

『泊まりたい!』

と言って、両手のひらを合わせ頬にあて、首を傾け『寝る』、という仕草をする。

『一泊! いくら!?』

と言って人差し指を立て、『1』を示し、それから親指と人差し指で輪を作り、再び『いくら!?』とまくしたてる。

 フロントの男は目をパチクリさせ、入って来てくるなり、いきなり日本語でまくしたてて来た日本の若者に驚いているようだ。

『一泊! いくら!?』

 K君がジェスチャー交じりで繰り返す。

『……、 30 Rupee…、』

 通じたようだ…。

『一泊30ルピーって言ったんですよね? ところで小平次さん、いつまでプリーにいるんですか?』
『うーん…、決めてないけど、まだしばらくはいるつもりだよ、ここからあまり動く気はないから』
『そうですか、じゃあとりあえず一週間くらい予約しとこうかな…、えっと、一泊30ルピーだから、…、210ルピーか!』

 K君はそう言って財布から210ルピー取り出しまたまくしたてる。

『そしたらさぁ! 一週間! 一週間泊まるから! 210ルピー!ほら! OK!?』

『One week? OK』

 また通じたようだ。

 おれはダッカで知り合ったときにK君が言っていたことを思い出していた。

『小平次さん、おれ中学しか出てないんで、英語とかさっぱりわかんないです、ほんと、This is a pen、くらいしかわかんないんです、でも、まあ何とかなりますよ!』

 本当に何とかなってしまった。カルカッタからプリーまで自転車でやって来たのだから、当然ガイドブックなどには出ていない街にも滞在しただろうし、その中には観光客慣れもしていないような街もあったろう、それを今の調子で、日本語でまくしたてて乗り切って来たのか!

 まさに

『ツワモノ』
 

である。

 たった一人で英語もままならず、それでも自転車でインド最南端まで行こうと言うのだから、本当に大した男である。
 そんなツワモノのK君ですら、ダッカの喧騒と混沌に気圧され、カルカッタではしばらく一緒にいて欲しい、とおれに願い出てきたのだ。それが互いに詐欺にやられ、会うことすらできなかった。ダッカがかわいく思えるほどのカルカッタの喧騒と混沌、それがいかに凄まじいものなのか、わかろうというものである。

 無事にホテルを予約し、おれたちはまた通りへと出る。シメンチャロ―のいるレストラン、『ミッキーマウス』もほど近い。

『K君、すぐ近くにおれが良く行くレストランがあるんだ、そこで再会を祝して一杯飲ろうよ、おれがおごるよ!』
『いいんすか!?小平次さん、詐欺にやられたのは小平次さんの方が大きいのに!』

 おれたちは思わず吹き出し、ミッキーマウスへと向かった。


******************

Kくんは本当にすごいやつでした。これからしばらくK君とつるんで過ごします。後にバブーやロメオにも紹介し、つるむようになります。
K君、今どうしてるかなあ?
帰国後、しばらくは手紙のやりとりをしたんですが、私が引越しを繰り返している内、いつの間にか途絶えてしまいました。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。


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インド放浪 本能の空腹26 『奇跡!!』

2020-12-04 | インド放浪 本能の空腹

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30年近く前、私がインドを一人旅した時の日記をもとにお送りいたしております

今回の記事は、過去記事

『インド放浪 本能の空腹 ④ 『サダルストリート』

インド放浪 本能の空腹 ⑧ 『ラームと買い物 2 』

インド放浪 本能の空腹 ⑨ 『ラームと買い物 衝撃的な結末』

の三編を、斜め読みでかまいませんので、先にご一読頂けると、より一層楽しんで頂けるかと思います
ぜひとも宜しくお願い致します


******************************************************

 おれは以前スペインを中心にヨーロッパを旅したことがある。最初にドイツのフランクフルトに入り、そこから一日半ほどだったか、列車に揺られ、バルセロナに到着した。
 早朝、閑散とした駅構内でホテルの案内所を見つけ、そこへ向かって歩き出したところ、右前方から見慣れた顔の男女が歩いてくるのを見つけた。男の方は、おれの大学の音楽サークルの後輩でパーカッションを担当しているF、そしてFの彼女であった。

 同じ時期にスペインを旅行していたのは知っていたが、待ち合わせたわけでもなく、互いにスペインのどこへ行くだとかを全く知らなかったのだ。にも関わらずこの『偶然』、本当に驚いた。
 新宿の歌舞伎町あたりだって、同日、同時刻に友人同士がたまたまそこにいたからと言って、偶然に出会える確率なんてとても低いだろう。それがスペイン一国、おれの列車が1分遅れていたら出会えなかったろう、まさに奇跡である。


 ある日のこと、おれはベッドに寝ころんでガイドブックを読んでいた。そこに、『インドの新手の詐欺師』のことが書かれていた。それは、露骨なポン引きとは違い、友人になったように見せかけ、一緒に買い物をして高額な商品を買わせる、というものだった。

 まさか!! カルカッタで出会ったラーム!? いやいや、そんなことはないだろう、もしラームが詐欺師だったら、いくらインド人だからと言っても、おれは人間不信になってしまう。

 あれは、おれが米ドルの買い物を勝手にルピーと勘違いして、金持ちのラームと同じようなペースで買い物をした、全て自己責任で起きたちょっとした事故だ…。  のはずだ…。

 いやな考えが頭に浮かんだおれは、それを払しょくしようと外へ出た。西側地区の街道沿いのバザールへ行ってみよう、そう思い歩き出した。
 ほどなくして街道沿いのバザールに到着、雑多な店が雑に並んでいる。おれのいる辺りとは違う賑わいを見せている。

 日記では音は書けないが、インドの街を歩いていると、ひっきりなしにどこかで、あの不可思議な音階のインド音楽が鳴り響いている、インド人は映画だけではなく音楽好きでもある。

 土産は、カルカッタでラームに連れられていった店で、少々高い出費、15万もの買い物を済ませ、すでに日本へ送っている、だからここで特段買いたいものがあるわけでもなく、ひやかし気分で雑に並んでいる店を見て回っていた。

『おーい!』

 どこからか『おーい』と声が聞こえる。

『おーい!』

『おーい!』

『おーい!』

 その声が近づいてくる。 ん!? 『おーい』? 日本語!!? おれはあわてて声の発信源を探す。
 

『おーい!』

『おーい!』

 おれはついにその声の主をみつけた。街道沿いに走って来る自転車、運転しているのは男、さらりとした髪をたなびかせ、サングラス、白いシャツに黒っぽい短パン、その男が手を振りながらおれに近づいてくる!

『けっ…、けっ…、けっ…、  !!』

『K君!!!』
 
『小平次さーーーーーーーん!!!』

 なんと!!

 同じ飛行機に乗って、ダッカで2日間一緒に過ごしたK君!!

 自転車でインド半島最南端まで走破しようとの野望を持つあのK君!

 そんな破天荒な野望を持ちながら、ダッカの凄まじい混沌と喧騒に気圧され、『小平次さん、カルカッタってここよりもすごいんですよね、おれ、不安なんでしばらく一緒にいてくれませんか?』と、おれに頼んできたK君!!

