婆ちゃんねる

「まぁ、いっかぁ」
良いかげんな一日を綴った
のうてんきなうらら日誌です
 

国分寺、行ってみたいわぁ

2011年09月03日 08時07分02秒 | 日々くらし
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夕べ、とらとけんかして、

爺の缶ビール一本失敬してふて寝したのはいいんだけれど、

なにせ、まだ8時。

眠れるわけないわよね。

それで、ラジオを聞きながら、目をつぶっていたら

昔のことが思い出されたわ。


私が小学校の頃、父は国分寺に赴任していたの。

夏休みになると私達姉妹は夜汽車に乗って遊びに行ったものだわ。

熊本から上野まで、三人で行ったこともあったわね。

私が6年生で、5年生の妹と、三番目の妹は小学校へも入っていなかったかもしれないわね。

よく、子供だけで行かせたものだわ。

そういう時、家の人が、同じ車両の人に、

「よろしくお願いします」

ってお願いしていたわ。

いい時代だったのね。


ある年は、祖母が同行したり、

天草の叔父とも行ったわね。

記憶にあるのはそのくらい。



私って子供の頃からぼんやりした子供だったのよね。

他の三人の妹たちは何でも覚えているのに。

これからは、もっといろんなことを忘れていくんだろうなー。



国分寺と言うところは、大学もあって、

父の住むアパートには大学生もいたわね。

きっと父は若い人が好きだったのね。

お友達のように楽しそうに暮らしていたわ。


最初のアパートは三畳一間。

キッチンなどなくて、外に大きな流し台があって

夕方になるとおばちゃんたちが数人出てきて

楽しそうに夕げの支度が始まるの。

長屋って感じだったわね。


そこには、大学生のお兄さんと、

OLのお姉さんが隣同士に住んでいて、

子供の私にも二人が恋人同士なのがわかったわ。

後に「神田川」が流行ったとき、

あの頃の二人の生活そのものだった、と思ったものだわ。

その後、二人は父と母を立会人として結婚したの。


その次に行ったときは、父は国分寺駅よりの、

もっと広いアパートに引っ越していたわ。

私の記憶では、本田アパートって言ったわ。


線路沿いを歩いて、オリンピックと言うスーパーに行ったものだわ。

今でも、オリンピック、あるかしら?


椎名誠さんのデビュー作に

『さらば国分寺書店のオババ』があるでしょ?

もしかしたら、どこかで大学生の椎名さんに会っていたかもしれないわね。


そんなことを思い出していたら、

いらだつ気持ちも落ち着いて、

国分寺に行ってみたいナーと、思ったわね。

でも、今はもう、昔の面影なんて残っていなくて、

私はおのぼりさんね。

タイムスリップできたらいいわねー。


今朝は、台風12号の影響で、

ひと雲荒れのように、急に雨が降ったかと思うと、

また晴れています。

のうぜんかずら

レースフラワー


コスモス

アサガオも健在





 

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