こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
本日はあの!
日本史における超有名人
「邪馬台(臺)国の卑弥呼」
について妄想を進めて参りたいと思います
さて
「卑弥呼」
初めて学校で歴史を習うとき、その最初に学ぶ人として小学生でも知っている我が国の歴史上の超有名人ですね
しかし!
表題でも述べた通り
「卑弥呼」
なんて、自分たち以外は「蛮族」だと居丈高に振舞っていた大陸の国の史書の記述通りに「私たち日本人が」、その古代の女王に対し「卑しい」なんて当て字をそのまんま使ってていいものでしょうか
少なくとも学校の教科書なんかではこんな汚らしい字面で我が国の古代の女王を表現してほしくないと思いますよ
もし、このころ我が国の先人たちが「漢字」を常用していたらこんな字を当てたでしょうか
前回の記事「漢字流入を阻止せよ」でも述べましたが、この時代、先人たちは間違いなく外交文書や交易などで漢字を使用していたはずです
としますと、古代人たちは自らの女王様にどのような「字」が適切てあるかをわかっていたのではないでしょうか
少なくとも「卑弥呼」は、公孫氏の滅亡に素早く反応し、魏に絶妙なタイミングで使節を送り「親魏倭王」の金印を受け、自らが「倭王」であることを国際的に認知させ、その後長きにわたり宿敵となる半島南進を目論む高句麗や、国内で対立していた狗奴国などの牽制に成功しています
そんな戦略的外交を展開していた「ヒミコ」であります
その時の外交文書などはへりくだって自らを表記したかもしれませんが、公孫氏や高句麗などとの外交文書においてはひょっとすればその「適切な漢字表記」で記していたかもしれません
さて、ではどのような「字」が我が国の古代女王様にふさわしいでしょうか
小平次は断然
「日御子」
であったと考えています
そして
「邪馬台(臺)国」
は
「大和国」
であろうと思っております
つまり
「大和国の日御子」
です
「邪馬台(臺)国の卑弥呼」だと
(こんな感じ)
「大和国の日御子」だと
(こんな感じ)
どうでしょう
まったくイメージが変わってくるではありませんか!
「邪馬台(臺)国の卑弥呼」
だと、どうにもなんだか悪魔崇拝の呪術師のような感じになってしまいますね
その政治も鹿の骨をばら撒いて吉凶を占ってやっていたような…
その字面からついつい魏志倭人伝の
「名曰卑彌呼事鬼道能惑衆」
「鬼道につかえ、よく衆をまどわす。」
といったような記述に目が行きがちになり、一層おどろおどろしい感じになってしまいます
さて、そんなわけで当ブログにおいては今後、あくまでも
「大和国の日御子」
としてその実像を妄想して参りたいと思います
「大和国の日御子」
としてアプローチしてみますと、日御子(ひのみこ)はその名の通り、太陽を中心とした万物に感謝するための「神事」を司る「神官」であり、大変清々しく美しいイメージへと変わってまいります
また「大和国の日御子」であるならば、魏志倭人伝の記述についても、注目すべき視点が変わってきます
「大和国の日御子」を妄想する上で、小平次が最も注目する魏志倭人伝の記述は
「鬼道能惑衆」
の前
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王」
「その国は、もともと男子をもって王としていた。七、八十年前倭国は乱れ、互いに攻撃し合い年を歴た。そこで共に一女子をたてて王とした…」
この「住七八十年」の解釈については、魏志倭人伝の成立から七、八十年前とか、日御子即位の直前の七、八十年間とか諸説あるのですが、当ブログではその辺あまり深く考えず、いずれにせよ日御子の即位直前まで国が乱れていた、と簡単に解釈していきます
「共立」
とありますので、それまで争い合っていた有力者たちが、何とか争いを止めるために共に話し合い、日御子を女王として擁立したということなのでしょう
さて、ここで素朴な疑問です
なぜ日御子を女王とすることで争いが治まったのでしょうか
ちょっと極端な例で考えてみます
