さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹⑰ 『インドで中華料理』

2020-05-20 | インド放浪 本能の空腹



30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。

前回は、1日だけのホームステイをさせてもらったオーズビーの友人、バブー、と出会い、バブーのおじが経営するホテルにしばらく泊まることに…

バブーからのお誘いでその日の夜は、オーズビーとバブーの中学時代の先生を交え食事をしようと…。
今回は、その夜の宴の始まる前までのできごとです。


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 『昼は中華料理にしよう』

とオーズビーが言った。

中華!

 まだバングラディシュ、インド、とやって来て数日だが、Biman Bangladesh Airlines の機内食から始まり、食ったものと言えば、カレーか、カレーのようなもの、ばかりであった。美味かったし、飽きたというようなことは決してないのだが、日本の国民食とも言えるカレーと本場のそれはだいぶ違う。中華の方がなじみが深いだろう。おれは二つ返事でその提案に乗った。

 ベスパもどきのスクーターに二人乗りで走り出し、街の、さらに西の方へ向かう。駅周辺から東側にかけては、掘立小屋のような家々が多かったが、こちらはわりと立派な造りの家が多いように思えた。銀行や役所などもこちらにある。さらに西へ行けば、南北を結ぶ街道沿いにそこそこ大きなバザールがあるそうだ。

 ほどなく、南国っぽい真っ白な造りのChinese Restaurant に着いた。
 カルカッタの街をラームとタクシーに乗ってざっと見て回ったが、おそらくは日本料理店などはないだろう。マクドナルドだって見かけなかったくらいだ。それに比べて中国人?中華料理店は世界中にあるだろう、まあ、たくましい連中である。

 店内の壁もテーブルも椅子も真っ白で、明るく清潔そうであった。中国人? らしき店員に案内されテーブルにつく。メニューを広げる。料理は英語で書かれている。

Vegetable Chow Mein 』…

 これはなんだろう…? チョウメィン…、チョウメィン…、チョウメン…、チョウメン…、チャーメン…、

 あ! 焼きそばか!

Chow Rice 』…

 チャーライス… つまりチャーハンだ!

Vegetable noodle soup

 これはー…、タンメンだな!

 なるほど、おれはなんとなくだがそう解釈し、おそらくはそうであろうタンメンを注文、オーズビーは野菜焼きそばを注文した。
 テーブルの上にいくつかの調味料が並べられていた。
 四角い小さながガラスの器があった。その中には、輪切りにした青唐辛子を、おそらくは酢でつけたものであろう調味料が入っていた。オーズビーはその調味料のふたを開け、前屈みになってスプーンで掬いズズッ、ズズッ、啜りはじめた。こんなことを日本でやれば即刻退場だ、だがここはインド…

『コヘイジ、キミも飲んでみろ』

とのオーズビーの言葉にのって、おれも一口啜る、まあ、辛い…、予想していた味だが悪くない、これはすぐに作れそうだ、日本に帰ったらおれも作ってみよう。

 料理が運ばれてくる、予想通り、おれのはタンメンのようなラーメン、オーズビーはのは焼きそばであった。
 ラーメンは間違いなく世界で一番日本のラーメンが美味いだろう、町の中華定食屋だってよほどでなければ不味いラーメンなんて出会うことは少ない、本格的中華料理店で食べるラーメンなんてかえって物足りなく感じることの方が多い、ここのタンメンは、まあ、そんな感じのものだった。だが、週に何度かは麺類を食っているおれは、数日ぶりの麺を啜る、ということに十分に満足したのであった。

