さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹⑥ 『 Blue Moon hotel 』

2019-11-14 | インド放浪 本能の空腹



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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

夜のカルカッタ、凄まじい喧騒と混沌に圧倒されなす術もない状況で現れた若い男、ラーム、サイタマに行ったことがあるというこの男に言われるままにビールをごちそうになり、言われるがままに紹介してくれるというホテルへ行く…


つづきです



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 店の外へ出ると、ラームは目の前にいたリクシャ引き(リクシャーワーラー)のじいさんに声をかけた。これに乗って行こうと言う。
 そのリクシャは、人が直接引く、まさしく『人力車』タイプのものだった。この人力車タイプは、インドでもこのカルカッタくらいにしか残ってないそうだ。



 おれはラームにうながされ、座席に座った。続けてラームも乗り込んだ。じいさんは力強く前棒を下げ、すぐに走り出した。
 せまく暗い裏通りを、人や犬、ゴミの山を巧みにすり抜けながらじいさんはリクシャを引く。少し高いところからじいさんを見下ろしおれは思う。

 ああ、おれはこういうのはどうも苦手だ。おれの親父ほどの歳に見える小柄なじいさんが車を引き、世間知らずの若造が座席に座りそれを見下ろす…、とても心苦しく思うのだ。だが、そんなのはおれのちっぽけな感傷に過ぎない。じいさんにしてみれば、インドまで来ておきながら、そんな綺麗ごとを言ってねえでどんどん乗っておれを稼がせろ、と思っているに違いないのだ。
 小柄ながら、汚れたシャツ越しに見えるたくましいじいさんの背中を見ながら、そんなことを考えている間にリクシャは目的のホテルの前に着いた。
 
 ホテルの名前は 『 Blue Moon hotel 』
 
 わざわざリクシャに乗るほどの距離でもなかったように思えた。ひょっとするとラームが、この街に来たばかりのおれにリクシャを体験させてくれようとしたのかもしれない、そんなことを考えた。

 サダルストリートから通りを数本跨いだだけのように思えたが、このあたりは人通りもそんなに多くはなく、割と静かだ。ただ、汚い! カルカッタはとにかくゴミだらけだ、生ゴミもあれば紙くずやプラスチック類、よくわからない黒いもの、そんなものが地面を覆っているようだ、通りの角には山積みにされたゴミもある、それを犬や人があさっている。喧騒や混沌とはまた別な衝撃である。

 小さなホテルだった。入り口から直接せまい階段を上ると2階にフロントっぽいものがあった。
 ラームは従業員にヒンディー語だか、ベンガリー語だかで何かを言っている。従業員がまたあの仕草、アゴをプイっと横に振る。
『 150lupie 』
おれは従業員に150ルピー支払い、フロントの目の前の部屋へと案内してもらった。ラームも部屋へ入る。部屋は、せまいながらも外の光景からしてみれば、思いのほか清潔そうだった。部屋と同じくらいの大きさのシャワールームがとなりにあった。覗くと、昔の公衆便所のような消毒薬の匂いが鼻を衝く。ポツンと便器が一つ、それに円形のシャワーが壁から突き出ているだけの殺風景なシャワールームだ。

 『コヘイジ、キミはまだビールを飲みたいんじゃないか?』

 ラームが笑いながら言った。
 確かに、酒好きのおれには小瓶のビール一本だけでは却って中途半端だ。
『そうだね、もし飲めるならもう少し飲みたいかな…』
『OK!』
 ラームが従業員に何かを告げると、すぐに2本のビールとグラスを運んでくれた。ラームはおれのために再びグラスにビールを注いでくれる。そして色々なことをおれに話してくる。

 自分がブッダガヤーから、両親へのプレゼントを買うためにこのカルカッタに来ていること、学生であること、おれにも次々と質問を投げかけてくる、家族は何人だ、兄弟はいるか、結婚はしているか、彼女はいるのか、日本ではどんな仕事をしているのか、インドにはどれくらいいるつもりだ、カルカッタの次はどこへ行く予定だ、おれが一つ一つ答えていく、自然と会話も弾む。

 『コヘイジ、キミは何か宗教を信仰しているか?』

 『ボクはクリスチャンなんだ…』

 『クリスチャン!それは素晴らしい!ボクはヒンドゥー教徒だけど、 ボクはね、こう思うんだ、Jesus、Muḥammad、Buddha、信仰はいろいろある、神もいろいろある、ヒンドゥーの神々もたくさんいる、でもね、たくさんの神がいたとしても、ボクは神は一つだと思うんだ、神は同じだと思うんだ、みんな一つの神を信仰しているのに、宗教上で対立して、戦争をしたりすること、これはとてもばかげていることだって、そう思うんだ…』

