さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹⑳ コナーラクへ小旅行

2020-07-29 | インド放浪 本能の空腹



こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。

本日はインド放浪 本能の空腹⑳ コナーラクへ小旅行 をお送りいたします。

前回、キ〇タマの大合唱となった宴の翌日、朝からウ〇コの山を乗り越え散歩、ホテルへ戻るとバブーとロメオが私を待っていた、そして世界遺産の太陽神神殿 スーリヤ寺院へ行こうということになり、ベスパもどきのスクーターに3人乗りをして出発をした、というところまででした。

では、続きをどうぞ

***************************************

 軽快とは言えない加速で走り出したスクーターであったが、徐々にスピードに乗るとなかなかに快適に風を切り始めた。

 スクーターは街の東側の集落を抜け、荒涼とした赤茶けた土の広がる場所へ出た。そこから旋回するように海と並行する一本道へと出た。

 その一本道へ入る手前に、山羊だか羊だかの大きな動物の死骸が半分腐りかけて転がっていた。やはりインドである。

 見事なまでの真っ直ぐと続く一本道、快適だ。

 右手には海があるが、道からは見えない、丈の低い草、高い草、が生い茂り、時折湿地などが顔を覗かせる。

 左手には開けた土地が広がってみたり、森、というよりは密林、といった方がよさそうな森林が並んでいたりする。
 一本道の両側には、時折土産屋、茶屋のようなものが建っていたりもする。
 信号などは一つもないのでノンストップで進んでいく。

 快適だ、快適…、のはずだった…。

 男3人、体を密着させ、かなり窮屈な姿勢で乗っていた、真ん中のおれは特に窮屈な姿勢を強いられて、やがで座っていること自体がキツくなり、徐々にケツが痛くなり始めた。そしてその痛みは耐えられないほどになり、思わず声をあげた。

『ロメオ、ケツが… ケツが痛い…。』
What?

『ケツがいてーーーーー! 頼む! 止めてくれ!』
 


 おれの悲痛な叫びを聞いて、ロメオは一件の茶屋の前でスクーターを停めた。

『どうした、コヘイジ』

 この時おれは『I have a pain … My hip』というようなことを言ったと思うがどうも通じない… ジェスチャーでケツが痛い、ということをどうにか伝えた。

『OK、少し休憩しよう』

 ようやくスクーターを降りることができた。バブーが店の奥で何かを買っている。何かを厚みのある葉で包んだよくわからないものだった。
 バブーはその葉を口に入れてみろ、と一つをおれに渡し、一つを自分の口に入れた。

『コヘイジ、これをゆっくりと噛むんだ』

 周りを見ると数人の男が同じように葉っぱを口に入れ、餌を口に入れたリスのように頬を膨らませている。

イメージ
 

 
これは…、きっと…、 噛みタバコ! と言うやつだ! よくプロ野球の助っ人外人が口にこれを入れて打席に立ち、凡退するとベンチの前で、ペッ! と吐き出しているあれだ!

 おれは俄かに興味が湧き、バブーに言われた通りそれを口に入れ、軽く噛んでみる…、何か液状のものが口の中に広がる…。

… … … … … …


『オウゥゥゥゥエエエエエエエェェーーーーーー!!!』


 たまらずおれは口の中のモノを吐き出した。

『なんだこれは!』

 朝食ったボール状の揚げ物同様、おれの身体の全ての部位がこの『噛みタバコ』の液の香りの侵入を拒否した。

『オウゥゥゥゥエエエエエエエェェーーーーーー!!!』

 口の中の残り香に、もう一度おれは嘔吐しそうになった。
 その様子を見て、バブーもロメオも、周囲の男たちまでもが笑っている。

『バブー、これはボクには無理だ…。』

 ちょっと興味があった噛みタバコであったが、散々なモノとしておれの記憶に刻まれた。
 
 しばし休憩の後、再びコナーラクへ向けて出発、と、そのとき、ロメオから思わぬ提案があった。

『コヘイジ、この先はキミが運転してみないか?』

 えっ! えっ、えっ!? いいの!?

 おれの胸は高鳴った。

『インドで運転するためのライセンスは持っていないけど…』
『そんなことは気にすることはない』

 そう、ここはインド、気にすることはない、おれははやる気持ちを押さえながらスクーターに跨った。大きさは、そう、125CCくらいだろう、日本でも車以外は原付の免許しか持っていなかったが、まあ大丈夫だろう。

『コヘイジ、やり方はわかるか?』
『ロメオ、大丈夫だよ、じゃあ、行くぜ!』

 アクセルを軽く回す、ぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ、運転はおれ、その後ろにぴったりと体を密着させバブー、一番後ろにロメオ、その重さから、やはり加速は悪いが、やがてスピードに乗る、快適にどこまでも続くかに見える一本道を走る。

 ああ、いい! これはいい! インドでこんな経験ができるとは思っていなかった! これはいいぞ!

 道の右側の茂みから不意に何かが飛び出してきた。

 猿だ! 金色の猿が二頭、おれたちの目の前を横切り、左手の森へ走り抜けた。

Monkey!!!

 おれたちは同時に叫んだ。 楽しい! 楽しいぞ!

 ほどなくして、おれたちはスーリヤ寺院に着いた。立派な寺院だ。立派な寺院だが、若いおれたちにはさして感動はない。実はおれたちは同い歳であった。



 おれたちは世界遺産をじっくりと鑑賞する、なんてこともなく、外壁をよじ登り、飛び回り、おれがロメオの親父にやったカメラで写真を撮ったりして遊んだ。

 すぐに飽きて、寺院の向かい側にあったレストランへ入り、昼食。3人ともチキンカレーを頼んだ。スプーンも使わず、手でがっつくように食った。美味かった。

 食事が終わると、ロメオがまたしても当然のようにおれに伝票を渡した。
 
 おれは心に決めていた。このインドへやって来たおれの目的は、どこか海に近い街で腰を落ち着けて、そこの住人のように過ごしたい、そういう意味でこのプリーの街は申し分ない、漠然と思い描いていたのは南の大都市、マドラス近郊の街、であったが、特にこだわりがあったわけでもない。このプリーの街でその目的を果たす、そうなればこのロメオともしばらく友人として過ごしたい、友人である以上いつもおれが奢る、そんな関係ではいけない。

『ロメオ…、』

 おれがその意思を伝えようとした瞬間…、バブーが険しい顔をして立ち上がった。

『ロメオ! どうして3人で食事をしたのに、その代金をコヘイジが出さなくてはいけないんだ! コヘイジは友人だ! 自分で食べた分は自分で出すべきだ!』

 割と強いバブーの口調にロメオが怯んだ。そしてバツが悪そうに言った。

『OK、OK、バブー、わかったよ、そうだね、自分の分は自分で出すよ』
『一人12ルピーだ』 

 バブーはそう言ってロメオから12ルピーを徴収した。おれもバブーに12ルピーを渡した。バブーはニッコリと笑ってそれを受け取り支払いを済ませた。

 インドではタクシーに正規料金で乗れたら奇跡だという、カルカッタの凄まじいほどのポン引き、物乞い、インド人の多くは日本人のおれの金を狙っている、そんな風にさえ思い始めていた中でのこのバブーの行動は、おれをいたく感動させた。おれは清々しい気持ちになって店を出た。

 帰路は再びおれの運転から始まった。頬を撫でる風が心地よい。

 この街で、住人のようになって過ごしてみよう、いつまでかはわからない、視界の前方、どこまでも続く一本道を走りながら、おれはそう心に決めた。


***********************  つづく

この時のバブーの行動が、6年後、再会するまでの間柄、親友となった決定的な事だったように思います。こののちも度々バブーは男気を見せてくれます。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です



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インド放浪 本能の空腹⑲  『ウ〇コ』の山を乗り越えて

2020-06-09 | インド放浪 本能の空腹
プリー東側海岸線

インド放浪 本能の空腹⑲ 『ウ〇コ』の山を乗り越えて

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。

前回、バブーとロメオ(オーズビー)、彼らの中学時代の先生を交え飲み会、日本語で男のアレは何と言うのか、と言う話題になり、そのまま KINTAMAの大合唱となり、大いに盛り上がった、というところまででした。

では、続きをどうぞ


*****************

 大いに盛り上がった宴の翌日、朝の7時におれは目を覚ました。今日もバブーとロメオが遊びに来る、とは言っていたが、何時に来るのか、ということは聞いていなかった。そんな大雑把な約束だったから、とりあえずこんな朝早くから来ることはないだろう、おれは朝食をとりがてら散歩に出ることにした。

 ホテルの前の通りを東へ向かう、昨日、ホタルを見た雑木林の方へ曲がる角に、一件の屋台が出ていた。大層な中華鍋みたいのに油を入れ、朝から何かを揚げている。覗いてみると、直系7cm位のボールみたいなものを揚げている。店の周りでは、数人の男たちがそれをほおばっている。

イメージ

 うまそうだな…。

 おれはそのボール状の食い物を食ってみることにした。
 1ルピー払うと、二つのボールが紙に載せられて出された。おれはまだ熱そうなボールに息を吹きかけながら、通りを右に折れ、ホタルの雑木林からその先の海の方へ向かって歩き出した。

 一口食ってみる…。

『▼〇!$$◆!◎✖✖%%#&!!!!!!!----!』

『ウエエー! オウエッ!!』

 体験したことのない味だった。美味い、不味い、と言う以前に、おれの食道から以下の臓器が全力でこの食い物の侵入を阻止にかかっている、そんなレベルであった。おれは店から少し離れ、見えないところで口の中のものを吐き出した。

『な、なんだこの食い物は…。』

 おれは残りの一個も道端に捨て、朝食は諦めて海の方へ向かった。

 通りの両側にある、掘立小屋の集落から、男が手にタライを持って通りに出てきた。男は、道の片隅にしゃがみ込み、丈の長い上着で下半身を隠し、なんと…、

『ウ〇コ』

を始めたのであった。よく見れば、通りの先の方にも2、3人、同じようにしゃがんで用を足している男たちがいる、さらによく見れば…道端はウ〇コだらけである…!!!!!