 違う便で先にカルカッタ入りし、待ち合わせをしたSホテルにいなかったK君!!

 ダッカと言う、世界でもトップクラスの喧騒と混沌の街で濃すぎる時間を共に過ごした。たった2日間とは言え、おれたちはすでに親友のようであったのだ。

『K君!!』
『小平次さん!!』
 

 K君が自転車を降りる、おれたちは周りの目も憚ることなく思わず抱き合った。

『小平次さん、カルカッタの次はプリーに行くって言ってたからもしかしたら、って思ってたんですよ! でもおれ、あれからしばらくカルカッタにいて、それからここまでも色んな街立ち寄ってゆっくり来たから、もう他の街へ行っちゃってるかな、とか思ってたら、着いた早々、いや、まさか会えるとは!!』

 本当に奇跡である。実はおれはこのバザールに来たのは初めてだ。偶然そう思い立ち、偶然この時間にやって来なければ、プリーは小さな街ではあるが、それでもそれなりの街だ、会うことはできなかったかもしれないのだ。

『小平次さん、地球の歩き方に出てるホテルで、オーナーの奥さんが日本人で、たまにおにぎりとか作ってくれるってホテル知ってます? おれ、そこに泊まろうかと思ってるんですよ、小平次さんはどこに泊まってるんですか?』
『ああ、あのホテル、知ってるよ、案内するよ、でもその前におれの泊まってるホテルへ来なよ、積もる話もあるからさ、お互いに!』
『いいっすね! ありますよ! おれもたくさん!!』

 何より久しぶりの日本語の会話がうれしかった。自転車を引いて歩くK君と、仲良く並んでおれのホテルへ向かって歩き出した。そしてホテルに着く。外観を見てK君が言う。

『いいホテルですね!きれいだし! 一泊いくらですか?』
『120ルピーだよ』
『120かあ! ちょっと高いっすね! おれはやっぱり日本人奥さんのホテルに泊まります』

 おれの部屋に入る。途端、お互い堰を切ったように日本語の会話が始まる。おれたちの最大の関心事、それはなぜ、待ち合わせたSホテルで落ち合えなかったのか、そのことであった。

『いや、実はおれ、カルカッタで詐欺に遭っちゃって…。』
『詐欺?』
『そうなんすよ、ダッカからの飛行機にもう一人日本人がいて、その人学生さんで英語も話せるんですけど、やっぱりダッカの街見て不安になったらしくて、しばらく一緒にいようってなったんですよ』

(うん、うん、おれはカルカッタの街に入った時は泣きそうだったよ)

『それで、小平次さんのこと話してSホテルに一緒にいくことになったんですけどね、サダルストリートでタクシー降りたらもう! すげえ数の乞食とポン引き、わらわらよって来て!』

(うん、うん、すごかったよね)

『おれたち完全にビビっちゃって、その内どこ歩いてるかもわからなくなって!!』

(うん、うん、おれもおれも)

『何が何だかもう目まぐるしくて、そんなところへちょっとこざっぱりしたインド人男が声かけてきて…』

(ああ、おれもラームとそんな感じだった)

『でも、たいがいのヤツは信用できないじゃないですか!?』

(うん、うん、そりゃそうだよ)

『でも、そいつが日本に行ったことがあるっていうんですよ! それが東京や大阪だって言ったら信用しなかったんですけど、埼玉、とか言うんでついおれたち反応しちゃったんですよね』

(うん、ん!? 埼玉?)

『で、おれたち実際もうどうしていいかわからなかったんで、そいつの紹介するホテルへ行くことになったんですよ! でもその前に土産物は先に買った方がいい、ってちょうどそいつが買い物にいくところだったからって付き合わされたんですよ』

(…、えっとー…。)

『なんか薄暗い屋内商店街みたいなところで、シルクを買うって!』

(シルク!!)

『店の2階で、そいつが店員にシルクを持って来させて、そしたらそいつがライターで端っこを焼いて匂いを嗅いで、いきなりNO SilK!!って布を叩きつけたんですよ!!』

(NO SilK!! ……、K君……、全部一緒だよ…!!)

『それで何だかわけわからないうちに買い物しちゃって、いざ支払いってなったら…』

(うん、うん、支払いってなったら!?)

『ルピーだと思ってた買い物の値段が、なんと!』

(うん、うん、全部ドルだったんだね?(泣))

『全部USドルだって言うんですよ!! ぶったまげましたよ!』

(キターーーーー!!! K君!おれもだよ!!)


『そ、それで、K君、いくらやられたの?』
『6万です!! 6万もやられちゃいましたよ!』
『ろ、6万かあ!…。で、で、K君さ、どうしてこれが詐欺だってわかったの? もしかしたら金持ちと一緒につい買い物しただけかもしれないじゃん?』
『いや、最後にUSドルって言うのもおかしいし、そのあとカルカッタで知り合った日本人から聞いたんですよ、同じ手口でやられてる日本人がけっこういるって!』

『………………。おれもだよ!!』

 あの… あの…   !!!!

『ラームのクソヤロー!!!!!』


 おれはK君に自分もやられたことを話した。やられた額は『10万チョイね…』と、少しばかり見栄を張った。

 あのラームが詐欺師だとわかったことは、かなりショックであった。だが、まあ考えてみればおかしな話なのだ、とても高くついた授業料だ。

 K君を引っかけたやつは、名前はラームではなかったらしい、風貌を聞いてもどうも別人のようだ、どうやら日本人を引っかける役割のやつは何人かいるらしい。

 悔しい思いはあったが、それ以上にK君との再会がなによりうれしかった。この後、おれはプリーの街を出るまで、K君とつるんですごしたのであった。


************************** つづく

いやあ、このK君との偶然の再会は本当に驚きました。冒頭でお話ししましたバルセロナでの偶然も含め、私はこの手の偶然について『持って』るようです(笑)
しばらくはK君と過ごした日々の日記が続きます

『日本人を引っかける役割のやつは何人かいるらしい』

これについては、日本に帰ってから数年たって、私はあることに気づき、とても合点がいったのでした。
それはまた、ずっと後の記事で。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。




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インド放浪 本能の空腹25 午後のひと時

2020-11-29 | インド放浪 本能の空腹
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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております


**************************

 おれが宿泊していたホテルは、バブーのオジが経営するホテルであった。こじんまりとしていたが清潔で、シャワーは水しか出なかったがなかなか快適に過ごすことができていた。

 オーナーの娘にマリアという3歳の少女がいた。マリアは時折おれの部屋に勝手に入って来ては、何が面白いのか、おれの旅行バッグを開けて中身を物色したりしていた。
 インドの女性らしく、女性と言っても幼女だが、目鼻立ちがくっきりとして、将来はさぞかし美人になるであろうことは一目でわかった。
 朝になるとホテルの前に、大きな荷台をつけたサイクルリクシャがやって来る。その荷台には、ブラウンのサスペンダー付きスカートや半ズボンに真っ白なブラウス、シャツを着たマリアと同じ年頃の子供が数人乗っている。同じ制服を着たマリアも、リクシャ引きに抱きかかえられ荷台に乗せられる。幼稚園へ行くのだ。通園バスならぬ、通園リクシャである。