例えば、日露戦争の真っただ中に、敵国のロシア皇帝ニコライ2世が退位し、皇女の一人であったアナスタシアが新たに女王となったとします
しかしながらその皇位の交代は、日本にとってなんら武器を置く理由にはならないわけです
では、日御子が女王となり王位の交代が行われたことによってそれまで争い合っていた者たちが武器を置いたのはなぜなのでしょうか
それは、争いの理由が王位の継承に他ならなかったからでしょう
ニコライ2世の退位とアナスタシアの即位は、日本には何の関係もないことですから日本が武器を置く理由にはなりません
しかし日御子の即位はそれが王位の継承争いであり、皆が関係者であったから武器を置いたのでありましょう
「共立」
ですから、武器を置くために「日御子」をたてた、とも考えられるわけです
いずれにせよ、当然のことながら「日御子」はそれまでの王の系統の血筋の人であり、争い合っていた人たちも皆多かれ少なかれその血筋の人、もしくはそれを推挙しようとしていた有力者、ということになるのではないでしょうか
それにしてもその血筋の中から日御子が選ばれた理由はなんでしょうか
「血筋そのものはそこそこであるが、争い合っていた有力者の誰とも利害がからまず当たり障りのない人物であったから」
逆に
「争い合っていた者たちの誰もが文句のつけようのない正当な血筋であったから」
どうなんでしょうか
小平次の思うところ「日御子」の治世は即位後、約60年と長期にわたっています
もし、単に血筋もそこそこ、政治的能力よりも「当たり障りのないこと」が選ばれた理由だとしたら、このように長期にわたり治世を担うということは考えにくい事のように思えます
「誰もが文句のつけようのない血筋」であり、なおかつ先の外交戦略などを見ても、政治的能力も長けていた
さらに、神秘的なオーラやカリスマ性を兼ね備えていたのではないでしょうか
日御子の治世が長期にわたっていることについて、当時の平均寿命からすると考えられない、という人もいるようですが、小平次はあり得ないというほどのことではないように思います
平均寿命が現代よりもはるかに短かったことは間違いないでしょうが、それこそ現代のような残留農薬、化学薬品をふんだんに使った加工食品なんてない時代です
自然の恵みをいただく、それこそすべてが今流行りのスローフードです
大きな病気にかからなければ、現代人よりも長く生きた人もそれなりにいた可能性は十分にあります
さて、神聖なオーラとカリスマ性を十分すぎるほどに兼ねそなえ、なおかつ誰も文句のつけようのない正当な血筋
唯一障害があったとすれば、それまで「男王」が治めていた、とありますように、「女王」の誕生には賛否があったかしれませんが、それでも皆が武器を置き、争いを止めるほどの正当な納得できる血筋の後継者…
「日御子」
をおいて他になかったのでしょう
神性とカリスマ性、そしてだれもが認める正当な血筋…
このような血筋は我が国日本にはたった一つしかありません
「皇統」
です
ええええええええーーーーーーーーっ!
「日御子」は皇統の中のどなたかであらせられたのでしょうか!
もしそうであれば、もはや「日御子」などと呼び捨てにするわけにはいきません
今後当ブログでは「日御子様」と呼ばせて頂きます
さて、そうなりますと当然、古事記や日本書紀に「日御子様」の事績が記されていなくてはなりません
そんなことがあるんでしょうか
実は日本書紀の「神功皇后紀」には、あくまでも断定することなく、さりげない形で魏志倭人伝の卑弥呼の記述が「引用」されているのです
少なくとも日本書紀編纂者たちは、海外にまで名をはせた女王を、その事績から考えても神功皇后の他なく、そう比定しようとした風に思われます
さて、日御子様は神功皇后であらせられたのか
その辺の妄想はまた次回に
御免!
小野派一刀流免許皆伝小平次です
本日はあの!
日本史における超有名人
「邪馬台(臺)国の卑弥呼」
について妄想を進めて参りたいと思います
さて
「卑弥呼」
初めて学校で歴史を習うとき、その最初に学ぶ人として小学生でも知っている我が国の歴史上の超有名人ですね
しかし!