 ここで、日記を少し離れてインドのトイレ事情、否、ウ〇コ事情について少しふれておこう。
 インドではウ〇コをした後、紙でケツを拭くことはしない、タライなどに水をくみ、その水を左手で掬い、ケツを洗い、手で拭く、というのは有名な話だ。だから多くのトイレにはトイレットペーパーなどはおいていないことが多い。外国人向けに大きなホテルやレストランなどでは備え付けられていることもあるが、おれが利用するような場所にはないことが多いのだ。

 そのことは知っていたので、トイレットペーパーを1ロール持って来てはいたし、町の雑貨屋などでも売っていたので困ることはないはずだったが、おれは割と早い時期からインド式のケツ拭きにチャレンジしていた。

 最初から指先を使って拭いてしまうと匂いが残る、初めはうまくいかなかったが、その内、まず手で掬った水をケツには触れないように何度かかけ、あらかたの汚れを洗い流す、その後、掬った水でケツの穴を包むようにしてちゃぷちゃぷと濯ぐ、そして最後に人差し指でキュッ、と拭く、慣れればこうすることで、匂いが指先に残るようなこともなく、紙はおろか、ウォシュレット以上にきれいにすることができるのだ。

 おれは海岸までやって来た。
 やはり海はいい。
 とても広い海岸線だ。

 東側に、漁師の集落と、細長い無数の木端舟が海岸に並んでいる。おれはそちらに向かって歩き出した。
 漁師たちの姿はない、もう今日の漁は終わったのだろう。

イメージ(実際はもっと頼りなさげでした)
 

 近くで見ると、本当に頼りない舟であった。どこまで沖に出るのかはわからないが、命懸けだろう、だが、この頼りない舟がここの漁民の命を紡いでいるのだ。
 
 おれは少し、海に足をつけてみようと、波打ち際に向かって歩き出した。と、その時…

『▼〇!$$◆◎!✖✖%%#&!!!』

 舟のある場所から波打ち際まで、無数の『ウ〇コ』がころがっていたのだ。

 おれはすっかり波打ち際に足をつける意欲を失い、ホテルへの帰路に着いた。
 
 インドを旅する、それは、ゴミの山を乗り越え、ウ〇コの山を乗り越え進むいばらの道…、このときおれは、本当にそう思ったのであった。

 ホテルに戻ると、バブーとロメオが来ていた。

『散歩かい?』

 とバブー。

『コヘイジ、これから3人でバイクに乗ってコナーラクへ行かないか』

 とロメオ。

『コナーラク?』

 コナーラクは、プリーの近郊の街で、世界遺産になっている古代ヒンドゥー教の太陽神寺院、スーリヤ寺院があるという。プリーからは35キロほど離れているそうだ。地球の歩き方や他のガイドブックでも、大概プリーとワンセットで観光の案内が載せられいている。

 おれは今回のインドの旅において、そのような世界遺産など、そういう歴史的建造物や美術品、雄大な自然にも関心がなかった。ただ、どこか海に近い街で、住人のように過ごし、その街と少しでも同化したい、という漠然とした目的しかなかったのだ、だからこういうお誘いでもなければ、きっとこの先そんな観光をすることはないだろう。

『OK! 行こう!』

 運転はロメオ、真ん中におれ、おれの後ろにバブー、男3人、体を密着させ、とても軽快とは言えない加速で発進、ベスパもどきが太陽神のおわす寺院に向かって走り出した。

*******************

まあ、ウ〇コの山、は大げさですが、実際にあちこちでウ〇コは目にしました。それを話すだけで知人もウチの女房殿もインドへは行きたくない!と言います。右手でものを食べ、左手で排泄物の洗浄を行う、食って出す、という生き物のもっとも基本的な行動を自らの手でする、ここにあからさまな人間の原点を感じることをできるのがインド、そんな風にも思ったりしました。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です




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インド放浪 本能の空腹⑱ 『掘立小屋の宴』

2020-06-04 | インド放浪 本能の空腹
プリーの海岸(西側)

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。

一日だけのホームステイの後、オーズビーの友人、バブーの伯父の経営するホテルへ。
夜にはオーズビーとバブーの中学校時代の教師を交え宴をしようということに

その前にオーズビーと中華料理を食べ、その後ちょっと一人で通りを歩いてみた、というところまででした。

では続きをどうぞ

****************************

 夕方の5時にオーズビーとバブーが迎えに来てくれることになっていた。10分前、おれはバルコニーに出て、ホテルの前の通りを見下ろし、オーズビーたちがやってくるの待っていた。
 5時を回ったころ、東の方からオーズビーがベスパもどきに乗ってやって来るのが見えた。後ろにはバブーが乗っているようだ。オーズビーがおれに気づき手を振る、おれも手を振り、階下へ降りる。
 
 入口のところで、バブーがスクーターを降り、オーズビーの後ろに乗るよう手招きしている。おれがそこに乗ったらバブーはどうするのだろう…、まあ、言われるままにスクーターに乗る、するとさらにバブーがおれの腰を押しながら後ろに乗る、3人乗りだ…、しかも全員ノーヘル、本当にインドは何でもありだ。

 3人も乗って、ずいぶんと窮屈なスクーターは東へ向かい、途中、海へ向かう道を右に折れる、そして最初の日にオーズビーと、卵焼きを食い、甕で作った水割りを飲んだ掘立小屋の「レストラン」の敷地に入る。看板も何も出ておらず、その外観からもここがレストランだとは地元の人間以外だれもわからないだろう。


イメージ

 店の入り口のところに、大柄で少し頭髪の薄い、中年インド人男が立っていた。

『彼がボクたちの先生だ』

 先生は満面の笑みを浮かべ近づいてくる。

Hello!Hello!Hello! Welcome!Welcome! ジャパニー!!

 おれは先生と握手を交わし、「店」の中へいざなわれる。一つしかない少し大きめのテーブルに、おれたちはL字型に座った。縦の線にオーズビーとバブー、横の線におれと先生、すぐにビールと簡単な料理が出され宴は始まった。
 先生は、興味深そうにおれに質問を投げかける、バブーも聞いてくる、大体は他愛の無い話であるが、外国人同士だと、つまらない話でも盛り上がるものだ。

『コヘイジ、キミは日本のどこから来たんだ?』

 どこから? 先生の質問に少し考える、Tokyo、Osaka、Kyoto、辺りは言えばわかるだろうが、おれは神奈川の片田舎、地名を言ってもきっとわかるまい、一応、隣市でもっとも都会である街を言ってみる。

Yokohama
Yokohama!Oh、ポルトcity!

 ポルトシティー…、ポルトシティー…、  あっ! Port City  か! またRをそのまま発音してるんだ。へえ、横浜は知られてるんだ。

 この時、バブーがオーズビーのことを『ロメオ』と呼んでいることに気づく。おれがオーズビーと言っても分からないようだ。本名ではないのだろう。『ロメオ』とは、オーズビーのスクーターの名前だそうだ。おれもオーズビーは呼びづらいので、ロメオと呼ぶことにした。このさい本名は今はいい。

 バブーと言う男は、最初の生真面目そうな印象とは違い、とにかく明るく陽気な男だった、その陽気さにつられ、男4人、一人は教師であったが、自然と会話は、女のこと、そして下ネタへと変わっていく。

 ロメオが言う。

『コヘイジ、カルカッタからの列車で、ボクは女の子を連れていたろう? あのコはボクの彼女なんだ、それであの夜、ボクたちはキミの知らないうちに3回もSEXをしたんだ』

『ええーーーーーーーー!』

 とおれは驚いて見せた。驚いたのは3回もイタシた…、ってことではない、ウソに決まっているからだ。あのラッシュ時の満員電車のような状況でできるはずもなく、夜が明け、空いてからもおれはしょっちゅう目を覚ましていたんだから…、  おれが驚いたのは、あの可憐で華奢な美少女、ロメオの娘だと思っていたくらいの子供だった、あんな子供が彼女! という驚きだった。

