さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹① 『カルカッタへやって来た!』

2019-10-29 | インド放浪 本能の空腹



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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

小平次は20ン年前、一人インドを放浪したことがあります

放浪と言うと大げさですが、要は特に目的もなく、行きたい観光地があるわけでもなく、ただ行きたい、行き当たりばったりで旅をしたい、そんな感じでした

その時に日記をつけておりまして、いつかその日記を人に読んでもらっても良いようにまとめてみよう、そう思っていたのですが、随分と時が流れてしまいました

で、今回から新カテゴリー『インド放浪 本能の空腹』を設けて綴ってまいりたいと思います

もちろん何事もない日も多数ありましたので、印象的だったできごとを、できるだけ日記に忠実に、とは言ってもそのままじゃとても文章がおかしいので、少しまとめながら、それでも日記の感じを残しつつ、今の想いなども少し加えお送りできたらと思います

あ、写真はですね、あんまり撮らなかった、というより撮る気にもなれなかったこともあり、ほとんど残っておりませんので、借り物の画像であしからず


では、第1回

『カルカッタへやって来た!』

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 おれがカルカッタダムダム空港に降り立ったときには、すでに日が暮れかけていた。
 これだけは避けたかったのだ。3年間忙しく働いて、それなりにお金も貯まっていたのだから、何も一番安い航空券で来る必要なんてなかったのに…。へんなところをケチったせいで、入国審査などを受けていたら辺りはすっかり暗くなってしまうだろう。

 初めての国、インド! 本当ならば明るい内に街へ着いていたかったのだ…。だがもうあとの祭りだ。

 空港はさびれていた。
 少なくともそういう風に見えた。
 一応は1000万人もの人が住む大都市カルカッタ、その大都市にある国際空港、自分の常識では、どんなに貧しい国でも、玄関口となる国際空港ぐらいは綺麗だろう…。そう信じていた。ましてインドは貧富の差こそあれ、貧しい国でもなかろう、だがそれは、おれのちっぽけなちっぽけな常識だった。現にここへ来る前にトランジットで立ち寄ったダッカでは、空港内に野良猫が走り回ってさえいたのだから……。
 
 滑走路のアスファルトのヒビから雑草が生えている…、ような気がした。さすがに実際には滑走路に雑草などはなかったのであろうが、あった方がこの空港には良く似合う気がした。
 空港ビルの屋上に『 C・A・L・C・U・T・T・A 』と一文字ずつのネオン看板が立っていた。真ん中の『 C 』一文字だけ電気が消えている。日本であればあんなものはすぐに修理されるであろうに…

 ああ、おれは本当にインドへやって来たのだ!。

 などとワクワクするような感慨深い気持ちなど全くなかった。むしろ、何でおれはインドなんかに来たんだろう…。トランジットで立ち寄ったダッカ…、混沌の極みのような街に、おれはすでに相当な衝撃を受けていた。カルカッタはそのダッカをさらに上回る喧騒と混沌の街だ、と聞いていた。
 初めてのインドで、カルカッタから入ると、あまりの衝撃にホテルから一歩も外へ出られなかった、そんな日本人もいるらしいとか、『地球の歩き方』にすら初めてインドへ行く場合、ニューデリーから入り、少しずつインドに慣れた方が良い、などと書かれている始末だ。何にせよ、ダッカでの衝撃がとにかくおれを不安にさせていたのは間違いない。



 ワクワクしていないのはそれだけが理由ではない。
 大学3年の春休み、おれはスペインを中心に、一人ヨーロッパの旅をした。バルセロナ、刺激的な街だった。来年、就職をすればこんなにも自由気ままに海外を旅するなんてきっとできなくなるんだろう…、そう思うと悲しくなった。いっそ就職なんかするのは止しにしようか…、バイトして、金が貯まったら旅に出る、せめて20代のうちはそんな感じで生きちゃだめかな、そんな風に考えていたこともあった。
 だが、大学4年の時、2時間以上も時間をかけて受けさせられた就職適正検査、その結果、おれは『社会不適応型』との診断を受けた。

 社会不適応型!
 
 そんなことあるはずがない!

 『空想の中に友達がいる』

 という質問に『はい』と答えたことがいけなかったのだろうか…。 音楽なんかやっているからこんな結果になったのだろうか…、いずれにしてもそれを簡単に受け入れるわけにはいかない、こんなおれでもいつかは好きな女と結婚し、家庭だって持ちたい、そうであれば社会不適応型、なんてわけにはいかないのだ。
 それでもあのスペインのバルセロナよりももっと刺激的な国を、街を、期限も目的地も決めずに旅をしてみたい…、あと1回でいい、そんな自由気ままな旅をさせてもらえたら素直に仕事を持ち働こう、そう考えたおれは、ある決め事をした。

『3年会社勤めをしてみよう、3年勤められたなら、社会不適応ということもあるまい… それができたら旅に出よう、どこがいい?、スペイン以上に刺激的な国、どこだ?、きっとそれが、下手をすれば人生最後の放浪の旅、になるだろう、これ以上ない刺激的な国…』

 インド!

 そうだインドだ!3年無事に会社勤めができたなら、インドへ行こう!
 自由に!気ままに!

 そうしておれは卒業後、ある会社に就職をした。
 厳しい会社だった。
 入社早々、気の荒い上司に胸ぐらをつかまれ怒鳴り散らされたりもした。
 だが、続けている内に仕事が面白くなってきた。やりがいも感じた。1年もすると、おれの胸ぐらをつかんだ上司からも信頼されるようになっていた。上司、先輩、同僚、みなと共に目標に向かって邁進するのが心地よかった。結婚をしたい、そう思える女性とも巡り会ってしまった。

 3年目を迎えたころには、もう、インドなんか行かなくてもいいんじゃないか…、そんな思いがおれの中で少しずつ支配的になって行った。だが、大学卒業後、事あるごとにおれは、会社の同僚やバンドのメンバーなどに『おれは3年働いたらインドを放浪するのだ』、と吹聴してきた。そんなおれを応援してくれる人も少なからずいた。

 今さら…
 
 後へは引けない…

 行かなくてもいいという気持ちが8割、それでも行かなくてはならない、という強迫観念にも似た気持ちが2割、くらいだったろう…。

 おれは『インド放浪』などという、少し冒険じみた行動に対し、すっかり臆病になっていたのだ。

 だから、ダッカで受けた衝撃を引きずったまま空港に降り立ち、夕暮れ時の『 C 』の文字の消えたネオン看板を見上げて

 なんでおれはインドなんかに来たんだろう…

 と大きくため息をついたのだ。


 ****************************  つづく



 
 ※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は20数年前のできごとです。また、画像はイメージです
コメント (5)
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