表題でも述べた通り
「卑弥呼」
なんて、自分たち以外は「蛮族」だと居丈高に振舞っていた大陸の国の史書の記述通りに「私たち日本人が」、その古代の女王に対し「卑しい」なんて当て字をそのまんま使ってていいものでしょうか
少なくとも学校の教科書なんかではこんな汚らしい字面で我が国の古代の女王を表現してほしくないと思いますよ
もし、このころ我が国の先人たちが「漢字」を常用していたらこんな字を当てたでしょうか
前回の記事「漢字流入を阻止せよ」でも述べましたが、この時代、先人たちは間違いなく外交文書や交易などで漢字を使用していたはずです
としますと、古代人たちは自らの女王様にどのような「字」が適切てあるかをわかっていたのではないでしょうか
少なくとも「卑弥呼」は、公孫氏の滅亡に素早く反応し、魏に絶妙なタイミングで使節を送り「親魏倭王」の金印を受け、自らが「倭王」であることを国際的に認知させ、その後長きにわたり宿敵となる半島南進を目論む高句麗や、国内で対立していた狗奴国などの牽制に成功しています
そんな戦略的外交を展開していた「ヒミコ」であります
その時の外交文書などはへりくだって自らを表記したかもしれませんが、公孫氏や高句麗などとの外交文書においてはひょっとすればその「適切な漢字表記」で記していたかもしれません
さて、ではどのような「字」が我が国の古代女王様にふさわしいでしょうか
小平次は断然
「日御子」
であったと考えています
そして
「邪馬台(臺)国」
は
「大和国」
であろうと思っております
つまり
「大和国の日御子」
です
「邪馬台(臺)国の卑弥呼」だと
(こんな感じ)
「大和国の日御子」だと
(こんな感じ)
どうでしょう
まったくイメージが変わってくるではありませんか!
「邪馬台(臺)国の卑弥呼」
だと、どうにもなんだか悪魔崇拝の呪術師のような感じになってしまいますね
その政治も鹿の骨をばら撒いて吉凶を占ってやっていたような…
その字面からついつい魏志倭人伝の
「名曰卑彌呼事鬼道能惑衆」
「鬼道につかえ、よく衆をまどわす。」
といったような記述に目が行きがちになり、一層おどろおどろしい感じになってしまいます
さて、そんなわけで当ブログにおいては今後、あくまでも
「大和国の日御子」
としてその実像を妄想して参りたいと思います
「大和国の日御子」
としてアプローチしてみますと、日御子(ひのみこ)はその名の通り、太陽を中心とした万物に感謝するための「神事」を司る「神官」であり、大変清々しく美しいイメージへと変わってまいります
また「大和国の日御子」であるならば、魏志倭人伝の記述についても、注目すべき視点が変わってきます
「大和国の日御子」を妄想する上で、小平次が最も注目する魏志倭人伝の記述は
「鬼道能惑衆」
の前
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王」
「その国は、もともと男子をもって王としていた。七、八十年前倭国は乱れ、互いに攻撃し合い年を歴た。そこで共に一女子をたてて王とした…」
この「住七八十年」の解釈については、魏志倭人伝の成立から七、八十年前とか、日御子即位の直前の七、八十年間とか諸説あるのですが、当ブログではその辺あまり深く考えず、いずれにせよ日御子の即位直前まで国が乱れていた、と簡単に解釈していきます
「共立」
とありますので、それまで争い合っていた有力者たちが、何とか争いを止めるために共に話し合い、日御子を女王として擁立したということなのでしょう
さて、ここで素朴な疑問です
なぜ日御子を女王とすることで争いが治まったのでしょうか
ちょっと極端な例で考えてみます
例えば、日露戦争の真っただ中に、敵国のロシア皇帝ニコライ2世が退位し、皇女の一人であったアナスタシアが新たに女王となったとします
しかしながらその皇位の交代は、日本にとってなんら武器を置く理由にはならないわけです
では、日御子が女王となり王位の交代が行われたことによってそれまで争い合っていた者たちが武器を置いたのはなぜなのでしょうか
それは、争いの理由が王位の継承に他ならなかったからでしょう
ニコライ2世の退位とアナスタシアの即位は、日本には何の関係もないことですから日本が武器を置く理由にはなりません
しかし日御子の即位はそれが王位の継承争いであり、皆が関係者であったから武器を置いたのでありましょう
「共立」
ですから、武器を置くために「日御子」をたてた、とも考えられるわけです
