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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております。
前回は、カルカッタ到着早々知り合ったラームという男に連れられ買い物へ。
そこで家族や友人、知人、付き合っていた彼女へのお土産を買い、買い物のお礼にと、店が出してくれたインド料理とビールにすっかり機嫌をよくした私…。
調子に乗って森進一の『 襟裳岬 』まで歌ってしまった…、というところまででした。
では続きをどうぞ!
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おれが 『 襟裳岬 』 を、ワンコーラス歌い終えると、場は一息ついた雰囲気になり、そろそろこの宴も中締め、といった空気が流れていた。その空気を察し、おれは言った。
『ラーム、そろそろ、ボクはダッカで日本人の友人と待ち合わせの約束をしたSホテルへ行きたいんだけど…。』
『ああ、そうだね、そろそろ行こう、じゃあ、その前に買い物の支払いを済ませてしまおう』
おれは、何かを買うたびに好青年から渡されていた値段の書いたメモ紙をもう一度確かめた。全部で合計1500、1500ルピー、日本円で約7500円、間違いない。昨日空港で両替したのが、2000ルピー、ラームに紹介されたホテルで支払ったのが150ルピー、残り1850ルピー、一応手持ちの現金で足りるが、残りが350ルピーでは心もとない、無事にK君と出会えたらすぐにまた両替が必要だ。
そんなことを考えながら、おれは札入れから1500ルピーを取り出し、好青年の前に置いた。
ところが、好青年もラームもキョトンとした顔をしている。おれは手のひらを金に向け、確かめてくれ、という風にうなずいた。だが、二人は相変わらずの表情だ。少し間をおき、ラームが首を振り苦笑いをしながら口を開く。
『コヘイジ、ナイス・ジョークだ』
『へ?ジョーク……?』
おれの様子を見て、ラームが少し真剣な顔になり言う。
『コヘイジ、本気でやっているのか?』
『へ?何が?1500ルピー、このメモ紙の合計、間違いないと思うけど…』
『おいおい、コヘイジ!何を言っているんだ、さっきの買い物、その紙に書いてあるのは全部アメリカドルの値段だぜ!』
ああ!そうなんだ…、アメリカドル…、それなら最初からそう言えばいいのに…、紙には数字しか書いてないから…。
ん!?
アメリカドル!?
と言うことは…、1500ドル!? ん? ん? 1500ドルっていくらだ? 今…、レートが1ドル100円くらいか…、ということは…、 ん? 1万5千円? ん? いや、ちがう…、 え? え?
15万円!!!!!
ええええええーーーーーーーーー!!!!!!
この時のおれの狼狽ぶりっていったら、もう大変なものだった。そりゃそうだ。7500円だと思っていたのが20倍になってしまったのだから…。
『ラーム……、ええっと…、その…、』
おれはどうにか今の買い物をなかったことにできないだろうか、くらくらする頭で必死に考えた。だが、おれの買ったシルクやらなんやらは、ハサミを入れられスカーフサイズに切られたりしているのだから、その時点で返品はアウトだろう。しかも、ご丁寧に包装され、すでにせむし男が日本へ送るべく郵便局へ走っている…。どう考えても手遅れだ…。
『ラーム…、でも…、ボクはこれを全部インドルピーだと思っていたから…』
『コヘイジ…、いくらなんでもそんなはずないだろう…、シルクだぜ』
『でも…、ボクは今、そんな大金持ち合わせていないよ…』
それを聞いて、恰幅のいい店のオーナーが口を開く。
『トラベラーズチェックデOKネ!』
え?こんな店でトラベラーズチェックで買い物ができる?
