三番目の妹のお姑さんのご葬儀に参列してきました。
10年間は寝たきりでした。
夏から体調も悪く一進一退を繰りかえされていました。
延命治療は拒否なされ、最期は安らかに逝かれたそうです。
享年95歳。
美しいお姿でした。
喪主の妹の言葉が心に伝わりました。
「まさか ひ孫の顔が見られるなんて・・・」
感慨深そうに赤子の顔をいつまでも見つめていた母。
しかも誕生日も自身と同じ日であり喜びは増すばかりだったのでしょう。
何とも言えぬ柔らかな笑みを浮かべていた様子は今でも記憶に鮮やかです。
どこへ行くにも颯爽と自転車をこいでいた活発な印象が強く
元気な姿ばかり目にしてきたように思います。
ここ10年ほどは床につく日々が続いていましたが、
家族の歩みを見守り続けてこれたこと、
感謝の他ありません。
ちぎり絵や人形。母の手による品々が残る我が家のそこかしこから、
ともに過ごした思い出があふれ胸が一杯になります。
日記を記し、新聞をめくる…もうそのしずかな横顔をながめるとこはできませんが、
よき面影はいつまでも心のなかで輝き続けることでしょう。
今はただ、向かう先での安らぎを一心に願いながら、旅立ちを見送ります。
合掌。

10年間は寝たきりでした。
夏から体調も悪く一進一退を繰りかえされていました。
延命治療は拒否なされ、最期は安らかに逝かれたそうです。
享年95歳。
美しいお姿でした。
喪主の妹の言葉が心に伝わりました。
「まさか ひ孫の顔が見られるなんて・・・」
感慨深そうに赤子の顔をいつまでも見つめていた母。
しかも誕生日も自身と同じ日であり喜びは増すばかりだったのでしょう。
何とも言えぬ柔らかな笑みを浮かべていた様子は今でも記憶に鮮やかです。
どこへ行くにも颯爽と自転車をこいでいた活発な印象が強く
元気な姿ばかり目にしてきたように思います。
ここ10年ほどは床につく日々が続いていましたが、
家族の歩みを見守り続けてこれたこと、
感謝の他ありません。
ちぎり絵や人形。母の手による品々が残る我が家のそこかしこから、
ともに過ごした思い出があふれ胸が一杯になります。
日記を記し、新聞をめくる…もうそのしずかな横顔をながめるとこはできませんが、
よき面影はいつまでも心のなかで輝き続けることでしょう。
今はただ、向かう先での安らぎを一心に願いながら、旅立ちを見送ります。
合掌。
