プリー東側海岸
30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。
本日もプリーでのある日のできごと
***************************************************************
プリーという街は、西側にどちらかと言えば中流から富裕層の人たち、観光客向けのレストラン、土産屋、銀行や公共機関が集まり、東側はどちらかと言えば、貧しい人たち、漁村、バックパッカー向けの安宿、食堂などが集まっていた。
おれが貧乏旅行をしながらも、あえてその東側には行かなかったことは前回の日記で述べた。だが、この街に長くいよう、と思えば東側地区も開拓しておく必要がある、そう考えておれは東側地区にいよいよ繰り出したのであった。
プリーはとてものんびりとした街だ。サイクルリクシャの兄ちゃんなんかも、カルカッタほどガツガツとはしていない。おれの顔を見て挨拶をするようなリクシャ引きもちらほらいるようになった。
いい、実にこの街はいい。
20分ほどかけて、安宿や食堂、屋台の八百屋、などが並ぶ通りに着いた。一件の八百屋?のような掘立小屋の軒にばあさんが座っていた。そこへ現れた一頭の野良牛、その野良牛が、なんと軒に吊るしてあった緑色のほうれん草のような野菜をバクバクと食い始めてしまった。
『*%$##%&\¥+$▼!!!!』
悲鳴のような大声を上げてばあさんが立ち上がり、細く鞭状に切った竹を手に持ち、渾身の力を込めて牛をぶっ叩いたが、牛には効かない、無視して食い続け、ついには完食してしまった。
ばあさんには悪いが、何とものんきで笑える光景であった。
地球の歩き方に出ていた一件のホテルを見つけた。そのホテルは、オーナーの奥さんが日本人で、ちょっとコナーラクあたりまで小旅行に出る、といった時には、おにぎりを作ってくれる、なんてことが紹介されたいた。
日本人旅行者なら喜んでそこに宿泊したくなるような話だが、申し訳ないが、おれはそういうのがいやだったのだ。そんな和気藹々の雰囲気に飲まれたくなくて、あえてバックパッカーの集まる東側地区を避けてきた、とも言えた。
そこから少し行くと
『Mickey Mouse』
という名の割と大きなレストランがあった。屋根はヤシの葉であったが、造りは頑丈そうな建物だった。
中へ入ると、テーブル席がいくつかあり、床は地面がそのままであったが、それなりのレストランであった。
テーブルの一つに腰かける、すぐにメニューをもった少年が駆け寄って来る、メニューを開く、カレーの他、スパゲティや中華系、ここらでは珍しい品ぞろえだ。それでもおれはチキンカレーを注文した。ついでにコーラも頼んだ。
ほどなくしてカレーとコーラが運ばれてきた。運んできた少年が料理を置くと、そのままおれの向かいの席に座った。
『Japanee?』
『Yes』
『あなたの名前は?』
『コヘイジ、君は?』
『シメンチャロ―』
シメンチャロ―は日本が好きだと言った。そしてあれこれ日本のことを尋ねてきた。
『東京はどんな街?』
『東京は人や車がいっぱいだよ、でもカルカッタとはだいぶ違う、とても綺麗だ、高いビルもたくさんあるよ』
『地下鉄がいっぱい走ってるって本当?』
『本当だよ、まだまだたくさん作ってる、東京の土の中は地下鉄だらけだよ』
シメンチャロ―は12歳だと言った。12歳、小学生の年齢である。インドの教育事情がどうなっているのか、おれはまるで知らない、だが、日曜でもない普通の日の昼時、シメンチャローが学校ではなく、この『Mickey Mouse』で働いていることは紛れもない事実である。
見渡せば、他にも3人ほど、シメンチャロ―とそう変わらないであろう少年たちが忙しく働いている。
『コヘイジは今、仕事はどうしてるの?』
それはそうなのだ。大人なんだから仕事をしていなくてはならないのだ、だがインドを長期間旅をしよう、というのだから仕事なんかしているはずもない。だがおれはそれをいちいち説明するのが面倒であったので、それを聞かれると大概は
『I'm on a long vacation now.』
と答えていた。
『ボクは日本に行ってみたいな…』
12歳で学校にも行けず、働かなくてはならないこの少年が日本に行くことは相当に難しいことだろう…、 おれは黙ってうなずいていた。