『なあ、コヘイジ…、日本語で…、男のココのことはなんて言うんだ…?』

 腕を枕に、少し傾きながらだいぶ酔いが回って来てるように見えるバブーが、自分の股間を指さして言った。

 おれは少し考えてから答えた。

『ダメだよ、バブー、それを教えるとキミはきっと日本人をこの街で見かけたら、その言葉を叫んでからかうに決まっている』

 バブーはまるで子どものように、本当に泣きそうな顔をして哀願するように続けた。

『コヘイジ~、ボクはそれを言わないよ、必ず約束するよ、お願いだから教えてくれよ~、インドでは男のココはBandoだ、日本語も教えてくれよ~』
『バンドゥ?』
『そう、バンドゥ!』

 他の2人も笑ってうなづく、  うーーーーん… 仕方ない…、教えてやるか、でも日本語で男のアレは色んな呼び名があるからな…。  おれはいくつかあるその呼び名から、万一バブーが日本人観光客相手にそれを叫んでも、あまり下品にならないような呼び名を選んだ。

『日本語で、男のココは…。』

『キン〇マ! だ!』

『OH!KINTAMA--!』
『OH!KINTAMA--!』
『OH!KINTAMA--!』

辺りもすっかり暗くなった夜、インドの片田舎の小さな掘立小屋で、中学校教師まで含んだインド人男たちの『KINTAMA』の大合唱が始まってしまった…。

 バブーがトロンとした目で言った。

『コヘイジ、明日、ボクがロメオのKINTAMAを料理してあげるから、食べに来ないか』

 つまらないジョークだが、おれは考えるふりをして、真剣な顔で答えた。

Sorry, tomorrow 、I'm very busy.、Can you cook his KINTAMA the day after tomorrow

  これには一同大ウケであった。おれもさらっと出たアメリカンジョーク的な言葉に自画自賛であった。

 その後、バブーは、胸のあたりで、ボインの仕草をして、女性のここは何て言うんだ、と聞いてくる。おれは当たり障りなく、「オッ〇イ」ではなく、「ムネ」だ、と教えてやった。

 夜も更け、楽しい宴はお開きとなった。飲食代は先生のおごりだった。

『インドを、プリーを楽しんで』

 先生はそう言って笑顔で去って行った。ロメオがホテルまで送ってくれる、と言ったが、夜風に当たりながら歩いて帰る、と、おれは二人に別れを告げ歩き出した。
 通りの両側の商店は、それぞれ薄暗い灯りをともしまだ店を開けていた。
 おれは、ホテルの近くまで来ると、そのままホテルには戻らず、海の方へ向かい左におれた。街灯のない真っ暗な道、ゆっくりと歩く。ふと、左側の雑木林に目をやる。無数の青白い小さな光が飛び回っている。

『ホタルだ…』

 インドにもホタルがいるのか…。実はおれがホタルを見たのはこれが初めてだった。おれはしばらくその幻想的な夜の闇の光を眺めてから、向きを変え、ホテルへと戻った。


 
******************つづく

このときの宴は本当に楽しかったですね。前にも言いましたが、私はこの6年後、バブーとこの街で再会しております。その時、私と会ってバブーが真っ先に言った言葉が『キン〇マー!、ムネ、ムネー! Day after tomorrowー!』でした(笑)。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です





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インド放浪 本能の空腹⑰ 『インドで中華料理』

2020-05-20 | インド放浪 本能の空腹



30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。

前回は、1日だけのホームステイをさせてもらったオーズビーの友人、バブー、と出会い、バブーのおじが経営するホテルにしばらく泊まることに…

バブーからのお誘いでその日の夜は、オーズビーとバブーの中学時代の先生を交え食事をしようと…。
今回は、その夜の宴の始まる前までのできごとです。


********************************

 『昼は中華料理にしよう』

とオーズビーが言った。

中華!

 まだバングラディシュ、インド、とやって来て数日だが、Biman Bangladesh Airlines の機内食から始まり、食ったものと言えば、カレーか、カレーのようなもの、ばかりであった。美味かったし、飽きたというようなことは決してないのだが、日本の国民食とも言えるカレーと本場のそれはだいぶ違う。中華の方がなじみが深いだろう。おれは二つ返事でその提案に乗った。

 ベスパもどきのスクーターに二人乗りで走り出し、街の、さらに西の方へ向かう。駅周辺から東側にかけては、掘立小屋のような家々が多かったが、こちらはわりと立派な造りの家が多いように思えた。銀行や役所などもこちらにある。さらに西へ行けば、南北を結ぶ街道沿いにそこそこ大きなバザールがあるそうだ。

 ほどなく、南国っぽい真っ白な造りのChinese Restaurant に着いた。
 カルカッタの街をラームとタクシーに乗ってざっと見て回ったが、おそらくは日本料理店などはないだろう。マクドナルドだって見かけなかったくらいだ。それに比べて中国人?中華料理店は世界中にあるだろう、まあ、たくましい連中である。

 店内の壁もテーブルも椅子も真っ白で、明るく清潔そうであった。中国人? らしき店員に案内されテーブルにつく。メニューを広げる。料理は英語で書かれている。

Vegetable Chow Mein 』…

 これはなんだろう…? チョウメィン…、チョウメィン…、チョウメン…、チョウメン…、チャーメン…、

 あ! 焼きそばか!

Chow Rice 』…

 チャーライス… つまりチャーハンだ!

Vegetable noodle soup

 これはー…、タンメンだな!

 なるほど、おれはなんとなくだがそう解釈し、おそらくはそうであろうタンメンを注文、オーズビーは野菜焼きそばを注文した。
 テーブルの上にいくつかの調味料が並べられていた。
 四角い小さながガラスの器があった。その中には、輪切りにした青唐辛子を、おそらくは酢でつけたものであろう調味料が入っていた。オーズビーはその調味料のふたを開け、前屈みになってスプーンで掬いズズッ、ズズッ、啜りはじめた。こんなことを日本でやれば即刻退場だ、だがここはインド…

『コヘイジ、キミも飲んでみろ』

とのオーズビーの言葉にのって、おれも一口啜る、まあ、辛い…、予想していた味だが悪くない、これはすぐに作れそうだ、日本に帰ったらおれも作ってみよう。

 料理が運ばれてくる、予想通り、おれのはタンメンのようなラーメン、オーズビーはのは焼きそばであった。
 ラーメンは間違いなく世界で一番日本のラーメンが美味いだろう、町の中華定食屋だってよほどでなければ不味いラーメンなんて出会うことは少ない、本格的中華料理店で食べるラーメンなんてかえって物足りなく感じることの方が多い、ここのタンメンは、まあ、そんな感じのものだった。だが、週に何度かは麺類を食っているおれは、数日ぶりの麺を啜る、ということに十分に満足したのであった。

 食事を終え、一服ののち、おもむろに席を立つオーズビー。

『さあ、そろそろ行こう』

 そう言って、そのままゆっくり、伝票を持つこともなく先に外へ出てしまう、ここの支払いはキミがするのが当然、と言わんばかりの行動である。

 おれは、決して金持ちではないがケチな方ではないと思っている、会社勤めをして、初めてのボーナス、金がある時であれば、学生時代の後輩たちに鱈腹飲み食いをさせることなどになんの抵抗もなかった。だから焼きそばをおごるくらいはどうと言うことはない。しかし、それが当然、と言う態度にはいささか腹が立つ、ここへ来て最初の日、掘立小屋のレストランでの卵焼きと、甕の水で作った水割り、あの時もそうだった、その上カメラと靴まで、良くない言い方だがたかられている、いつも一方がおごるのが当然のようでは友人とは言えまい。
 何よりおれはこの街が気に入った。長い滞在になるかもしれない。このような関係のままではいけない、だが、一宿一飯の恩もある、夜行列車の席を譲ってもらってもいる、それでもいずれははっきりと言わなければならないだろう、そう思いながらこの時は黙って支払いをしたのであった。

 ホテルに帰ると、オーズビーは夕方バブーと迎えに来る、そう言って帰って行った。
 日本を出てから、昼の時間に一人になるのは初めてだった。

『外へ出てみよう』

 おれは一度部屋に入ったものの、すぐにまたホテルを出て歩き出した。天気は快晴である。暑くも寒くもない、爽やかな空気だ。本当にこの街へ来てよかった。通りは車も少なく、人も多くはない、隅の方の日陰で野良犬が列を作って寝ている、野良牛もそこかしこにいる。日本で一分一秒刻みで忙しく働いていた時、思い浮かべていた光景が今ここにある。

 ふと、

『そうだ、日記をつけよう』

 そう思い立った。だが日記帳のようなものは持って来ていない。通り沿いに並ぶ屋台のような店には雑貨、日用品を売っているような店もある、そんなものが売ってそうな屋台を見つける、日本の大学ノートのようなものはなかったが、固い表紙の、分厚く重厚なノートを見つけた。2ルピーを支払いノートを手にしてホテルへ帰る。