 食事を終え、一服ののち、おもむろに席を立つオーズビー。

『さあ、そろそろ行こう』

 そう言って、そのままゆっくり、伝票を持つこともなく先に外へ出てしまう、ここの支払いはキミがするのが当然、と言わんばかりの行動である。

 おれは、決して金持ちではないがケチな方ではないと思っている、会社勤めをして、初めてのボーナス、金がある時であれば、学生時代の後輩たちに鱈腹飲み食いをさせることなどになんの抵抗もなかった。だから焼きそばをおごるくらいはどうと言うことはない。しかし、それが当然、と言う態度にはいささか腹が立つ、ここへ来て最初の日、掘立小屋のレストランでの卵焼きと、甕の水で作った水割り、あの時もそうだった、その上カメラと靴まで、良くない言い方だがたかられている、いつも一方がおごるのが当然のようでは友人とは言えまい。
 何よりおれはこの街が気に入った。長い滞在になるかもしれない。このような関係のままではいけない、だが、一宿一飯の恩もある、夜行列車の席を譲ってもらってもいる、それでもいずれははっきりと言わなければならないだろう、そう思いながらこの時は黙って支払いをしたのであった。

 ホテルに帰ると、オーズビーは夕方バブーと迎えに来る、そう言って帰って行った。
 日本を出てから、昼の時間に一人になるのは初めてだった。

『外へ出てみよう』

 おれは一度部屋に入ったものの、すぐにまたホテルを出て歩き出した。天気は快晴である。暑くも寒くもない、爽やかな空気だ。本当にこの街へ来てよかった。通りは車も少なく、人も多くはない、隅の方の日陰で野良犬が列を作って寝ている、野良牛もそこかしこにいる。日本で一分一秒刻みで忙しく働いていた時、思い浮かべていた光景が今ここにある。

 ふと、

『そうだ、日記をつけよう』

 そう思い立った。だが日記帳のようなものは持って来ていない。通り沿いに並ぶ屋台のような店には雑貨、日用品を売っているような店もある、そんなものが売ってそうな屋台を見つける、日本の大学ノートのようなものはなかったが、固い表紙の、分厚く重厚なノートを見つけた。2ルピーを支払いノートを手にしてホテルへ帰る。

 部屋で寝ころび、これまでのことを思い出す、夜の東京の公園で、おれの旅立ちに涙したK子のうつむいた姿、野良猫の走り回る真夜中のダッカ空港、虚ろな目をした少年の物乞い、昼間のダッカの凄まじい喧騒と混沌、カルカッタダムダム空港の消えたネオン、入国審査の部屋をうろつく巨大なゴキブリ、タクシードライバーたちの怒号、ダッカがかわいく思えるほどの凄まじい喧騒と混沌、夜のサダルストリート、襲いかかるゾンビのようなポン引きと物乞いの猛攻勢、手のない人、足のない人、指の溶けた人、両足を失い、手作りのスケートボードに乗って、杖で船を漕ぐように迫ってきた老人の物乞い、そしてラームとの出会い、15万の買い物…、インド映画、満員電車のような夜行列車…。 

 すべてが強烈だった。

 おれは鮮明に脳裏に焼き付いている光景を思いうかべ、窓からの心地よい風を感じながらベッドに寝そべって日記を書き始めた。


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今回の記事は、わざわざブログに投稿するような特別な出来事でもないのですが、こののち、インドの親友となるバブーとの違いを鮮明にしたいと思い記事に致しました。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。



追伸 今年の夏の甲子園の中止が決定したようです。いくらなんでもやりすぎだと思います。これまで当ブログでは再三に渡り述べてきましたが、今、日を追うごとに、多くのデータが武漢ウイルスはインフルエンザと比して、脅威とは言えないことを証明しています。子供たちのことを思うとやり切れません。

公益財団法人 日本高等学校野球連盟
〒550-0002
大阪市西区江戸堀1-22-25 中沢佐伯記念野球会館内
TEL:06-6443-4661
FAX:06-6443-1593

私は、ここに電話をしてみます。決して感情的に抗議や誹謗中傷をするのではなく、これまで武漢ウイルス関連の記事で申し上げてきたとおりのことを、冷静に判断し、もう少し考える時間を持ってほしいことを伝えたいと思います。
 
コメント (4)
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