『サインダケデOKネ』
こんな店で、トラベラーズチェックにサインするだけで買い物ができてしまうのでは、全くトラベラーズチェックの意味がない…、安全性もへったくれもない…、さすがインドだ…。
『でも、ラーム、今そんなにお金を使ってしまったら、ボクはこの先旅ができなくなるよ…』
『コヘイジ、何を言っているんだ、キミはこのインドで1か月過ごすのに、一体いくらかかると思ってるんだ、300ドルもあれば十分だよ、キミは昨晩、ボクに3000ドル以上持ってきていると言っていたじゃないか、ここで支払いをしても、十分ビザの期限いっぱい、好きなだけキミはインドを旅できるじゃないか』
……、それは確かにラームの言う通りなのだが、ここはインド、この先何があるかわからない。おれが一番心配していたのは、万一、Biman Bangladesh Airlinesの1年オープンチケット、これを失くしたり、何かあって使えなくなったりした場合の帰りの航空機の手配のことだった。最悪新たにチケットを購入しなくてはならなくなった場合の最低の金だけは残しておきたかったのだ。
Biman Bangladesh Airlinesのチケットを手配してくれたのは、旅行会社に勤めるおれの親友の彼女だった。彼女は言った。
『小平次さんなら心配ないと思うんですけど、ビーマンは安いんですけど、すごくルーズな航空会社で、帰ろうと思ったら家族が死んだくらいのこと言わないとなかなか予約がとれないかもしれません』
そんなことを聞かされていたものだから、いくらラームの言う通り、と言ってもおれは動揺をかくすことはできなかった。しかし、どう考えてももうここは支払うしかないようだった。おれは仕方なく鞄からトラベラーズチェックを取り出し、1枚切ってはサイン、1枚切ってはサインを繰り返し、1500ドル支払ったのだった。
インドへやって来てまだたったの1日、おれは金持ちのラームに付き合い、高額な買い物をしてしまった自分を責めた。
『よし、じゃあコヘイジ、早速Sホテルへ行こう』
意気消沈するおれは、ラームに励ましだか、慰めだかわからない言葉をいくつかかけられ、その店を後にした。
外でタクシーを拾う。どういうわけか店の好青年もついて来る。すぐにサダルストリートに着く。
昨夜の喧騒と混沌、すさまじいポン引きと物乞いの攻勢、明るい時間に来ると、さほどでもないような気がした。と言うより、15万使ってしまった衝撃の方があまりにも大きかったことでそう感じただけかもしれない。
『 インド博物館 』がようやくどこにあったのかがわかった。博物館を右手に見ながらサダルストリートを歩く。中ほどで右に折れるとSホテルはすぐに見つかった。こうして落ち着いて歩くことができたなら、実にわかりやすい場所にSホテルはあった。
決してきれいなホテルではないが、インドを安く旅しようと思えば、まあいい方のホテルだ。
フロント、と言っても机があるだけだが、そこに座っていた髭づらの男に尋ねる。
『昨日、日本人の男がこのホテルにチェックインしたと思うんだけど…』
髭づらの返事は…、
『昨日日本人は泊まっていない』
え!そんなはずは…、もう一度尋ねるが返事は同じだ。
K君!君もSホテルにたどり着けなかったのか!
K君、一体どこに!
自転車でインド半島最南端まで行こう、と言うのだから、近くにいれば目立つかもしれないが、人だらけのこの街で見つけるなんてことは不可能だろう。
『コヘイジ…、残念だったね…、でも、それならばコヘイジ、もうこのカルカッタに用はないだろう、キミは南のマドラスを目指し、次はプリーの街へ行くって言ってたね、それならば今晩の夜行列車に乗れば明日には美しい海のあるプリーだ』
え?え? 今晩の夜行? そんな急に言われても…、おれは一応このカルカッタに一週間くらいはいるつもりだったのだ。まだ自分の力で何もしていない…、それをもう、いきなりこの街を出ろと?
『コヘイジ、カルカッタなんか買い物が終わったら、汚いだけで何も面白いことなんかない街だ、それに比べてプリーはとてもきれいだ、さっさと次の街へ行った方がいい』
それを聞いて好青年が言う。
『だったらボクが今晩の列車のチケットを予約してきてあげるよ!』
『それはいい!よし、コヘイジ、出発までは時間がある、それまで映画でも見に行こう!』
ラームが好青年に、どこどこの映画館だ、と言うことを伝え、チケットを持って好青年が後から合流することとなった。もう何がなんだかわからない、昨晩この街に着き、凄まじい喧騒と混沌、ポン引きと物乞いたちに圧倒され、ラームに助けられ、紹介されたホテルへ、そして今日、朝から連れられちょっと市街を眺めて買い物、酒を飲んで歌って、15万払って、これから映画を見て、それから夜行列車に乗って明日の朝には南の街、プリーにいる、何一つ自分で決めたわけではないのに…、本当にもうわけがわからない…。
金持ちのラームに付き合い、15万も金を使ってしまったことに対する自己嫌悪にさいなまれ、眩暈すら感じながら、おれはラームとともに映画館へと向かった。
おれは後に、この買い物の衝撃的な真実を、衝撃的な形で知ることになるが、当然、この時のおれはまだそれを知らない。
******************************* つづく
※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです
令和元年 今の自分自身の感想
この時はですね、本当にショックでした。たった1日のできごとですが、本当に何が何だか、ジェットコースターに乗って振り回されているかのようでした。
まあ…、そういことなんですが、記事中でも述べている通り、この買い物には裏がありまして、それを知ることになるのは少し後のことになります。それを知った方法がまた衝撃的で、あと何回か後の記事で明かしたいと思います!
ありがとうございました