 部屋で寝ころび、これまでのことを思い出す、夜の東京の公園で、おれの旅立ちに涙したK子のうつむいた姿、野良猫の走り回る真夜中のダッカ空港、虚ろな目をした少年の物乞い、昼間のダッカの凄まじい喧騒と混沌、カルカッタダムダム空港の消えたネオン、入国審査の部屋をうろつく巨大なゴキブリ、タクシードライバーたちの怒号、ダッカがかわいく思えるほどの凄まじい喧騒と混沌、夜のサダルストリート、襲いかかるゾンビのようなポン引きと物乞いの猛攻勢、手のない人、足のない人、指の溶けた人、両足を失い、手作りのスケートボードに乗って、杖で船を漕ぐように迫ってきた老人の物乞い、そしてラームとの出会い、15万の買い物…、インド映画、満員電車のような夜行列車…。 

 すべてが強烈だった。

 おれは鮮明に脳裏に焼き付いている光景を思いうかべ、窓からの心地よい風を感じながらベッドに寝そべって日記を書き始めた。


*******************************
今回の記事は、わざわざブログに投稿するような特別な出来事でもないのですが、こののち、インドの親友となるバブーとの違いを鮮明にしたいと思い記事に致しました。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。



追伸 今年の夏の甲子園の中止が決定したようです。いくらなんでもやりすぎだと思います。これまで当ブログでは再三に渡り述べてきましたが、今、日を追うごとに、多くのデータが武漢ウイルスはインフルエンザと比して、脅威とは言えないことを証明しています。子供たちのことを思うとやり切れません。

公益財団法人 日本高等学校野球連盟
〒550-0002
大阪市西区江戸堀1-22-25 中沢佐伯記念野球会館内
TEL:06-6443-4661
FAX:06-6443-1593

私は、ここに電話をしてみます。決して感情的に抗議や誹謗中傷をするのではなく、これまで武漢ウイルス関連の記事で申し上げてきたとおりのことを、冷静に判断し、もう少し考える時間を持ってほしいことを伝えたいと思います。
 
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インド放浪 本能の空腹⑯ 『バブーとの出会い』

2020-04-13 | インド放浪 本能の空腹

画像引用元:そうだ、世界に行こう。【美しき青い街並み】ジョードプルを観光してわかった本当の見どころ


 こんにちは、インド放浪 本能の空腹⑯ 

 『バブーとの出会い』

をお送りいたします。前回は、プリ―行の夜行列車で知り合った、オーズビーの自宅に招かれ、ご家族と一緒に、夕食をごちそうになった上、一晩泊めてもらいすっかりご満悦だった私。ところが、翌朝、目覚めてみると、プレゼントなどした覚えもないのに、なぜかオーズビ―が私のスニーカーを履いて、『ありがとう』 と礼をいう、解せないながらも、諦めたところへさらに追い打ち、私のカメラを父にプレゼントしたい、インド製だけど良いものを代わりにプレゼントするからとオーズビ―。カルカッタで完全に私が大損しただけの『仲良くなった証の物々交換…』がここでも!?

30年近く前の私のインド放浪、日記をもとにお送りしています。

ではつづきです。

*****************************************************

 
 昨日の夕食時、日本製のカメラを見たい、と言うオーズビーの父親におれの持ってきていたカメラを見せた。興味深そうに、ぐるぐる眼鏡の奥から目を輝かせて眺めていた。それを、オーズビ―は父親にプレゼントしたい、と言うのだ。インド製だけど良いものを代わりにおれにわざわざ買ってプレゼントする、と言うのだ。インド製のいいやつが買えるなら、オヤジへのプレゼントはそれでいいじゃないか、ダメなの?どうしても日本製がいいの?

『オーズビー、すまないけどこのカメラはボクの物ではないんだ、父の物だから、キミにプレゼントすることはできないよ』

 これは本当の話である。色々おれの家は苦労も多く、父親はあれこれ商売に手を出し借金なども随分したが、このごろ落ち着いて、夫婦で旅行になど出るようにもなり、そんな旅行風景などを撮るために、高級とは言えないが、そこそこ良いものを買って、それをおれが借りてきていたのだ。

 だが、オーズビーは諦めない、何とかおれを口説こうと、必死に懇願して来る。

『コヘイジ、ボクは父に苦労をかけた、父は日本製の機械類にとても興味がある、だからどうしてもプレゼントしたいんだ、普通にインドで日本製のカメラを買おうと思ってもとても買えないんだ…。』

 うーーーーーん…、だからと言って、くれ、はないだろう、だが、結局、おれは根負けし、オーズビーの懇願にOKをしてしまったのだった。


三たびオーズビーの父の写真

 カルカッタで、ジャケット、バッグ、時計、プリーでカメラ、これにより、今後、『仲良くなった証の物々交換』を迫られても、もうインド人が欲しがるようなものは何もなくなってしまった。逆に安心だ。そう思うことにした。

 その後、オーズビーの母親の手料理で朝食を済ませ、ベスパもどきのスクーターに二人乗りして走り出す。
 ここには大通り、と言ったような交通量の多い道もなく、皆がのんびりと歩いている。道の両側には、雑貨や軽食を売る屋台がポツポツ並び、人、サイクルリクシャ、野良牛、野良犬、野良ネコ、みんなのんびりだ。
 少し走り、オーズビーの友人の伯父、が、経営すると言うホテルに着いた。オーズビーの家と同様、青い塗装の壁に、パステルイエローのライン、南国っぽい3階建のホテルであった。見た目は悪くない。
 入口は開け放たれていて、開放的だ。オーズビーに連れられ中へ入る。友人の伯父、は、小太りで、トロンとした眼が特徴的な男だった。一泊120ルピーだと言う。おれのような貧乏旅行者にはちょっと高めだが、それでも日本円で600円だ。どれくらいここにいるかはわからないが、仮に1ヶ月いたとしても18,000円、まあいいだろう。
 案内された部屋は2階、カーペットなどが敷かれているわけではもちろんなく、壁と同じ青色のむき出しの床、それでも割と広く、シャワールームとトイレ、まあ悪くない。おれはここに宿泊することを決めた。

『どれくらいプリーにいる予定だ? 支払いは前金なんだ』

 と、伯父のオーナー。

 そうか、そんなこと全く考えていなかった。どれくらいいるのだろう…?おれは少し考えた。このプリーの街は気に入った。元々あちこち動き回りたいわけではない、どこか海の近くの街で、まるでそこの住人になったかのようにして過ごしたい、と言うのが願いであった。そういう意味ではまだ二つ目の街だが申し分ない、それでも、突然気が変わるかもしれない、おれは一先ず一週間分の宿代を払うことにした。

 支払いを終え、部屋に荷物をおろしたところで、一人の若い男がやってきた。

『彼はバブーというボクの友人だ』

と、オーズビーがその男を紹介する。ビーバップハイスクールのリーゼントパーマのような天パーのヘアースタイルに鼻の下には髭、そんな風体のバブーはにこやかにおれに握手を求める。おれもそれに応じる。バブーが名刺をよこす。肩書は、ツアー会社か何かの代表者のようだ。名前は確かに『Babu・Dola』と書かれている。あだ名かと思ったが本名らしい。バブーは言った。

『コヘイジ、今日の夜、彼とボクの中学校のころの教師を交えて、一緒に食事をしないか』

 オーズビーも頷く。おれが断る理由は何もない、だが、中々一人で行動させてくれないのがインドだ。

『OK、ありがとう、一緒に食事をしよう』
『ボクはまだ仕事があるから、夕方またここへ来るよ、それまでゆっくりしてくれ』

 バブーはにっこり笑ってそう言うと部屋を出て行った。
 バブーが去った後、おれはオーズビーとともにバルコニーへ出てみる、客室のほかに、2階の一部がバルコニーになっているのだ。

 天気も良く見晴らしがいい、海は一段低くなっているからここからは見えなかったが、それでも低い街並みは結構遠くまで一望できる。気持ちがいい。
 再び部屋へ戻りオーズビーと談笑していると、開けっ放しのドアの方に人の気配を感じる、目をやると、そこにはくりくりとした目を持つ、将来はとても美人になりそうな、三歳くらいの少女がドアの陰に体を半分ほど隠すようにしておれを見つめていた。おれはにっこり笑って少女に手を振る。

Hello…、namaste…、

 そう言っておれは、微笑みながら両手を胸の前で合わせる。

 少女ははにかみながら、おれと同じように手を合わせ微笑む。

Hello…、namaste…、

『お名前は…?』

『マリア…』

『マリア、いい名前だね…』

 オーズビーが、

『マリア、こっちにおいで』
 
そう言って手を広げると、少女はにっこり笑って走り寄りオーズビーの胸に飛び込む、そして抱きかかえられたまま笑みを浮かべてまたおれを見つめる。

『この娘はここのオーナーの娘なんだ…。』

 きれいな身なりをしている、そこそこ裕福なのだろう、カルカッタのゴミの山をあさっていた少年少女の姿がよみがえる。だからどう、と言うわけではないが、インドの激しい貧富の差を感じずにはいられない。