 街には、学校へも行けずミッキーマウスで朝から晩まで働いているシメンチャローや、海岸でみすぼらしい格好で貝細工を売っている少年などが大勢いる、マリアは経済的にはとても恵まれた子だ。

 ある日の昼時、おれはそろそろ昼飯を食いに出よう、と思いながらもゴロゴロとベッドに寝そべり本を読んでいた。本と言ってもガイドブックである。

『コヘイジ…』

 誰かが小さな声でおれを呼ぶ、開けっ放しの入り口のドアを見るとマリアが立っている。

『〇▼@=¥*+#…』

 何かを言っているがわからない、だがジェスチャーでおれにこっちへ来い、と言っているようだ。腰を上げマリアの方へ行くと、マリアはおれをバルコニーへと誘う。
 気持ちの良い青空の下、バルコニーへ出ると、敷物の上に豪華な料理と、ビール、ウイスキーなどの酒が並べられている、傍らにはデッキチェアでくつろぐバブーのオジであるオーナー、その奥さん、そしてもう一人若い女性が座っていた。

 おれはマリアに連れられ、海側に背を向けるように腰かけた。とろんとした半開きの目のまま、オーナーが言った。

『コヘイジ、たまには一緒にランチでもしよう』

 これまでオーナーとはほとんど口を聞いたことはなかった。顔を合わせれば挨拶ぐらいはしていたがそれ以上のこともなかった。大体インド人は、実際はそうでもないのだが、態度がぶっきらぼうに見えるやつが多い、このオーナーもそうだったし、おれに対して好意的なのか、そうでもないのか、よくわからないのである。だから、この突然のランチの誘いはとても意外なことであった。
 
 オーナーにビールをついでもらい、奥さんが料理を取り分けてくれた。

『昔の野菜は味が濃かった、今の野菜はあまり美味くない』
 そして
『インド辺りに行けば、きっと日本の昔の野菜のように美味いだろう…』

 と、おれの父親が言っていたが、実際そんなこともなかった。これまでインドでサラダ類も食べてきたが、日本の野菜と比べ特別美味いとも思わなかった、今取り分けてもらった生野菜のなかの人参を食ってみる、やはり大差はない。

 気になったのは、クリームシチューのような白いスープだった。インドへ来てから初めてみる色のスープだ。一口食ってみる…。

 カレーだ…、色の違うカレーだ…。

 インドのレストランで、メニューのカレーのコーナー以外のところに書かれている物を注文し食ってみると、やはりカレー味のカレーだ…、ということは多かった。

 暑くもなく寒くもなく、青空とそよ風が心地よい、デッキチェアでくつろぐオーナーとしばらく話をした。

『キミは、なんでインドへ来ようと思ったんだ?』

 インドへやって来てから何度もされた質問である。だが、この時のおれは、本当のところなんでインドへやって来たのか、その理由をおれ自身わかっているようでわかっていなかったのだ、と言うより、わかっていないこと自体、わかっていなかったのだ。

 これより数年前、スペインのバルセロナを一人旅で訪れた。刺激的な街だった。
 その後大学を卒業し、結婚したい、と思っている女性もいた。就職し、家庭を持てば時間の制約も気にすることなく、行き当たりばったりのきままなぜいたくな旅、そんなことはもう二度とできないかもしれない、人生最後かもしれない気ままな旅はどこへ行くか、バルセロナ以上に刺激的な街、国、インドしかない、その程度の感覚であった。
 だが、この日記シリーズの最初でも述べたように、日本を発つ直前のおれは、充実した社会人生活と彼女のK子、冒険心なんてものはどこかに消え失せていたのである。それでも無理やりにでもやって来た本当の理由におれが気付くのは、日本に帰ってから数年後のことである。

『なんでインドへ来ようと思ったんだ?』

 その理由を自分自身で良く理解していなかったおれの、こう聞かれたときの答えは決まっていた。

『ボクは、マハトマ・ガンディーを尊敬しています、あのガンディーを輩出したインドという国がどんな国なのか見てみたかったのです』

 この言葉は半分くらいは本当だったかもしれない。

 このころおれはクリスチャンだった。絶対的な神の愛、キリストの博愛、それとガンディーの非暴力非服従、という思想に共通するものを感じていた。

 インドにおいてもガンディーは英雄である。インドのいたるところにガンディーの銅像が建っていたし、このプリーの街の公園にもあった。高額紙幣である100ルピーの肖像もガンディーだ。

 外国人から自国の英雄を尊敬している、と言われれば、インド人も多少は誇らしく、気分も良いだろう、どこかにそんな感覚もあったかもしれないし、これまでおれがそう答えて嬉しそうにしたやつはいても、気を悪くしたように見えたやつはいなかった。
 
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 ところが、この時のオーナーは少し違う反応だった。相変わらず半開きの目のまま、表情は変えずに、気持ちの良い昼下がりの時間に合わせるような穏やかな口調で言った。

『確かに、ガンディーはインドの独立の父として、インドだけではなく世界から称賛されている、だが、ガンディーは戦後の分裂したインドの元凶でもある…。私は、チャンドラ・ボッシュこそがインド独立の英雄だと思っている…』

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 チャンドラ・ボース、名前はもちろん知っていたが、この時のおれには大した知識もなかった。ボースが英雄…、それよりもおれは、ガンディーがインド分裂の元凶という言葉をインド人から聞いたことに驚いていた。

 オーナーは、それらのことについて詳しく語りだしたが、難解な言葉も多く、深くは理解できなかった。そして最後にこう言った。

『キミたち日本人は、かつて白人の人種差別に、有色人種として唯一立ち向かった勇敢な国民だ、インドもともに戦ったと思っている』

『だが…、ヒロシマ、ナガサキにAtomic Bombを落とされていながら、今はアメリカの言いなりだ…』

 おれは言葉が出なかった。なんと答えていいかわからなかったのだ。

『まあ、難しい話はこれくらいにして…』

 オーナーはそう言っておれに水割りを作ってくれた。

 しばしの談笑ののち、おれは部屋に戻りベッドに寝転んだ。そして考えた。

 このとき、おれはそれなりに熱心なクリスチャンであった。また、おれの父は中国は素晴らしい国だ、と言ってはばからない人であったし、家では共産党の機関紙『赤旗』も購読していた。かつての日本軍が大陸で、それこそ普通の人間が想像すらしえない残虐な方法でアジアの人々を虐殺した、と家でも学校でも聞かされて育った。どこで撮られたものかもわからない、日本軍によって首を切り落とされた、とされる死体の写真なども見たことがあった。

 そんなおれは教会に毎週通い、平和を祈り、過去の蛮行を同じ日本人として反省し続けなければいけない、戦争などは決して起こしてはならない、そう考え反戦反核の集会にも行ったりして、ギターをかき鳴らし皆で歌ったりもしていた。