いずれにせよ、当然のことながら「日御子」はそれまでの王の系統の血筋の人であり、争い合っていた人たちも皆多かれ少なかれその血筋の人、もしくはそれを推挙しようとしていた有力者、ということになるのではないでしょうか
それにしてもその血筋の中から日御子が選ばれた理由はなんでしょうか
「血筋そのものはそこそこであるが、争い合っていた有力者の誰とも利害がからまず当たり障りのない人物であったから」
逆に
「争い合っていた者たちの誰もが文句のつけようのない正当な血筋であったから」
どうなんでしょうか
小平次の思うところ「日御子」の治世は即位後、約60年と長期にわたっています
もし、単に血筋もそこそこ、政治的能力よりも「当たり障りのないこと」が選ばれた理由だとしたら、このように長期にわたり治世を担うということは考えにくい事のように思えます
「誰もが文句のつけようのない血筋」であり、なおかつ先の外交戦略などを見ても、政治的能力も長けていた
さらに、神秘的なオーラやカリスマ性を兼ね備えていたのではないでしょうか
日御子の治世が長期にわたっていることについて、当時の平均寿命からすると考えられない、という人もいるようですが、小平次はあり得ないというほどのことではないように思います
平均寿命が現代よりもはるかに短かったことは間違いないでしょうが、それこそ現代のような残留農薬、化学薬品をふんだんに使った加工食品なんてない時代です
自然の恵みをいただく、それこそすべてが今流行りのスローフードです
大きな病気にかからなければ、現代人よりも長く生きた人もそれなりにいた可能性は十分にあります
さて、神聖なオーラとカリスマ性を十分すぎるほどに兼ねそなえ、なおかつ誰も文句のつけようのない正当な血筋
唯一障害があったとすれば、それまで「男王」が治めていた、とありますように、「女王」の誕生には賛否があったかしれませんが、それでも皆が武器を置き、争いを止めるほどの正当な納得できる血筋の後継者…
「日御子」
をおいて他になかったのでしょう
神性とカリスマ性、そしてだれもが認める正当な血筋…
このような血筋は我が国日本にはたった一つしかありません
「皇統」
です
ええええええええーーーーーーーーっ!
「日御子」は皇統の中のどなたかであらせられたのでしょうか!
もしそうであれば、もはや「日御子」などと呼び捨てにするわけにはいきません
今後当ブログでは「日御子様」と呼ばせて頂きます
さて、そうなりますと当然、古事記や日本書紀に「日御子様」の事績が記されていなくてはなりません
そんなことがあるんでしょうか
実は日本書紀の「神功皇后紀」には、あくまでも断定することなく、さりげない形で魏志倭人伝の卑弥呼の記述が「引用」されているのです
少なくとも日本書紀編纂者たちは、海外にまで名をはせた女王を、その事績から考えても神功皇后の他なく、そう比定しようとした風に思われます
さて、日御子様は神功皇后であらせられたのか
その辺の妄想はまた次回に
御免!
私も以前より『卑弥呼』という文字については少し違和感を覚えておりましたが、『日御子様』ならしっくりしますね。
そして、『日御子様』と世の人々に崇められるようになったのは、後の世の人々によるものではないでしょうか?
厩戸皇子を聖徳太子と崇められましたように、神功皇后を日御子様と崇められた、と推察することができるように私は思います。
そのあたりはまた、次回の小平次さんのブログの続きに胸をワクワクさせますところですね。
これからは私も、『卑弥呼』ではなく
『日御子(様)』と呼ぶことにしまーすヽ(´▽`)/
ありがとうございました・・・。
おはようございます
コメントありがとうございます!
あくまでも妄想なのですが、ワクワクしていただければ大変うれしく幸せに思いますm(_ _)m
神功皇后の事績なんて、それこそ物語として映画でも作れば、「ロードオブリング」なんかに負けない超古代スペクタクル巨編映画になりうると思っていますが、だれもそんな映画を作ろうなんてしません(;_;)
そもそも小学生の歴史教科書にもそのお名前は出てこないのですから…
それでも、昨今、世の中が悪くなる一方のようで、反面日本人の自我に目覚め始めた人たちもまた増えているようにも思います
超古代スペクタクル巨編
「七海の女王 神功皇后 The Empress of Jingu」
なんて映画が公開される日も決して遠くないことだと信じております
ではでは!
気温は低いものの蒸し暑く、私などはすでに相当参っております… (;_;)
何卒体調に気を付けてお過ごしくださいませ