 それでも、こうしてまたおれの顔を知る者がこの街に増えた。おれのインド旅行の最大の目的、海に近いどこかの街で、そこの住人のようにしばらく過ごす、ゆっくりだが確実に始まっているようだ。



*********************************************************************

この時出会ったバブー、私にとって忘れることの出来ないインドの友人、となって行きます。少女のマリアは、その内私に慣れ、勝手に部屋へ入って来ては、私の荷物を物色し、これは何だ? あれは何だ?、と、とてもかわいらしく聞いて来るようになります。

あとですね、この時から泊ったこのホテル、日記のどこを読み返しても名前が書かれていないんです。なんて名前だったかなあ…

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。




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インド放浪 本能の空腹 ⑮  『インド家庭料理にご満悦』

2020-03-19 | インド放浪 本能の空腹



30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

前回、オーズビーと共に掘立小屋で甕の水で割ったウイスキーの水割りを飲み、一晩泊めてくれるというのでオーズビーの自宅へ、ベスパもどきのスクーターに二人乗りして到着、家族に挨拶をして、夕飯までの間、前夜の満員夜行列車の長旅の疲れから、男同士でベッドに横になり、泥のように眠ってしまった、と言うところまででした。

つづきの前に、私がフォローさせて頂いているブロガーさん、「25時間目  日々を哲学する」さんが、しばらく更新がなかったので気になり、訪れてみたら、お亡くなりになっていたようです

心よりご冥福をお祈り申し上げます

では、つづきをどうぞ


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 オーズビーにゆすられ目を覚ます、辺りはすっかり暗く、夜になっていた。時間的にはさほどでもなかったように思うが、よほど疲れていたのだろう、随分と深く眠ったようだ。

『よく寝たな、夕飯の支度ができている』

 オーズビーはそう言っておれを食卓のある部屋へと案内する。オーズビーの両親、姉が笑顔で迎えてくれる。
 おれは上座のようにテーブルの中央に座らされた。左にオーズビー、その奥に姉、右に父、その奥に母、という具合だ。

 テーブルには見たことのないような料理が所せましと並べられていた。ビールも用意されている。料理はサラダなど野菜が目立つ、チャーハンだか、リゾットだか、コメの料理もある、鳥らしき肉も美味そうだ、あとはカレーらしきものが数種、ナンもある。なかなかに豪華だ。
 オーズビーの父がビールを注いでくれる、インドに来てから、酒ばかり飲んでいるような気がする。
 料理は美味かった。カレーは特に美味かった。おれはオーズビーの母につくり方を聞いた。全てが理解できたわけではないが、多分日本に帰ってからそれっぽいのは作れそうだ。

 会話の中心は主に父親だった。内容はほとんどが日本の機械製品、カメラとか時計、それに電化製品、そんなことだった。時折、専門的な事を聞いて来るので、おれはよくわからないまま適当に相槌をうってごまかしたりしていた。 母と姉は時々、初めて日本人の客と食事をする、という非日常なできごとに緊張してか、ちらちらとおれを見たりはしていたが、カレーの作り方以外、ほとんど会話には加わらなかった。オーズビーも時々父の質問におれが窮すると、代わりに答えてくれる以外は、食って飲むばかりだった。
 それでも宴は楽しかった。そして美味かった。ビールも随分と飲んだ。インドを旅する中で、こういう機会に恵まれることもあるだろうとは思っていたが、それが来て早々に実現するとは思わなかった。


オーズビーと父親の写真、また貼っておきます


 気持ちよく酔い、再びオーズビーの部屋へ戻る。

『オーズビー、とても美味しかった、本当にありがとう』

 おれたちはしばし談笑し、再び男同士、ベッドで横になる、昨夜の疲れ、ビールの酔い心地、昼寝をしたにもかかわらず、おれたちはすぐに眠りに就いた。

 翌朝、目を覚ますと窓から柔らかく優しい陽光が射し込んでいた。朝だ。
 傍らを見ると、すでに目を覚ましていたオーズビーが椅子に腰かけ、前屈みになってスニーカーの靴紐を結んでいる。

Good Morning…

 おれが声をかける。オーズビーが靴紐を結びながら応える。

Good Morning…

 そして、靴紐を結び終えると、両手でスニーカーをポンポンとはたきオーズビーは言った。

Thank you very much!  Just good ,for me

 …、目を覚ましたばかりのおれの頭はまだ回転が鈍い、オーズビーは何を言ってるんだ…? 何が『Thank you very much!』なんだ…?

 徐々に覚醒してきたおれは、オーズビーが履いている靴を見て仰天した。

おひおひ!! オーズビー君! それはおれの靴じゃないかい!!!


 おれは何が何だかわからない、なんでおれの靴をオーズビーが履いているのだ??? ありがとう、ってどういう意味だ? おれが靴をオーズビーにやった、と言うのか? おれの頭はだいぶ混乱していた。

 あまりに堂々とおれの靴を履き、『Thank you very much!』なんて言うからにはおれが靴をあげたのだろう…、いや、そんなはずはない…、おれはそのスニーカーしか持って来ていないのだ、やるはずがない…、それともあれか?、インド人は友達になった証にものを交換するって、お気に入りの懐中時計が、手書きでCASIO、と書かれた安物デジタル時計に変わっちゃうって、あれか?
 だいぶビールを飲んだが、記憶を失くすほどではない…、物々交換ならおれに何か代りのものがあっても良さそうだが今のところ見当たらない…。

 しばらく考えたが、それをやった覚えはない、と言ってゴタゴタするのは面倒だ、まっ いっか! おれの悪い癖だ。幸いカルカッタで買い物のお礼にと、店からインド人男の服と一緒に、そこそこ良さそうなサンダルももらっていた、しばらくはそれでいいだろう。
 ところが、靴だけで話は収まらなかった。オーズビーが言うのだ。

『なあ、コヘイジ、昨日キミが父に見せてくれた、あのカメラだけど…、あれをボクは父にプレゼントしたいんだ…、その代り、インド製だけど良いものをキミにプレゼントするから…。』

 出たーーーーーーーー!! 仲良くなった証の物々交換!!!!

 さて、おれのカメラの運命は… 長くなったのでそれはまた次回で


************************************つづく

日記を読み返している内に、日記には書かれていないことを思い出したり、逆に忘れていたことを思い出したり、楽しく書かせて頂いております。
オーズビーの母に教わったカレーのレシピは、日本に帰ってから日本人の口に合うようアレンジしまして、あるイベントで屋台を出店して、3日間やったんですが、3日目には噂を聞きつけ、他の出店者が行列を作るほどに大成功したんです。カレーに関しては、多分世界一美味しいのを作れる、と思っています(笑)

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。


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インド放浪 本能の空腹⑭ 『1日だけのホームステイ』

2020-03-03 | インド放浪 本能の空腹


画像引用元 そうだ、世界に行こう『インドの田舎村でホームステイしたらカルチャーショック祭りだった』



インド放浪 本能の空腹⑭ 『1日だけのホームステイ』

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

前回、どういういきさつでそうなったかはわからないまま、カルカッタからプリー行夜行列車でともに旅をしたオーズビー、彼と共に彼の愛車、ベスパもどきのスクーターに二人乗りし、海を見て、ヤシの葉でできた掘立小屋のオンボロレストランで卵焼きと、甕から汲んだ水で割ったウイスキーの水割りを飲んだ、というところまででした

では続きを


*******************************************


 卵焼きとウイスキーだけの簡単な食事を済ませ、おれたちは再びスクーターにまたがり走り出した。
 プリーの街は、人が少ない、と言うほどではないが静かだ。人、サイクルリクシャ、その他野良犬、道の真ん中には野良牛がどうどうと座っている。

 のんきな街だ。

 プリー到着間際、列車の中でざっと地球の歩き方に目を通したが、このプリーの街は、どちらかと言えば、西の地域に銀行や官公庁らしき施設があり、街の一応の中心となり、東側にはおれのような貧乏旅行をする外国人バックパッカーのための安宿やレストランがちらほらとあるようだった。
 駅を出てからのおれの方向感覚では、どうやら街の西の方へ向かっているようだ。こちらの方は外国人の旅行者などはあまり来ないようで、こうして走っていても一人も見かけない。
 
 やがてスクーターは、掘立小屋の並ぶ『住宅街?』のようなところの小路をすり抜ける、小屋の前で色褪せたサリーをまとった女たちが、タライに水を汲み、しゃがんで洗濯やら、野菜を洗ったりしている、前方に見えたばあさんと目が合った。ばあさんはスクーター、ではなく明らかにおれの顔を見て、卒倒するほどに驚いた顔でのけぞり、すれ違うまでおびえたような顔でおれを見つめていた。
 やはりこっちの西側にはあまり外国人は来ないのだろう、来てもこんな『住宅街?』を通ったりはしないのだろう。

 ほどなくしてオーズビーの自宅に着いた。平屋だが、壁一面を水色に塗った、コンクリ造りの割と立派な家だ。つい今しがた見てきた掘立小屋に比べれば、なおのこと立派に見える、そこそこ裕福な家なのだろう。