 そんなおれだったから、アジア人の口から直接出た

『キミたち日本人は、かつて白人の人種差別に、有色人種として唯一立ち向かった勇敢な国民だ』

という言葉は衝撃的なものであった、そしてそれは、この時のおれには、とても受け入れ、消化できる言葉ではなかった。

 おれがボースのことをもう少し知り、やがてキリスト教と決別していくのはこの旅を終え、少しの時間が経ってからである。

 信仰を持つこと、それはその人のアイデンティティそのものである、キリスト教においては、すべてが神の計画のもとに世界が動き、信徒は神のために生きるのである、逆に言えば、それが無ければ生きる意味もない、だから決別すると決めてからしばらく、おれは自我の崩壊のような状態に見舞われ、精神科にも通うことになる。

 それでもおれにキリスト教からの決別を決心させたもの、その一つにこの日のオーナーの言葉は少なからずのきっかけをおれに与えたことは間違いのないことであった。



*************************

この日、オーナーに言われた言葉は、全く別な場所で全く別の人からも数回言われました。インド以外でも似たようなことを言われたことがあります。
チャンドラボースが、この街、プリーのあるオリッサ州の出身であったことも大きかったのかもしれません

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。


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インド放浪 本能の空腹 24 『不良インド人 バップー』

2020-10-20 | インド放浪 本能の空腹



30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております

本日は、滞在してたプリーの街で出会った不良インド人

『バップー』

との出来事をお送りいたします

これまで何度か登場している、インドの友人『バブー』とは名前は似ていますが、全く違う人間です

帰国してから多くの人にインドでの出来事を話しましたが、聞いている内、このバブーとバップーの区別がつかなくなってしまう人が何人かいたのでご注意を……

不良はバブーではなく、バップーです


ちょっと長めの記事になるかと思いますが、この日の出来事は、一気にお読み頂きたくお付き合い頂ければ幸いです

*******************************

 ある日のできごと。

 いつものように通りの屋台で朝食を済ませ、ホテルへ戻る。

 バブーやロメオが遊びに来ない日は本当にすることがないが、もちろん、小さい街とは言ってもこの街の全てを見尽くしたわけでもなく、まだプラプラすれば新しい発見もあるだろう、おれは少し休んでからまた外へと出た。

 シメンチャロ―と仲良くなったおかげで、街の東側へはよく行くようになった。今日は逆に西側の街道の方へ行ってみよう、漠然とそんなことを思いながら歩き出した。

 ふと、前方から自転車に乗った体格の良い若い男に気づく、度々見かける男だ。プリーに着いた日、サイクルリクシャ引きの男たちも、のんびりと客待ちをしている静かな駅前、おれとロメオの前に自転車に乗って現れた一人の男

『ハーイ、ジャパニー、コンニチワー!』

と、日本語で声をかけた来た男、頭の両サイドに金メッシュを入れた胡散臭い男、その男が前方からやって来たのだ。

 その男とは、たまに顔を合わせれば、まあ『Hi!』、くらいの挨拶をする程度であったが、この日はそいつが話しかけてきたのだ。

『ハイ、ジャパニー、今日はロメオやバブーと一緒じゃないのか?』
『今日はボク一人だ』
『そうか…、それならば、たまにはボクとランチでもしないか?』

 おれとしてはあまり関わり合いたくない感じの男であった。だがせっかくの放浪の旅、交流を増やすことは悪いことではない、少し考えてからおれはその申し出をOKした。

『じゃあ、まずはボクの家へ行こう』

 その男は名を『バップー』と言った。

 バップーの家は、やはりどちらかと言えば中流以上の人の住む街の西側にあり、鬱蒼とした雑草と、手入れをしていない樹木のある割と広い庭のある、そこそこ立派なコーンクリート造りの家であった。

 中へ入る、そしてまずは他愛もない会話をする。壁にアコースティックギターが飾られている。

『あのギターを触らせてくれないか?』
『弾けるのか?』
『まあ、少し…』

 バップーがおれにギターを手渡してくれる、弦は錆びつき、チューニングは全く合っていない、チューニングをしようかとも思ったが、錆びついた弦が切れるといけないので、少し眺めてからバップーへ返した。

『ハイ、ジャパニー、ボクは少し日本語を知っているよ』
『どんな日本語?』
『ハイ、アナタハ、チョット、クルクルパーネー』

 クルクルパー! 驚いた! 随分とマニアックな日本語を知っている、おそらく悪い日本人旅行者が教えたのだろう…。

『バップー、その言葉はあまり良くない日本語だ、日本人の前では使わない方がいいよ』
『OK、OK、わかったよ』

『ところでジャパニー、君はロブスターは好きか?』
『ロブスター?』

 ロブスターが好きか嫌いかと聞かれれば、そりゃ大好きだ、だが、なんでそんなことを?ランチに食べるってこと?

『ボクの知っている店で美味しいロブスターを出してくれる店がある、今晩そこで食事をする気はないか?』

 なるほど、ポン引きか! おそらくその店から紹介料をもらうんだろう、バブー他、ごく一部のインド人を除けば、ロメオがそうであったように、そのロブスターをこの男がご馳走してくれるなんてあり得ない、間違いなくこいつはポン引きなのだ、いくらボッタクられるかわかったものではない。

『ロブスターは好きだけど、今晩だけでなく、おそらくこのプリーにいる間にそれを食べる気はない』

 そう答えるとバップーは少し黙ってからまた続けた。

『では、君は石は好きか? 綺麗な石…、お土産に石を買わないか?』

 石? 宝石のことか…、やはりポン引きで間違いない。

『バップー、すまないけどロブスターも石もボクはいらない』

 バップーは再び黙り、少し考えてから口を開いた。

『OK、OK、わかったよジャパニー、それならばこれからランチにしよう、一緒に市場へ行こう、そこで魚を買ってボクが君のために調理してあげるよ』

 とりあえず、ひとまずは一緒にランチ、という当初の目的へと戻すことができた。

 自転車に二人乗りして東側の市場へと向かう。でこぼこ道を自転車の荷台に乗って行くのは少々キツい、だがインドの魚市場にどんな魚が並んでいるのか、それは少し楽しみでもあった。
 
 ほどなくして市場へ到着、しかし時間が遅いせいなのか、あまり魚は並んでいない、見たことのない魚もいたが、仰天するほどのものでもなかった。

『この魚にしよう』

 と、バップーが柱の脇に積まれていた魚を指さした。おれはその魚を見て、逆の意味で仰天した。

 その魚は……

 どこからどう見ても……

『ボラ』

であった。



 釣り好きのおれにとっては、非常になじみの深い魚だ。だが、食ったことは一度だけ、外海で獲れた綺麗なやつだ。外海で獲れたボラは確かに美味い。だが、およそよく見かけるボラは、ドブ川の河口などで大きな群れを作り、上を向いて口をパクパクさせているやつだ。時折『バシュッ!』っと飛び上がり、河口で無数に跳ねているあれだ。

 どうしても都会の臭い川などを上ってくるイメージが強く、たまたま釣れてしまって、針を飲んでしまったとか、特殊な事情がなければ好んで持ち帰って食べたりする釣り人は少ない、おれもその一人だ。まあ、『カラスミ』は絶品ではあるが……。