 おれはそれを聞いていたく感動してしまった…、少し酔いも回っていたのだろう…。

 『ラーム!! キミは素晴らしい人だ! ボクもそう思うよ!』

 調子づいてそんなこと言う…。ラームは続ける…。

 『日本は…、ヒロシマ、ナガサキに『 atomic bomb 』をアメリカによって落とされた…、とても悲しいことだ…、でも、日本はまた立ち上がり、今の繁栄を得た、日本はアジアのリーダーだ、ボクはそう思う 』

 ラーム!お前ってってやつは!
 許してくれ!さっき一瞬でも君をポン引きの詐欺師ではないかと疑ったおれを! 許してくれラーム!

 おれは心の中でそう叫んだ。

 おれが二本目のビールを半分ほど飲んだころ、ラームは立ち上がり言った。
『コヘイジ、そろそろボクは自分のホテルへ帰るよ…、明日は、ボクが市内を案内してあげるから、それでキミの友人の待つSホテルへも行ってみよう、朝の8時に迎えに来るから待っていてくれ』
 おれの頭にはもはや、ラームを疑う気持ちなど微塵もなかった。
『コヘイジ、一つ約束をしてくれ、カルカッタはとても危険な街だ、キミはまだインドに慣れていない、だから今日は、ホテルから外へ出てはいけないよ、約束してくれ』
 ラームは真剣な表情でそう言った。
 おれのことを心配までしていてくれる…
 大丈夫、頼まれたって出やしない。
『わかっているよラーム、今日は外へは出ない…、約束するよ』
 ラームはにっこり笑ってもう一度明日の8時に迎えに来ることをおれに告げ、部屋を出て行った。

 一人だ…。日本を出てから初めて、一人だけの空間を得た。何か急速に安堵感に包まれた。同時に疲労感も押し寄せてきた。とにかく、シャワーを浴びよう…。おれは裸になってシャワールームへ向かう。予想していたことだがお湯は出ない…。インドも間もなく冬であったが寒くはなかった。おれはそそくさと水浴びを済ませ部屋へ戻り、ベッドに座る…。

 腹が減った…。そう言えば晩飯を食っていなかった。凄まじい喧騒と混沌、緊張して空腹も忘れていた。だが外へ出るわけにはいかない。ふと、千葉の伯母が、おれがインドへ一人旅に行くと言ったら、餞別だと言って金と一緒に送ってくれたピーナッツを持ってきていたことを思い出した。
 そうだ、あれを食おう…。バッグの奥から袋詰めのピーナッツを取り出し、一粒、二粒、と口に入れる…、うまい…。
 大体伯母やおふくろの年代の人は、インドへ一人で行くなんて言うと、もう二度と会えないのではないか、というくらいに心配をする…。
 おれは残りのビールを流し込み、ベッドへ横たわる。すぐに眠くなっった。つい今しがたの裏路地の光景を思い出す…。全ての指が溶けて蝋のようになった手、くぼんだ白目だけの少年、両足を付け根から失い、上半身だけで手作りのスケートボードのような板に乗って近づいてきたじいさん…。彼らが目まぐるしくおれの頭を駆け巡る。もう夢心地だ…。

 『ポーッ!ポーッ!』

 随分静かになったホテルの前の通りで誰かが叫んでいる…。

 『ポーッ!ポーッ!』

 その声がだんだんと近づいてくる…。

 『ポーッ!ポーッ!』

 なんだ?、なんかのまじないか…?

 『ポーッ!ポーッ!』

 なんだよ! 『ポーッ!ポーッ!』って!?

 夢心地から覚めたおれは、『ポーッ!ポーッ!』が気になり、起き上がって窓から外を覗く。

 薄暗い裏通り、通りの端にはうずくまって足を抱えてじっとしている人たちが幾人かいる、そして、通りの中央を、杖を突きながらヨタヨタと歩くじいさんがいる。

 『ポーッ!ポーッ!』

 じいさんが叫びながら歩いていたのだ。少しの間、おれはそのじいさんの後姿を眺め、また横になる。
 
 なんだよ…、『ポーッ!ポーッ!』って…。  再び眠くなる。夢心地になりながらおれは考える。

 たぶん、あのじいさんは目が見えないのだろう…、それで、自分が歩いていることを周りの人に知らせるために、『ポーッ!ポーッ!』と叫んでいるのだろう…、なぜかおれはそんな気がした。

 遠ざかる『ポーッ!ポーッ!』を聞きながら、ようやくおれは眠りについた…。


*********************** つづく



コメント (2)
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