 手入れをしているとは思えない、緑の草や低木が雑に生える小さな庭から玄関へといざなわれ、中へと入る。

『ちょっと待っていてくれ』

 そう言ってオーズビーは奥の部屋へと消える、すぐに、オーズビーの家族が出てきた。年配の男女と、若い女、オーズビーの両親と姉、だそうだ。

『ナマステ―』

 おれと家族は向き合って胸の前で手を合わせ挨拶をした。家族はみな笑顔で迎えてくれた。

 基本的にインド人と言うのはシャイなのである。外国人に積極的に話しかけてくるやつ、ってのは大概悪巧みがあるやつだ、と聞いていた。必ずしもそうとは言えないまでも、大方当たっていると、おれはこの旅を通じて実感していくのだが、基本的にごく普通のインド人はシャイだから、コントで使うぐるぐるメガネのような目で興味津々、おれを見つめる父親を除けば、母と姉は笑顔は見せるものの、ちょっとぶっきらぼうな態度にも見える。

 『夕飯まで、ボクの部屋で休もう』

 おれはもう一度家族に笑顔で会釈をして、オーズビーに続いた。



※注釈 上の写真は、私が現地で撮った数少ない写真のうちの、さらに少ない現存する当時の写真です。目を塗りつぶしていますが、座っているのがぐるぐるメガネのオースビーの父親、その隣に立って背を向けているのがオーズビーです。

 
 小ざっぱりとした部屋だった。言われるままにおれは椅子に腰かけた。目の前の棚に、本やらカセットテープやらが並んでいる。オーズビーがカセットテープを指さし言う。

『コヘイジ、何か音楽を聴くか?何がいい?』

 何がいい?、と聞かれても、ミミズが這いつくばったような文字で書かれたタイトルを見ても、カルカッタの街中、大音量で流れていたあの独特のインド音楽であるだろう、ってこと以外分かるはずがない。

 と、その中に

『 Michael Jackson・Thriller 』

を見つける。  おお…

 マイケルジャクソンの音楽は、普段のおれにとっては、特別嫌いということはないが、わざわざ買って聴くほど好きでもない、というくらいの感じの音楽だった。だが、もはやすでに食傷気味のインド音楽よりはずっといい。

『マイケルジャクソンが聴きたい』
『OK』

 オーズビーは棚からカセットを取り出し、デッキへセットする。すぐに聴きなれたソウルフルな曲が流れ始める。そのマイケルの曲に合わせて、オーズビーがなんだか奇妙な踊りを踊り出す、どうやらさほど上手いとはおせじにも言えない『Moon Walk』をやって見せてくれているのだ。

 おれは笑っていいのか褒めていいのかよくわからず、生粋の日本人らしく無難な愛想笑いをして拍手を送った。
 まだ2曲ほどしか聴いていないうちに、オーズビーはカセットデッキから無言でテープを取り出しケースにしまい、棚からミミズの這いつくばったような文字のカセットテープを取り出し、ボリュームを上げてかけ始めた。またしてもあの不可思議な音階のインド音楽が部屋に響く…。やはり結局こっちの方が好きなんだな…。

 おれたちはしばらく談笑していたが、昨夜の、あの過酷な満員夜行列車の疲れもあり、つい男同志でベッドに横になると、甕の水の水割りの効果もあり、たちまち眠りについた。泥のように眠る、まさにそれだった。



*********************つづく

 このシリーズを書き始めた時、屋根裏部屋に入り、古いアルバムやらをひっくり返してみましたが、やはり写真はほとんど残っていませんでした。度重なる引越しで、無くなってしまったんでしょうか。ちょっと残念ですが、奇跡的に残っていた何枚かの写真、この日記の中でご紹介できるものは載せて行きたいと思います。
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。


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インド放浪 本能の空腹⑬ 『オーズビーに連れられて』

2020-02-04 | インド放浪 本能の空腹

画像引用元 (そうだ、世界に行こう インドの田舎村でホームステイしたらカルチャーショック祭りだった )


インド放浪 本能の空腹⑬ 『オーズビーに連れられて』

前回、超満員の夜行列車で、押し合いへし合いどうにか一晩かけてやって来たプリー、その南国情緒あふれる静かな田舎の街並み、オーズビーのスクーターに二人乗りして風を切り走り出す、カルカッタとは天国と地獄ほどの差を感じる、プリー、にすっかりご満悦な私、というところまででした

では、続きをお読み頂ければ幸いです


*********************************

 閑散とした駅前からの一本道を南へ向かう、朝食(時間的に昼食?)の前に海を見に行こうとオーズビー、軽快にベスパもどきのスクーターを加速させる。
 道の両側には広い湿地のような空き地や、地震や台風が来たらひとたまりもなさそうな掘立小屋がぽつぽつと建っている。

 海にはすぐに着いた。



  『海だ!!』

 思わず叫ぶ言葉としては、これ以上浮かばないほどの真っ青な海! 白い砂! 左右遠くまで広がる海岸線!!

 美しい海だ!

 だが、もちろん海水浴客などで賑わってはいない。右側、おそらくは西、には、観光客らしきまばらな人影が海岸におりているのが遠くに見える、左側、おそらくは東、には、木端舟のような長細い小型の舟が無数に海岸に並んでいる。

 それにしても美しい海だ、日本では沖縄、おれの住んでいる関東近辺では西伊豆の岩地や、南伊豆の弓ヶ浜のような美しさ、だが広さが違う、海好きのおれは、水中眼鏡を持って来なかったことを少し後悔した。

 美しい海ではあるが、賑わいがないので少し寂しげでもある、夏休みの終わったばかりの海岸のようだ。

『ワタル、ワタル!』

 オーズビーが目の前の海に向かって手を広げ何かを言っている。

『ワタル、ワタル!』

 ワタル、ってなんだ?
 おれたちの立つすぐ横に小さな流れ込みがある、ここを渡る、って日本語で言っているのか?さっぱりわからない。

『ワタル!ワタル!…☆※◆✖、…in Japanese? ワタル!ワタル!』

『…、ワタル?、日本語で?… ワタル、ワタル…』

 とここでふとインド人はRをそのまま発音するのを思い出す。

『ワタル…、ワタル… ワター…、ワター…、  … Water!!!

 なるほど!それでさっきからオーズビーは海に向かって手を広げていたわけだ。だがそれならwater、ではなくseaだろう、日本語で教えるにしても大きく意味が違ってしまう。

『Ah… Are you talking about a sea?』
『Yes!Yes!』

 それならば、と、おれは海に向かって大きく手を広げオーズビーに言った。

『This is a UMI!!!
『UMI?』
『Yes!  うみ!!!
『ウミ!!!』

 オーズビーも嬉しそうに『ウミ!!!』と叫ぶ。

 おれたちは再びスクーターにまたがり来た道を戻る、途中2階建てのコンクリート造りの小さな建物の小さな敷地へと入った。建物の前には開けっ広げのヤシの葉でできた掘立小屋が建っている。オーズビーはそこでスクーターを停めおれを促す。
 掘立小屋にはみすぼらしいテーブルと椅子がある、ここで食事をするらしい。
 掘立小屋の奥は小さいながらも厨房になっているようだった。オーズビーは奥にいる痩せた無愛想な店員に何かを告げる。ほどなくして運ばれてきたのはシンプルな卵焼きだった。

『食べよう』

 オーズビーはそう言って皿に盛られた卵焼きを直接手づかみで口へ運ぶ、おれも倣って手づかみで口へ運ぶ。   美味い…。

 そう言えば昨日の夜もあの二等車でぎゅうぎゅう詰めにされたまま何も食べてはいなかった。おれの森進一まで飛び出したあの15万の狂宴以来だ。

『コヘイジは酒を飲むのか?』

 え? 酒?

 またしても酒、だれだ、インド人はあまり酒を飲まないとか言っていたのは。

『飲みたいならそこが酒屋だから、50ルピーくれればボクが酒を買ってくるよ』

 そう言ってオーズビーは背後のコンクリート造りの建物を指す。
 ラームのように何でもおごってくれるわけではなさそうだ、おれとしてはその方がありがたい、だからと言っておれがおごる道理もないのだが、まあ今夜は家に泊めてもらうし、こうしてバイクにも乗せてもらっている、おれは気にすることもなくオーズビーに50ルピー手渡した。
 オーズビーは見たこともない銘柄のウイスキーの小瓶を買ってきた。それを薄汚れた2つのグラスに注いだ。

 そして…  それからなんと!

 そのウイスキーの注がれたグラスで、すぐわきにあった甕に貯めてある水を掬い水割りを作ったのだ!

 おひおひ!! それはだめだろう!!