『ボラ!、かぁぁぁ…』
What? BORA?
『い、いや、なんでもないよ』

 ボラとは言え、ごちそうしてもらう身、文句を言うなんてだめだ、おれはそれ以上何も言わなかった。

 紙でくるんだボラをおれが抱え、再び自転車に二人乗りをして家へと戻る。家の中には入らず、そのまま裏庭へと向かう。裏庭には、テーブルと椅子があり、そこで食事ができるようになっていた。家の裏の壁に、かまどが造られていた。

『これからこの魚を料理してごちそうするよ』

 料理して、と言ったはずだが、バップーは鱗も剥がさず、ボラに塩を振っただけでそのままかまどの中にぶち込んでしまった。その上にかまどの灰を被せ火をおこした。雑にもほどがある『料理』である。いったい灰まみれになったボラをどうやってたべるのだろう…。

 バップーが家からビールを二本持ってきた。ボラの焼けるまでの間、飲みながら他愛もない会話を続けた。

『これをやってみないか』

 バップーが何やらパイプのようなものを取り出した。おれはこれからバップーが何を勧めようとしているのかすぐにわかった。

『ガーンチャ』

 インドのマリファナである。バップーはパイプに粘土のような黒い物質を詰め込み火をつけた。

『さあ、吸ってみろ』
『いや、結構だ』
『そんなことを言わずに、さあ!』
『これは、ガーンチャだろう? ボクはマリファナはやらない』
『違う、違う、ただの煙草だよ、さあ!』

 実はおれはこの時以前、スペインでマリファナを吸ったことがあった。悪いことと知りつつも、好奇心に負けた。吸ってみると不思議な感覚になった。感覚が冴え、気持ちが大きくなり、確かに今、ギターを弾いたらいい演奏ができる、そんな気になった。酒に酔って度胸が据わるのに近い感覚もあったが、明らかに酒に酔っているのとは違う感覚であった。

 だが、ここはインド、インドでもマリファナは違法である。その国で禁止しているものを外国人のおれがやる、というのはよくないことだ、おれは少し大人になっていた。だが、あまりのしつこさに負け、一口だけ吸ってみる、質が悪いモノなのだろう、スペインでやったときのような感覚にはならなかった。

『そろそろ魚が焼けただろう』

 バップーはそう言ってかまどに、木製のトングのようなものを突っ込み、灰まみれのボラを取り出し皿に乗せ、テーブルに置いた。

『さあ! 食べてくれ!』

 …… 食べてくれ ………って…   おい! 食えるか! こんな灰まみれで!

 おれが躊躇していると、バップーは火傷しないように気をつけながら、ボラの身を手でほぐし、軽く灰を払って口に入れた。

『美味い、さあ、君も食べてみろ』

 バップーが実際に食ったのを見て、断るわけにも行かなくなった、おれも同じようにボラの身をちぎり、灰ごと口の中へ放り込んだ。

 ………、そもそものボラに対する偏見と、さらに灰…、どうにも味わう、と言う気にもなれず、美味いのか不味いのかわからない…、だが一応ここは社交辞令、

『…、美味しいよ…』

 そう言いながら、おれはそれ以上一口もボラを食わなかった。しばらくすると、バップーがまた同じことをおれに勧めはじめた。

『なあ、ジャパニー、ロブスターを食べたくはないか?』
『すまないが結構だ』
『では石はどうだ、お土産に綺麗な石を買わないか?』
『それも結構だ』

 バップーはおれが断ってもしばらくしつこく『ロブスター』と『石』を勧めてきた。あまりにしつこいので、おれはどう言えばあきらめるだろうか、少し考えてから言った。

『バップー…、ボクは日本人だ、でも日本人だからと言って金持ちなわけではない、そもそも、ボクがこのインドへやって来た目的は、あの偉大なマハトマ・ガンディーを生んだインドと言う国がどんなところなのか、クリスチャンである自分はどうしても見てみたかった、ぜいたくな食事や高価な石を買いに来たわけではない…』

 当時クリスチャンだったおれが、ガンディーと言う人物に興味を持っていたことは嘘ではない、が、目的、というのは少々大げさであった。

 これを聞いてバップーはしばらく黙った。そして『フッ…』っと鼻で笑うようにしてから口を開いた。

『そうか…、わかったよ…、だったら今食べた魚料理の金を払ってくれ』

 !!!!!!!!

 なんだって! 自分からごちそうすると言っておいて、金を払え!? えっ!! ……!! しかもこの灰だらけのボラ料理に金払え!? おれはバップーの言葉に心底驚いた…、同時にこれまでの強引でしつこいポン引きと合わせて怒りが込み上げてきた。こんな男とはこれ以上関わり合いたくない、金は払ってやる、それでもうコイツとは関わらない…。

『いいだろう、金は払うよ、いくらだ!?』

 おれは語気を少し強めてそう言った。

『君は…、君はボクの料理にいくらの値段をつける?』

 はあ!!? 鱗もとらず、塩かけてかまどにボラをぶち込んだだけの、とても料理などとは言えないシロモノにいくらつけるか?だと? なお怒りがこみ上げたが、ここは払って二度と関わらないことが最善、おれは少し考えた。大体カレーがライスかナンと合わせて12、3ルピー、60円か70円くらいで食える、だからおれは少し多め、20ルピーでどうだ、と言った。

『ハンッ…! 今どき20ルピーではビール代にもならない…、ハンッ…! 』

 バップーは、呆れてものも言えない、といった風な仕草で、なおおれの怒りを誘う。

 こ、こ、このやろー! だが日本円で数十円、数百円ケチってこんなやつと揉めるのはごめんだ…。

『では、50ルピー出すよ』

『フンッ……、100ルピー払ってくれ…。』

 100ルピー…、日本円で当時500円、大した金ではない、だがインドで100ルピー出せば、3食食べて安宿に泊まり、十分に一日過ごせる金額だ、使い勝手だけで言えば、日本の感覚では10,000円に近いものがある、それを払えと言う…。相当に怒りがこみ上げたが、おれは財布から100ルピーを取り出し、一度バップーを睨みつけてから、投げ捨てるように金を払い立ち上がった。

『これで満足か! 今後ボクには話しかけたりしないでくれ!』

 そう言って門の方へ歩き出した。すると…

『ヘイ、ジャパニー、ジャパニー、待って、待って』

 バップーが追って来る、振り向くとバップーが言った。

『なあ、ジャパニー、煙草をくれないか?』

 なんて奴だ! あんな料理に金まで払わせて、その上煙草を恵んでくれと言う…。おれはバッグから煙草を一本取り出しバップーに投げつけた。するとバップー、

『違う違う、ジャパニー、違うよ、君が一本だけ取って、残りを全部ボクにくれよ』

 !!!!!! なんと! どこまで意地の汚いやつなんだ!おれは無視してそのまま門を出た。出たところでまたバップーが叫ぶ。

『ヘーイ! ジャパニー! ジャパニー!』

 おれは怒りの込み上げたままの目で振り返った。バップーがニヤニヤしてこちらを見てる、そして言った。

『ヘーイ! ジャパニー! ジャパニー! …、アナタハ、チョット、クルクルパーネー!』

 !!!!!!! もう言葉も出ないくらい怒りがこみ上げた。もう一度だけ睨みつけ、おれはそのままホテルへと戻った。

 夕方、バブーとロメオがやって来た。おれは先のできごとを話した。二人ともバップーとは関わらない方がいい、と言ってくれた。

 その後も、街でバップーと会うことが度々あった。その度におれとバップーはガンの飛ばし合いを繰り広げたのであった。

 だが、このプリーの街での最後の日、おれはこのバップーをぐうの音も出ないくらいにやり込め、謝らせることに成功するのである。 それはまたいずれ。


*****************************

本当にこのバップーという男はとんでもないやつでしたが、インドにはいろんな意味でトンデモな人がたくさんいましたね。記事でも書きましたが、後日私はこのバップーに謝らせることに成功しています。今思い出しても痛快ですが、逆にそのときのことを思うと、そんなに根っからの悪人でもなかったのかなぁ、と思ったりもします。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。


