さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 2

2016-11-23 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる」

始めて見たいなと思います


前回プロローグで申し上げたとおり、あまり学術的にどうこうではなく、ただ一日本人として感じてみる、そんな感じでやっていきたいと思います


日本書紀 巻第九 神功皇后

氣長足姫尊 神功皇后

「氣長足姬尊稚日本根子彥大日々天皇之曾孫氣長宿禰王之女也母曰葛城高顙媛足仲彥天皇二年立爲皇后幼而聰明叡智貌容壯麗父王異焉」


訳文

「オキナガタラシヒメノミコト(神功皇后)は、ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト(開化天皇)の曾孫のオキナガスクネノオオキミの娘である 母をカツラキタカヌカヒメという タラシナカツヒコノスメラミコト(仲哀天皇)の即位2年のときに皇后となった 幼いころから聡明で叡智であらせられた その容貌も優れて美しく、父もいぶかしがられるほどであった」



簡単解説

氣長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)とはもちろん神功皇后のことです

これまでご紹介してきたとおり、皇太子であらせられた応神天皇のご即位が西暦390年、古事記崩年干支からおそらく夫の仲哀天皇の崩年が、西暦362年と推測されますので、その翌年からが神功皇后の執政開始と考えられます

「氣長氏(オキナガ氏」とは一応名門氏族と言われておりますが、これについてもあーでもこーでも諸説ありすぎるので、そうなのか、と読んでおきましょう

小平次が何より心惹かれるのは、やはり

「幼而聰明叡智貌容壯麗父王異焉」

のくだり

「幼いころから聡明で叡智であらせられた その容貌も優れて美しく、父もいぶかしがられるほどであった」

後に雄々しく男装し、海を越え新羅征討に向かわれる古代の超スーパースター、スーパーヒロインはやはり「聡明にして叡智」かつ「美しい」方でなくてはなりません

「父もいぶかしがられる」

というのは「宇治谷孟」先生の「全現代語訳・日本書紀」(講談社学術文庫)など、ほかのいくつかの訳書にも見られる表現ですが

「異焉」

とは、「他と異なる」という意味に対し「焉」によって疑問文のような意味合いになっているようです

ですので他の訳文を見ますと

「父も不思議に思うほど」とか「父もあやしむほど」

というものもあります

小平次としてはこの

「いぶかしむほどの美しさ」

という表現が好きですね

「いぶかしむ」 → 「不審に思う、あやしむ」

といった意味ですが、何も「自分の子ではないのでは?」的なことではなく、子供離れした落着き、賢さ、驚くほどの美しさ、それがあまりにも人とかけ離れたものであったため、うれしいような反面、父としていてもたってもいられないような不安、心配、のような感情がにじみ出ているように思えるのです

さて、その美しくも聡明、時に雄々しくもあった神功皇后

この後、どのように我が国の「君」として歩まれるのでしょうか

また次回、続きをご一緒に読んでみましょう


御免! 


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