『ねえ、一週間くらい日本を旅行したらいくらくらいかかる?』
夢を壊したくはないが、嘘を言うのも酷である。おれは頭の中でざっと計算をしてみる。
今回、おれが一番安く手に入れたバングラディシュ航空の1年オープンが12万円、今のようにネットで海外チケットなんかを買えれば安いのもあるだろうがそんなことはできっこない。宿泊は安宿もあるが、普通のビジネスホテルだって素泊まりで5千円はかかる、その他に食事、移動、………。
『どれだけ安く行こうと思っても、50,000ルピーはかかるかな…』
それを聞いたシメンチャロ―は、 ふうっ… とため息をついた。なにか、絶えず困っているようにも見えるハの字の眉が、いっそう物悲しげにハの字になった。
その後、おれはこの 『Mickey Mouse』 をたびたび訪れた。そのたびにいつもシメンチャロ―はおれのそばに駆け寄り、注文を他の子には取らせなかった。
そして、かなわぬ夢を語っては、眉をハの字して笑ってみせるのであった。
シメンチャロ― 本人
***************************** つづく
このシメンチャロ―の写真は私が撮影したものではありません、こののち日記に登場するある日本人が撮影したものですが、その日本人とは? 私のインド旅行、最大級のハイライトとして登場します
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。
30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。
本日もプリーでのある日のできごと
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プリーという街は、西側にどちらかと言えば中流から富裕層の人たち、観光客向けのレストラン、土産屋、銀行や公共機関が集まり、東側はどちらかと言えば、貧しい人たち、漁村、バックパッカー向けの安宿、食堂などが集まっていた。
おれが貧乏旅行をしながらも、あえてその東側には行かなかったことは前回の日記で述べた。だが、この街に長くいよう、と思えば東側地区も開拓しておく必要がある、そう考えておれは東側地区にいよいよ繰り出したのであった。
プリーはとてものんびりとした街だ。サイクルリクシャの兄ちゃんなんかも、カルカッタほどガツガツとはしていない。おれの顔を見て挨拶をするようなリクシャ引きもちらほらいるようになった。
いい、実にこの街はいい。
20分ほどかけて、安宿や食堂、屋台の八百屋、などが並ぶ通りに着いた。一件の八百屋?のような掘立小屋の軒にばあさんが座っていた。そこへ現れた一頭の野良牛、その野良牛が、なんと軒に吊るしてあった緑色のほうれん草のような野菜をバクバクと食い始めてしまった。
『*%$##%&\¥+$▼!!!!』
悲鳴のような大声を上げてばあさんが立ち上がり、細く鞭状に切った竹を手に持ち、渾身の力を込めて牛をぶっ叩いたが、牛には効かない、無視して食い続け、ついには完食してしまった。
ばあさんには悪いが、何とものんきで笑える光景であった。
地球の歩き方に出ていた一件のホテルを見つけた。そのホテルは、オーナーの奥さんが日本人で、ちょっとコナーラクあたりまで小旅行に出る、といった時には、おにぎりを作ってくれる、なんてことが紹介されたいた。
日本人旅行者なら喜んでそこに宿泊したくなるような話だが、申し訳ないが、おれはそういうのがいやだったのだ。そんな和気藹々の雰囲気に飲まれたくなくて、あえてバックパッカーの集まる東側地区を避けてきた、とも言えた。
そこから少し行くと
『Mickey Mouse』
という名の割と大きなレストランがあった。屋根はヤシの葉であったが、造りは頑丈そうな建物だった。
中へ入ると、テーブル席がいくつかあり、床は地面がそのままであったが、それなりのレストランであった。
テーブルの一つに腰かける、すぐにメニューをもった少年が駆け寄って来る、メニューを開く、カレーの他、スパゲティや中華系、ここらでは珍しい品ぞろえだ。それでもおれはチキンカレーを注文した。ついでにコーラも頼んだ。
ほどなくしてカレーとコーラが運ばれてきた。運んできた少年が料理を置くと、そのままおれの向かいの席に座った。