 
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インド放浪 本能の空腹 23 マーイ ネパリー フォン

2020-09-25 | インド放浪 本能の空腹



30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。

本日もプリーでのある日のできごと


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 ある日の午後、ミッキーマウスで昼食を済ませホテルへ戻ると、バブーとロメオが来ていた。彼らの友人を紹介するから出かけようと言う。
 いつものようにスクーターに3人乗りをして向かったのは西側の海岸であった。こちらの西側ではほとんどバックパッカーっぽい外国人の姿は見かけない。オーシャンビューの割と高級なホテルなども海に向かって建っている。

 プリーはヒンドゥー教の聖地の一つでもあり、この西側には比較的裕福そうなインド人観光客が多い。そんなインド人観光客で海岸も賑わっている。

 野球場の弁当売りのようなスタイルで綺麗な貝細工などの土産物を売っている少年がチラホラいる。
 海岸で待ち合わせをしていたバブーとロメオの友人4人、もちろん全員男、と落ち合い、皆で砂浜を歩き波打ち際へ行く。そこで互いに自己紹介などをして談笑が始まる。男たちはみなバブーとロメオの同級生だそうだ。気のいい奴らであった。

『インドへ初めて着いたときの感想は?』

 と一人に尋ねられた。おれは正直に答えた。

『あまりにもたくさんの物乞いに驚いた、手や足の無い人たちがたくさんいることにも驚いた』

 この返答を聞いた彼らの一人から、おれがインドへ来る前に聞いていた黒ウワサの一つについての真実を聞くことになった。

 インドでは古くからヒンドゥー教の影響で、厳しい身分制度、学校でも習った『カースト制度』というものが存在していた。もちろん現在は法的には存在していない。授業で習った記憶では、このカーストにも入れない、『不可触民』という人たちが存在し、やはり古くから差別を受けてきた、とも聞いていた。

 法的にはそのような身分制度は認めないもの、となっていても、長い年月をかけてインド人に染みついたそういう意識は簡単に消えるものではなく、身分の低そうな人に対する金持ちの横柄で傲慢な態度はインドへ来てから度々見かけていた。

 ある日、おれはロメオのスクーターに二人乗りをしていた。煙草を切らせていたおれは、一軒の小さな雑貨屋の前で煙草を買うのでスクーターを停めてくれ、とロメオに言った。おれがスクーターを降りようとするとロメオがおれを手で制した。

『*%$##%&¥+$▼!!』

 ロメオが店の男に何かを言うと、男は、おれがインドに来てから吸っていたショートホープサイズの煙草を投げてよこした。スクーターに乗ったままでうまく手を出せず、おれはその煙草を取り損ねた。降りて拾おうとすると、またしてもロメオがおれを手で制して男に言った。

『*%$##%&¥+$▼!!』

 すると店の男は少し愛想笑いのような笑みを浮かべ、こちらに来て煙草を拾いおれに手渡した。おれは申し訳ない気持ちになりながら金を払った。

 このできごとが古くからのインドの身分制度に由来するものなのかはわからない、だが、前回紹介したシメンチャロ―のように、小学校に行くことすらままならない家の子供が、どれだけ努力をしても這い上がることができない土壌がインドには確かに存在している、そう感じたのであった。

 バブーとロメオの友人が語ったこと……。

『インドの母親たちはとてもひどいことをする人がいる、物乞いの女が子供を産むと、その子の片手を切り落とすんだ、少しでも物乞いとして憐れみを買い、稼げるようにと…』

 実はこの話、インドへ行く前におれは人から聞いていた。ウソだと思っていた。しかし、ここにいた男たちはみな本当だ、と言う。この後、おれは再びカルカッタへ戻るが、そこで出会った多くの物乞いたち、貧しい人たち、どんなに足掻いても現世では這い上がることはできない人たちが大勢いる、そう思い知る、そして、その母親がどんな気持ちで我が子の手を切り落とすのか……。

 実際のところ、この話が本当なのかどうかはわからない、だが、本当だとしてもなんら不思議なことではない…、これが物乞いの母の究極の愛情、と言われれば納得せざるを得ない人々の暮らし…、おれはインドでそのことを思い知る。

 少し暗い話題になった。おれは少し話題をそらそうとして言った。

『そう言えば、カルカッタで出会った男から教わったんだけど、物乞いにしつこくされたらこう言えと…』

 おれは両手を胸の前で合わせ、軽くお辞儀をするように、カルカッタでラームから教わった言葉を言ってみた。

『マーイ ネパリー フォン(私はネパール人です)』

 おそらくはそう言うことで、貧乏人のネパール人に物乞いしても仕方ない、と思わせるのだろう、それはインド人がネパール人を下に見ていることに他ならない。おれはこれをカルカッタハウラー駅で実際に物乞い相手にやって、逆に蔑んだ目で見つめられたことは以前の日記の中で述べた。それ以来、おれはこれを物乞い相手にやるようなことはなかった。

 おれの『マーイ ネパリー フォン』を見て、一同が大爆笑をした。

『違う、違うコヘイジ!! フォン!じゃなくて、フン!!だ、マーイ ネパリー フン!!』

 ロメオが、フン!! のところで大げさに首を突き出すような仕草で言った。みながまた笑った。とりあえず暗い雰囲気は一掃された。その後みなの前でおれは何度か『マーイ ネパリー フォン』を練習して見せた。

 だいぶ盛り上がったところで、近くにある遊園地、と言っても小さな古いものだがそちらへ向かおうということになり歩き出した。

 一番後について歩き出したおれは、ふと右手からの視線に気づく。一人の男がおれを見つめいてる。じっと見つめている。よく見れば満面に笑みをたたえておれを見つめている。不思議に思ったおれは歩を止め、男を見る、男が近づいてくる、そして、おれの目の前に立ち、うれしそうに自分を指さし言った。

『マーイ………、ネパリー!!!』

『*%$##%&¥+$▼!!!!』



 何てことだ!本物のネパール人が、おれの『マーイ ネパリー フォン』を見て同郷の仲間だと思ってしまったのだ!!