 インドを一週間以上旅をして下痢をしない日本人はいない、と聞いていた。このころ胃腸には多少の自信のあったおれでも、水道の水などを口にはしないよう気を引き締めていた、なのに水道どころか、甕の水!!!それはいくらなんでも無理だろう、百発百中だろう。

『オーズビー、その甕の水はボクには飲めない』

 と言ってみたが、オーズビーは不思議そうな顔をしているばかりだ。ペットボトルの水も切らしている、そこらにある屋台に買いに行こうかとも思ったが…。

 まあいいか! めんどくさいし! アルコールがきっと消毒してくれるだろう!
 おれはそれ以上何も言わず、グラスの水割りをグイッと喉に流し込んだ。

 美味い…。昨晩の過酷な旅の疲れもあったろう、五臓六腑に染み渡るとはこのことだ。

 それから1時間ほど、その掘立小屋で酒を飲み、まあ飲酒運転なんて関係ないのだろう、再びスクーターに乗りオーズビーの家へと向かった。


 さて、プリーでの初日、一体どんな一日になるのだろう。


******************************

甕の水を汲んで差し出されたときはさすがに驚きましたね。いや、彼らにとっては何でもないことなんでしょうけど、日本から来て間もない私には流石に…。でこの後のことですが、私はインドで一度も下痢をしておりません! 野生児か!!

※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです。引用元を提示している画像はご了承を頂き掲載しております。 その他は無料画像です。



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インド放浪 本能の空腹⑫ 『夜行列車』

2020-01-21 | インド放浪 本能の空腹



こんにちは

インド放浪 本能の空腹⑫ 『夜行列車』

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

前回、ほぼほぼ無理やりにカルカッタを脱出、その際に出会った男と少女、乗客名簿に自分の名前がなかった私は、とりあえずはこの2人に店のオーナーが何かを言ったおかげで、なぜだかはわかりませんが、いよいよ夜行列車に乗って南の街、プリーを目指します

では、続きをどうぞ


***********************************


 おれは、男と少女と向かい合わせに長椅子に座った。

『ハロー、ジャパニー、ボクはオーズビーと言うんだ、キミは?』

 そう言って男はおれに握手を求めてきた。

『ボクはコヘイジ…』

 おれも右手を差し出す。続けてにこやかに右手を差し出す少女とも握手を交わす。この客室?、にいるのはオーズビーと少女とおれ、の3人だけだ。

 さて、今起きていることは何だろう…。

 そもそも乗客名簿におれの名はなかった。理由はわからない。長椅子は全部で三段ある、眠る時はこのまま横になれるのだろう、向かい合わせで三段ずつだから、ここの定員は6人なのだろう、つまりは、今おれが座っている座席は本来オーズビーか少女の予約した座席なのだろう、そこへおれが無理くりに乗り込んだってことなのだろう。
 長椅子の幅は狭く、人ひとりが横になる分にはさほどでもないが、二人で寝るとなったらかなり狭い、おれがここに乗ったおかげで、オーズビーと少女は狭苦しい状態で眠らなければならなくなったのだ、だから当初、好青年がおれを乗せるよう頼んだ時には、断ったのだろう、だが、オーズビーと店のオーナーの関係がどのようなものかはわからないが、力関係から断ることもできず、渋々承諾したってとこだろう、おれは少しばかり済まない気持ちになった。

 しばらく、オーズビーとはたわいもない会話が続いた。いつインドへ来たのか、プリーにはどのくらいいるつもりか、その後はどこへ行く予定か、家族は?彼女は?仕事は?そんな会話をしている内、カルカッタの街の灯も遠ざかり、窓の外はすっかり灯りひとつない暗闇となった。暗闇とは本当に暗闇である。
 日本で列車に乗り長距離を旅する、例えば夜、新幹線に乗る、トンネルに入る直前の山間、などを除けば、どれだけ田舎の方を走ったとしても、民家の灯りや車の灯り、灯が途切れることはまずない、ヨーロッパを旅した時もそうだったが、駅から駅、本当に真っ暗闇になることがある、そしてここはインド、闇も深い、そんな気にもなる。

 やがてどこかの駅に着いた。薄暗い駅だ。

『チャイチャーイ、チャイチャーイ』

 ホームからチャイ売りの声が響く。
 思いのほか、大勢の乗客が乗り込んでくる、いや、思いのほかどころではない、ものすごくたくさん乗り込んでくる、おれとオーズビーの客室?、にも乗り込んでくる、たちまちおれの周りは人で溢れた。

 (おいおい!ここの定員は6人じゃないのか?)

 やがて列車が動き出す、再び闇の世界を走る、そしてまた薄暗い駅。ここでも人が大勢乗ってくる。もはや朝のラッシュ時の満員電車のようだ。おれは押され押されて窓際に押し込まれた。オーズビーと少女がどんな状態になっているのかもわからない。

 ひどい状態だ。まさかこのまま一晩中こんなぎゅうぎゅう詰めの状態で旅することになるのか!
 地球の歩き方に、『インドの列車の旅は二等がいい!』みたいなことが出ていた。二等車には色んな人が乗ってきて、会話も弾み、色んな『触れ合い』ができるって、そんな口コミだった。だが、今、弾む会話どころか、肌まで密着して押し合う、文字通り『触れ合い』を体験しているおれは、絶対に次の移動は一等車に乗ろう、そう誓うのであった。

 夜も更け、車内の灯りも消え、本来なら眠るような時間になったが、眠るどころではなかった。そんな押し合いへし合いの中、おれに密着していた隣の男が、もぞもぞと動き出した。なんとこの男、この満員状態の中で横になろうとしているのだ。少しずつ少しずつ体を寝かせ、遂には丸まりながらも横になってしまった。横になると男は、少しでも自分の領域を広げようと、足でおれをさらに窓際の壁に押し始めた。

(コ、コ、コノヤロー!)

 おれも負けてはいられない、こんな体勢のまま明日の朝まで列車に揺られるなんてまっぴらごめんだ、おれも窓側に頭を向け少しずつ横になろうと体を動かした。かなり丸まった状態だが、どうにか横になった。それでも体勢が悪い、このままでは体中が痛くなるだろう、おれは密着した足で隣の男の脛の辺りを押し返した。男もまた押し返してくる、線路を軋ませる音だけが響く暗い車内で、おれはしばらく男と寝床争いの攻防を繰り返していたのであった。やがて、互いにどうにか妥協し合える体勢を確保し、浅いながらもおれは眠りに落ちて行った。

 どこかの駅に停車するたびに目が覚めたが、それでも、この苦しい列車の旅をどうにかやり過ごそうと、また目を閉じ浅い眠りに就く、そんな繰り返しをしている内に、列車は大きなターミナル駅のようなところに着いた。そこで大勢の人が降りた。おれと寝床の確保をかけて闘った隣の男も降りた。ようやく足を伸ばして横になることができた。向かいを見ると、オーズビーが少女を抱きかかえるようにして横になっている、すまないことをした。

 再び眠りに就き、また目が覚めた時には、辺りが少しうっすらと明るくなり始めていた。次に目が覚めた時には完全に夜が明け、朝、になっていた。

 窓の外は緑、緑、緑、であった。森、というほどではない熱帯っぽい林、丈の低くい草、高い草、湿地、沼、そんな景色がしばらく続く。時折、野生なのか放牧しているのか、牛や山羊などの姿も見える、確かにおれはカルカッタを脱出したらしい。前を見ると、オーズビーと少女もすでに目を覚まし、寄り添うように座っている。


引用元 (そうだ、世界に行こう。バックパッカーの登竜門!インドの寝台列車あるある10選)

『Good Morning…』

互いに朝の挨拶を交わす。やがてまたどこかの駅に着く。

『チャイチャーイ、チャイチャーイ』

 再びチャイ売りの声…、なんとも清々しい気分だ。ダッカからカルカッタ、日本を出てから初めて味わう気分だ。ここまで、全てがおれの意志とは関係なく強引に旅が進んできた、ああ、やっとおれの旅が始まる、おれは外の景色を眺め、ようやくそんな気持ちになった。

『コヘイジ、今日泊まるホテルは決まっているのか?』

 オーズビーが尋ねてくる。ホテルを決めるも何も、こんな風に強引にカルカッタを出るつもりなんて全くなかったおれは、プリーでのことなんてまるで何も考えていなかった。

『決まっていないなら、今日はウチに泊まるといい、そして明日からは、ボクの友人のおじさんが経営しているホテルがあるから、そこに泊まるといい、一泊120ルピー、とてもきれいなホテルだ』

 まだオーズビーがどんな男かはわからなかったが、とりあえずは少し様子を見てみよう、おれはそう考えて言った。

『キミの家族がいいならそうさせてもらうよ、明日からのホテルは、一度見てから決めるよ』

 間もなくヒンドゥ教の聖地の一つ、プリーに到着するようだ。陽気は、暑くはないが、半そでのシャツで十分そうだ、いくらなんでも偽カシミヤセーターを着たままというわけにも行かない、おれは席を立ち、トイレへ行きGパンとTシャツに着替えた。

 ほどなくしてプリーに到着、列車を降り、駅を出る。熱帯ではないが南国情緒を感じる。静かだ。駅前には数人のサイクルリクシャ引きがのんびりと客待ちをしている。ビル、のようなものは見当たらない。舗装されていない道路、ヤシの葉で作ったような掘立小屋、なんだかすべてがのんびりしている。
 そこへ、自転車に乗った少し体格のいい若い男が近寄って来た。男は髪に金メッシュを入れていた。インドではあまり見かけないスタイルだ。