『Japanee?』
『Yes』
『あなたの名前は?』
『コヘイジ、君は?』
『シメンチャロ―』
シメンチャロ―は日本が好きだと言った。そしてあれこれ日本のことを尋ねてきた。
『東京はどんな街?』
『東京は人や車がいっぱいだよ、でもカルカッタとはだいぶ違う、とても綺麗だ、高いビルもたくさんあるよ』
『地下鉄がいっぱい走ってるって本当?』
『本当だよ、まだまだたくさん作ってる、東京の土の中は地下鉄だらけだよ』
シメンチャロ―は12歳だと言った。12歳、小学生の年齢である。インドの教育事情がどうなっているのか、おれはまるで知らない、だが、日曜でもない普通の日の昼時、シメンチャローが学校ではなく、この『Mickey Mouse』で働いていることは紛れもない事実である。
見渡せば、他にも3人ほど、シメンチャロ―とそう変わらないであろう少年たちが忙しく働いている。
『コヘイジは今、仕事はどうしてるの?』
それはそうなのだ。大人なんだから仕事をしていなくてはならないのだ、だがインドを長期間旅をしよう、というのだから仕事なんかしているはずもない。だがおれはそれをいちいち説明するのが面倒であったので、それを聞かれると大概は
『I'm on a long vacation now.』
と答えていた。
『ボクは日本に行ってみたいな…』
12歳で学校にも行けず、働かなくてはならないこの少年が日本に行くことは相当に難しいことだろう…、 おれは黙ってうなずいていた。
『ねえ、一週間くらい日本を旅行したらいくらくらいかかる?』
夢を壊したくはないが、嘘を言うのも酷である。おれは頭の中でざっと計算をしてみる。
今回、おれが一番安く手に入れたバングラディシュ航空の1年オープンが12万円、今のようにネットで海外チケットなんかを買えれば安いのもあるだろうがそんなことはできっこない。宿泊は安宿もあるが、普通のビジネスホテルだって素泊まりで5千円はかかる、その他に食事、移動、………。
『どれだけ安く行こうと思っても、50,000ルピーはかかるかな…』
それを聞いたシメンチャロ―は、 ふうっ… とため息をついた。なにか、絶えず困っているようにも見えるハの字の眉が、いっそう物悲しげにハの字になった。
その後、おれはこの 『Mickey Mouse』 をたびたび訪れた。そのたびにいつもシメンチャロ―はおれのそばに駆け寄り、注文を他の子には取らせなかった。
そして、かなわぬ夢を語っては、眉をハの字して笑ってみせるのであった。
シメンチャロ― 本人
***************************** つづく
このシメンチャロ―の写真は私が撮影したものではありません、こののち日記に登場するある日本人が撮影したものですが、その日本人とは? 私のインド旅行、最大級のハイライトとして登場します
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。
シメンチャロウって 日本人に近い顔ですね
そして 知的だ・・・
なんか 昭和時代の文屋さんみたいなWWWW
前世、日本人だったりして・・・
今後の交流が楽しみですな
コメントありがとうございます!
そうですね、顔立ちは確かに日本人に近かったように思います。
このシメンチャロ―はこののちの日記にもう1、2度登場すると思いますが、一つはとても切なくなるような場面になります
これからも宜しくお願いします
ありがとうございました
おっしゃる通り、日本のカレーとは全く別物ですね
大体どこで食べても、今流行りのカレースープに近い感じでしょうか
ただせっかくインドへ行っているのに、スパゲティもないなと(笑)
飽きると大体中華を食べていました
ありがとうございました
昨日、ご訪問していただいたので、私も訪問させていただいたのですが、14日から投稿されていないようなので、コメントでお礼を申し上げます。ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
コメントありがとうございます
こちらこそ、いつもお越しいただきありがとうございます。
そして時ににのみやさまの言葉に勇気を頂いております。
感謝です
ありがとうございました