『 …えっと、えっと、あのその…  … 』 

 おれはハウラー駅の時と同じように、またしても『マーイ ネパリー フォン』によって、一瞬にして強い自己嫌悪、罪悪感に襲われた。

 しかし、ウソをつくわけにはいかない、ついたってすぐにバレる、おれは本当に申し訳ない思いになり、バツが悪そうに男に言った。

I'm sorry……、 I'm Japanese……。』

 見る見るうちに男の顔が悲しみに包まれていく……。これまでのことを思えば、このネパール人男はあまりこのインドでいい思いはしていないのだろう、そんな時、思わぬところで見つけた同郷の仲間…、本当にうれしかったのだろう…。

 あああ…、なんてことをしてしまったのだ。悲しそうに去っていく男の後ろ姿を見つめ、おれはこの後、二度と『マーイ ネパリー フォン』を使うまい、そう誓ったのであった。




 
***************************** つづく

いやいや、この時は本当にすまないことをした、そう思いました。大多数のインド人は大人しくシャイな人でしたが、裕福そうな人は何かにつけ威張っているように見えました。随分後に、カトマンドゥで大地震に遭遇した時、帰れないのはみんな一緒なのに、裕福そうなインド人おばさんが空港職員をもの凄い大声で怒鳴り散らしているのを見たりもしました。
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。
 
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インド放浪 本能の空腹22 ミッキーマウスのシメンチャロ―

2020-09-14 | インド放浪 本能の空腹
プリー東側海岸


30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。

本日もプリーでのある日のできごと


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 プリーという街は、西側にどちらかと言えば中流から富裕層の人たち、観光客向けのレストラン、土産屋、銀行や公共機関が集まり、東側はどちらかと言えば、貧しい人たち、漁村、バックパッカー向けの安宿、食堂などが集まっていた。

 おれが貧乏旅行をしながらも、あえてその東側には行かなかったことは前回の日記で述べた。だが、この街に長くいよう、と思えば東側地区も開拓しておく必要がある、そう考えておれは東側地区にいよいよ繰り出したのであった。

 プリーはとてものんびりとした街だ。サイクルリクシャの兄ちゃんなんかも、カルカッタほどガツガツとはしていない。おれの顔を見て挨拶をするようなリクシャ引きもちらほらいるようになった。

 いい、実にこの街はいい。

 20分ほどかけて、安宿や食堂、屋台の八百屋、などが並ぶ通りに着いた。一件の八百屋?のような掘立小屋の軒にばあさんが座っていた。そこへ現れた一頭の野良牛、その野良牛が、なんと軒に吊るしてあった緑色のほうれん草のような野菜をバクバクと食い始めてしまった。

『*%$##%&\¥+$▼!!!!』

 悲鳴のような大声を上げてばあさんが立ち上がり、細く鞭状に切った竹を手に持ち、渾身の力を込めて牛をぶっ叩いたが、牛には効かない、無視して食い続け、ついには完食してしまった。

 ばあさんには悪いが、何とものんきで笑える光景であった。

 地球の歩き方に出ていた一件のホテルを見つけた。そのホテルは、オーナーの奥さんが日本人で、ちょっとコナーラクあたりまで小旅行に出る、といった時には、おにぎりを作ってくれる、なんてことが紹介されたいた。

 日本人旅行者なら喜んでそこに宿泊したくなるような話だが、申し訳ないが、おれはそういうのがいやだったのだ。そんな和気藹々の雰囲気に飲まれたくなくて、あえてバックパッカーの集まる東側地区を避けてきた、とも言えた。

 そこから少し行くと

『Mickey Mouse』

 という名の割と大きなレストランがあった。屋根はヤシの葉であったが、造りは頑丈そうな建物だった。
 中へ入ると、テーブル席がいくつかあり、床は地面がそのままであったが、それなりのレストランであった。

 テーブルの一つに腰かける、すぐにメニューをもった少年が駆け寄って来る、メニューを開く、カレーの他、スパゲティや中華系、ここらでは珍しい品ぞろえだ。それでもおれはチキンカレーを注文した。ついでにコーラも頼んだ。

 ほどなくしてカレーとコーラが運ばれてきた。運んできた少年が料理を置くと、そのままおれの向かいの席に座った。

『Japanee?』
『Yes』

『あなたの名前は?』

『コヘイジ、君は?』

『シメンチャロ―』
 

 シメンチャロ―は日本が好きだと言った。そしてあれこれ日本のことを尋ねてきた。

『東京はどんな街?』

『東京は人や車がいっぱいだよ、でもカルカッタとはだいぶ違う、とても綺麗だ、高いビルもたくさんあるよ』

『地下鉄がいっぱい走ってるって本当?』

『本当だよ、まだまだたくさん作ってる、東京の土の中は地下鉄だらけだよ』

 シメンチャロ―は12歳だと言った。12歳、小学生の年齢である。インドの教育事情がどうなっているのか、おれはまるで知らない、だが、日曜でもない普通の日の昼時、シメンチャローが学校ではなく、この『Mickey Mouse』で働いていることは紛れもない事実である。

 見渡せば、他にも3人ほど、シメンチャロ―とそう変わらないであろう少年たちが忙しく働いている。

『コヘイジは今、仕事はどうしてるの?』

 それはそうなのだ。大人なんだから仕事をしていなくてはならないのだ、だがインドを長期間旅をしよう、というのだから仕事なんかしているはずもない。だがおれはそれをいちいち説明するのが面倒であったので、それを聞かれると大概は

『I'm on a long vacation now.』

と答えていた。

『ボクは日本に行ってみたいな…』

 12歳で学校にも行けず、働かなくてはならないこの少年が日本に行くことは相当に難しいことだろう…、 おれは黙ってうなずいていた。

『ねえ、一週間くらい日本を旅行したらいくらくらいかかる?』

 夢を壊したくはないが、嘘を言うのも酷である。おれは頭の中でざっと計算をしてみる。

 今回、おれが一番安く手に入れたバングラディシュ航空の1年オープンが12万円、今のようにネットで海外チケットなんかを買えれば安いのもあるだろうがそんなことはできっこない。宿泊は安宿もあるが、普通のビジネスホテルだって素泊まりで5千円はかかる、その他に食事、移動、………。

『どれだけ安く行こうと思っても、50,000ルピーはかかるかな…』

 それを聞いたシメンチャロ―は、 ふうっ… とため息をついた。なにか、絶えず困っているようにも見えるハの字の眉が、いっそう物悲しげにハの字になった。 

 

 その後、おれはこの 『Mickey Mouse』 をたびたび訪れた。そのたびにいつもシメンチャロ―はおれのそばに駆け寄り、注文を他の子には取らせなかった。
 そして、かなわぬ夢を語っては、眉をハの字して笑ってみせるのであった。


 シメンチャロ― 本人



 
***************************** つづく

このシメンチャロ―の写真は私が撮影したものではありません、こののち日記に登場するある日本人が撮影したものですが、その日本人とは? 私のインド旅行、最大級のハイライトとして登場します

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。
 
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インド放浪 本能の空腹:21 インドで1番恐ろしいモノ

2020-08-17 | インド放浪 本能の空腹

画像引用元 (そうだ、世界に行こう インドの田舎村でホームステイしたらカルチャーショック祭りだった )