『ハイ!ジャパニー!コンニチハ!』

 男が日本語で言う、おれは何か直感的にこの男を胡散臭いヤツだと感じた。オーズビーが一言二言何かを言うと、男は去って行った。

 オーズビーの娘、と思っていた少女も、どういうわけかそこでおれに再び握手を求め、挨拶をして去って行った。家族ではなかったのか…。

『コヘイジ、こっちだ』

 促されてついて行くと、1台のベスパ、のようなしゃれたスクーターが停まっていた。オーズビーはそのスクーターにまたがると、おれに後ろに乗るように言う。どうやらオーズビーのスクーターらしい。

『家に行く前に、朝ごはんを食べに行こう』

 オーズビーがエンジンをかける、スロットルを開く、ほどよい加速で走り出す、道の両側にヤシの木が立ち、その葉で作った掘立小屋が並ぶ。道はどこも舗装されていない。
 
 心地よい風が頬を撫でる、その風が、海がすぐ近くにあることを教えてくれる。

『ああ、気持ちいい…、カルカッタに比べれば、ここはまるで天国だ、ああ、インドへやって来て良かった…』

 おれの旅はやっぱりここから始まる…。





*******************************つづく

※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

このとき、プリーの駅前で会った金メッシュの男、のちに私はこの男と一悶着を起こすことになります。



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インド放浪 本能の空腹 ⑪ 『カルカッタ脱出?』

2020-01-09 | インド放浪 本能の空腹



こんにちは

インド放浪 本能の空腹 ⑪ 『カルカッタ脱出?』

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております


前回は、思わぬ150,000円もの出費に意気消沈しながら、ラームと好青年と共に派手なインド映画を鑑賞、その後ラームと別れ、好青年に連れられプリー行夜行列車に乗るためカルカッタハウラ―駅へ向かう、というところまででした


では、続きをどうぞ


*******************



 カルカッタのハウラ―駅に着いた時はすでに辺りは暗くなっていた。
 1000万人もの人が犇めく大都市のメイン駅、なかなかに大きな駅だ。
 決して人が少ないわけではなかったが、街の喧騒を思えば、夜ということもあってか、思いのほか駅の構内は静かで落ち着いていた。
 イギリスの植民地時代の首都であっただけに、駅の造りも英国風に見える。
 
 インドの黒ウワサ、なんてのは幾つか聞いてきていたが、列車の旅の仕方とか、肝心なことについて、まるで予備知識も持たずに来ていたおれは、前を歩く好青年のガイドがなければ、この時点ではとても長距離夜行列車に乗るなんてことはできなかったであろう。

 インドの列車は、長距離列車だけだと思うが、切符を予約すると、列車の車両ごとに乗客名簿が張り出されるのであった。そんなことすら、好青年に連れられ、張り出された名簿を見るまでおれは知らなかったのだ。

 好青年が手配してくれた切符は、『二等』だそうで、好青年とおれは二等車両に張り出された名簿におれの名前を探そうと車両ごとに見て回った。

 一両目…、ない 二両目…、ない 三両目…、 四両目…、遂には先頭車両まで探してみたが、おれの名がどこにもない。
 首をかしげる好青年、もう一度探そう、と言っておれを促す。
 同じことを繰り返したがやはりおれの名はない。好青年の顏に少し焦りが見える。

 先頭に近い車両の出入り口付近でどうしたものかと、迷っているところへ、その出入り口からやや背の高い細身の男と、その男の子供、であろうか、オレンジ色のスカートに白いシャツをきた綺麗なみなりの少女が出てきた。好青年はその男を見つけると、ハッとしてすかさず走り寄り、大声で何かを話し始めた。

『☆※◆✖▼△¥%★!!』『☆※◆✖▼△¥%★!!』『☆※◆✖▼△¥%★!!』

 現地語で、何を言っているのかはわからないが、何か好青年が、その男に強い要求をしているようであった。男の方は何も言わないが、下を向いて好青年の要求を拒絶している、そんな風に見えた。
 どうも交渉はうまく行かなかったようだ。埒が明かない、と判断したのか、好青年がおれの方へ振り向き言う。

『コヘイジ!すまない、少しここで待っていてくれないか、すぐに戻る!』

 そう言って、おれの前から駅の出口の方へ向かって走って行ってしまった。
 男の方を見ると、おれを気にするでもなく煙草をふかしている。吸い終えると、おれに一瞥だけくれて少女を連れ列車に乗り込んで行った。

 一体何が起きたのだろう…。好青年は一体どこへ行ったのだろう…。本当に戻って来るのか…? おれは無事にこの列車に乗れるのか…? だが不思議と、この時のおれには不安などなかった。乗れなければ乗れないで、別にかまわなかった。そもそもこんなに急いでカルカッタを出るつもりもなかったし、切符だって150,000円の買い物のお礼にと店が買ってくれたのだから痛くも痒くもない、それならばそれで、またサダルストリートからやり直すだけだ、一日を過ごし、あの喧騒と混沌にも少しは慣れた、ポン引きや物乞いの猛攻勢にも、今度はもう少しうまく対処できるだろう。ひょっとしたら一日遅れでK君もSホテルに辿り着いているかもしれない、そんなことを思いながらおれは、好青年が戻ってきたときのことを考え、列車から離れすぎないようにしながらとぼとぼと歩き始めた。

 ふいにおれの前に、虚ろな目をした小柄な男が現れた。物乞いのようだ。大体この手の男は虚ろな目をしている、特にこの男はそう見えた。

『Money…、』

 と手を差し出す。おれはここで、先ほどラームに教わった物乞い撃退法を思い出し、やってみることにした。

 ちなみに、この時のおれは、インド男の民族衣装、丈の長い麻のシャツにズボン、ピチピチ偽カシミヤセーター、手書きCASIOの腕時計、迷彩エナメルリュック、の格好のままである。この格好なら丁度いい、おれは両手を胸の前で合わせ、小さくお辞儀をするようにして、弱々しい声で言った。

『マーイ…、ネパリー…、フォン…、(私はネパール人です)』

 物乞い男は、一瞬だけ驚いたような顔をしたが、じっとおれを見つめてから、『フッ…、』と、まるでおれを蔑むような薄ら笑いを浮かべ去って行った。

『………。』

 どうやら一先ず効き目はあったようだ。効き目はあったが…、なんだ!なんだ…! 今の笑いはなんだ!

 きっと今の笑いの意味はこうだ!

『ふん…、金持ちの日本人のくせしやがって…、ネパール人のふりをしてまで、わずかな金をおれに恵むのがいやなのか…、守銭奴が…! 』 

 きっとそうだ!そういう笑いだ!
 
 酷い自己嫌悪にさいなまれたおれは、こののち、この旅の中で、決して物乞い相手に『マーイ・ネパリー・フォン』をやることはなかった。

 ややもして、好青年が戻ってきた。なぜか、あの恰幅のいい店のオーナーも連れていた。

『ハイ!ジャパニー!モウシンパイイラナイネ!』

 オーナーはにこやかにそう言うと、先ほどの細身の男と少女のいる向かい合わせの座席の窓を叩き、出てこい!、と声を張り上げた。

 少し驚いた様子で男が出てくると、間髪入れずにオーナーは男に走りより、顔を近づけ大声で怒鳴り始めた。

『☆※◆✖▼△¥%★!!』『☆※◆✖▼△¥%★!!』『☆※◆✖▼△¥%★!!』

 好青年の時とは違い、男は相当に気圧されたようで、少々うろたえるようにしながら『わかった、わかった…』と、オーナーの強い要求に従う意思を見せた。それから男はおれの方を向いて言った。

『ハーイ!ジャパニー!、これからキミはプリーまでボクと一緒だ!案内はまかせて!よろしく!』

続けてオーナー。

『ジャパニー、ゼンブOKネ!カレガプリーマデツレテイッテクレルカラ!』

 何がどうなればそうなるのか、さっぱりわからない、オーナーと好青年はおれの荷物を持ち
列車に乗り込む。向かい合わせの席、男と少女と向き合う。

『ジャパニー、サヨナラ!ヨイタビヲ!』
『Koheiji!、Very Very fun today. Enjoy travel、Goodbye!』

 オーナーと好青年が列車を降りる。

ゴトッッ…   ゴトッッ…   ゴトッッ…    ゴトッッ、ゴトッッ… ゴトッッ、ゴトッッ…

 重く強く、線路を軋ませながら列車が動き出す。こうしておれは、結局、喧騒と混沌の街、カルカッタをたった一日で旅立つこととなった。いや、どちらかと言えば、這う這うの体で逃げ出した、と言った方が正しいかもしれない。



******************つづく

※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

この時は、一体なんでこうなるのかがさっぱりわかりませんでした。店のオーナーと細身の男の関係、そういったことがなんとなく、自分の頭の中でつながって行くのはずいぶんと後のことです。






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