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。

前回、バブー、ロメオと共にスクーターに乗り、真っ直ぐと続く一本道をコナーラクまで走り、私も運転をさせてもらい、とても気分が良かった、と言うお話と、そして、『どこか海辺の街で、しばらくそこの住人のようになって過ごしたい』 という私のインドの旅の漠然とした目的を果たす街をこの時にいたプリーにしよう、と決意したというところまででした。

さて、これまでは日記の通り、連続した毎日を書いてきたのですが、実際目的のない放浪の旅、というのは思いのほか退屈なもので、日記も、『何もない1日だった』とか、『昼飯に〇〇を食べた』などとしか書かれていない日も多くなります。

そういうわけでここからは、印象的なエピソードを抜粋し、多少時系列も前後しますが、『ある日のこと』としてプリーでの日常をお送りいたします


********************************************************

 おれは自分のインドの旅の目的である

『どこか海辺の街で、しばらくそこの住人のようになって過ごす』

その『どこか海辺の街』をこのプリーに決めてから、目的のない放浪の旅、というのは結構退屈なものだ、ということを思い知らされていた。

 バブーやロメオが遊びに来るときは、まあ、退屈もしないのだが、彼らが来なければ、本当にすることが何もないのだ。

 ある日のこと、おれは街の東地区の方へ行ってみよう、そう考えて一人ホテルを出て歩き出した。
 東地区には、おれのような貧乏旅行者向けの安宿が何軒かあり、飯を食える店もあるようだった。だがおれはこれまでこの東地区に行くことを敢えて避けてきた。
 
 そこへ行けば各国のバックパッカー、もちろん日本人も多少はいるはずだった。普通、おれのような貧乏旅行を好む奴は、そういった同じ目的を持つ者同士、宿をシェアし合ったり、旅の情報交換をしたり、フレンドリーに交流を持つものだ。だが、おれはそれがイヤだったのだ。

 特に日本人とは会いたくなかった。大体この頃、インドを一人旅するヤツなんてのは日本人ではあまりいなかった。大学生の卒業旅行だとか、バブル景気だとか、海外旅行が一般庶民の楽しみとして定着はしていたが、およそ旅先は欧米諸国がほとんどであった。そんな中でインドを旅先に選ぶヤツなんてのは偏屈なヤツに決まっているのだ。世の中斜に構えて変わり者を気どっているようなヤツに違いないのだ。

『今、自分の人生を見つめなおすため、自分探しの旅に来たのだ』
『今、日本は豊な国になった、しかし本当の豊かさとはなんだろう、おれはそれを探しに来た』

 そんな連中と触れ合うのは真っ平ごめんだったのだ。
 だが、長く一つの街にいようと思えば、自分から行動しなければ本当に退屈なだけになってしまう、のんびりと過ごす、それだけでも価値のある時間だとは思うが、若いおれにはやはり物足りなくなってしまう、そう思い、すこしずつでも東地区に進出して行こう、そう考えたのであった。

 インドを一人旅する、そう言った時、母、伯母、彼女のK子、特に女性陣は過剰なほどに心配をしてくれた。
 しかし、一体何が心配なのだろう…。インド、という国を良く知らない…、それが一番だろう。
 だが、おれにしてみれば、例えば強盗や殺人、そういったことにさらされる危険はインドよりもよほど欧米先進諸国の方が怖い、と思っていた。アメリカのニューヨーク、拳銃を持っているヤツが普通にいる、その方がずっと怖いと思っていた。インドで強盗や殺人に日本人であるおれが巻き込まれる危険性はほとんどない、と言ってよかったろう。まあ、詐欺師の数は半端ないとは思うが…。

 爆破テロ、こういったこともインドでは時折起きていたが、宗教上の対立の激しい地域、カシミール地方やパキスタン国境付近、そういうところへ行かなければ、よほど運が悪くなければ巻き込まれることはまずないだろう。

 インドで怖いモノ、それはやはり伝染病などの病気であろう。特にマラリアは恐ろしいものであった。だからおれは渡航前に予防接種を受けて来ていた。そう考えれば、母や伯母、K子がおれを心配するような危険はほとんどない、と言ってよかったが、一つだけおれが恐れていたものがあった。

『狂犬病』

である。

 インドにはとにかく痩せ細った汚い野良犬が無数にいるのである。当然狂犬病の予防接種などをあの野良犬たちが受けているはずもない、だから犬には気をつけなければいけない、そう思っていた。

イメージ
カトマンドゥにて撮影

 実際にインドで見かけた野良犬の多くは、上の画像の犬よりも痩せ細り、汚い犬が多かった。噛まれたりすれば百発百中で狂犬病になるのではないか、と思えるような犬ばかりであった。それが、決して道の隅などではなく、往来のど真ん中で寝ていたり歩いていたりするのだからたまらない。

 東地区を目指して歩き始めたおれは、ふっと、道の真ん中を歩いていた汚い野良犬と目が合ってしまった。おれは歩を止め、犬が去るのを待とうとした。だが、犬は去らずに、おれをじっと見つめている。心なしか怒りの目にも見える、うなり声を上げているようにも聴こえる…。

『マズイ!!』

 おれは悩んだ、このまま背を向けて走って逃げようとしたら追って来るかもしれない、かと言っておれを明らかに警戒しているように見える犬の横を何事もなかったように通り過ぎる、というのも危険なことのように思えた。

『どうする!!』

 おれは子供のころに読んだ釣りキチ三平のある話を思い出した。山で万一熊に遭遇したら、逃げたりせず、じっとして熊を睨みつける、熊は熊で人を警戒しているので、睨みつけることで自分よりも強い、と思わせるのが有効だ…、確かそんなことを言っていた。

 おれは往来のど真ん中で汚い野良犬と対峙し、目に力を込めて犬を睨みつけた。しばらく犬とおれの睨み合いが続く…、

 道行く人が、往来の真ん中で犬とにらみ合う日本人を見て『こいつは一体何をしてるんだ…、』と言うような表情で通り過ぎていく。

 
 よほどその光景がおかしかったのか、とうとう一人の男が声をかけて来た。

『What?』

『Dog!』
 

 男は、おれと前方の犬を交互に見て少し笑ってから犬へ近づいて行った。そして

『*%$##%&\¥+$▼!!!!』

 男は大声で犬を怒鳴り散らし、追っ払ってくれたのであった。そしてにっこりと笑って『もう大丈夫だ』と、手をゆっくりと振り、ジェスチャーで進んでかまわない、と合図してくれた。

 おれは男に一言礼を言ってその場を去った。急に何だかこっ恥ずかしくなった。

 おれの生涯、道の真ん中で立ち止まり、犬と睨みあったのは後にも先にもこの時だけである。


**************** つづく

冒頭でも述べた通り、いざ、一つの街に腰を落ち着けてみると、本当にすることがなく退屈なんです。仕事をしているわけでもなく、絵を描く、写真を撮る、美味い物を食べ歩く、そういった何かしらの目的がなければ放浪の旅は非常に退屈です。もちろん、プリーでのエピソードはたくさんありますので、今後ご紹介してまいりますが、退屈な日の日常、そんなつもりで今回の記事を書きました。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。カトマンドゥで撮影、の黒い犬が寝ている写真は私自身が撮影したものです。





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