一方、その頃になると、バレーの楽しみ方も多様化し、
7月上旬に開催されるサマーリーグ、
8月下旬から行われる国体予選、そして10月の国体。
これらの大会は、リーグ戦ではあまり出場機会に恵まれない若手選手の登竜門的な試合となり、
チームを応援する者にとって、楽しみな大会となっていきました。
庄司、香野はこの大会で鍛えられたと思います。
庄司はサマーでセッターにも挑戦しました。
ただ、場所が意外に遠かったりして、
サマーでは、金沢大会、黒部大会に車で駆けつけ、
国体予選は、東北各県を巡り(笑)、
秋田国体、新潟国体は近かったので本大会も応援できました。
秋田の時は、比内地鶏の飲み屋さんで他県の選手と一緒になったりして。
また、
優勝を機にチームを取り巻く環境も一変して、
マッチョさん、レオ、トモさん入団の縁なのか、関西を中心に全国にファンは広がり、
それはコウの入団でピークに達し、
ファンの集いでは、遠くは九州から来てくださる方もいらっしゃいました。
個人的には、ファンの集いは途中から試合形式になって、中国、ドイツ、イタリア、キューバなどのチームとの試合もあり、またパイオニアAチーム、Bチームとの対戦などもあり、それはそれでとても楽しみでした。
最近になって、また昔のような形式に戻ってしまって行き辛くなってしまいましたが。
レオ、マッチョさん、コウ、トモさんと、それぞれ選手専用の応援HPなどが出来ていたわけですが、
特に、レオの人気は凄まじく、ファンの集いの一挙手一投足が話題になることも。
この時は、さすがに、ファンが暴走する前に天童オルゴール記念館にでもレオ専用コーナー「レオの聖地」でも作るしかないんじゃないかと心配したほどでした(笑)
加えて、
地域への貢献も多かったわけですが、
花笠踊りへの踊りの参加もありました。
河野(当時日本一長身のセッター)が踊っていた記憶があるので、優勝する前後あたりから踊っていたと思います。
ボールを使った独特の振り付けもさることながら、その真剣さは余興を超えた迫力がありました(笑)
それから、サッカーとのコラボもあって、NDソフトスタジアムにも足を運んでもらったり、ラジオ放送に一緒に出たり。逆に、モンテの選手がサマーリーグに応援に来てたりもしました。あれは成功したのかどうだったのか(笑)
でも、あれを見て、運動公園をバレーとサッカーの聖地にしてはどうかと考えたこともありました。
さらに、リーグ戦会場に足を運ぶ方も増え、ピーク時には山形市スポセンで6,000人を超える試合も。
あの時は真面目に酸欠になるかと思いました。
Vリーグとしても(うまみがあったかわかりませんが)、地方としては、山形大会はドル箱試合だったと思います。
今シーズンも、昔ほどではないにしろ、しっかりと集客はできていたんですけどね。
県内の試合が多い年は、山形、天童、鶴岡、酒田のほか、米沢とか藤島でも試合があったと思います。
いちいち振り返ることは多すぎるわけですが(たぶん、この5倍くらいは語れると思います(笑))、
パイオニアという一つの山形の文化はここで終焉しました。
さてこれからバレーボールという文化は継続されるのか、されないのか、どういう方向に地域が舵を切るのか。
自分なりに静かに見守っていきたいと思います。
スポーツ好きなので、
新しくできるNBDLのチームもたぶん応援すると思います(笑)
でも、やっぱり自分の中にはバレー好きのDNAが埋もれていると思いますね。
fin
7月上旬に開催されるサマーリーグ、
8月下旬から行われる国体予選、そして10月の国体。
これらの大会は、リーグ戦ではあまり出場機会に恵まれない若手選手の登竜門的な試合となり、
チームを応援する者にとって、楽しみな大会となっていきました。
庄司、香野はこの大会で鍛えられたと思います。
庄司はサマーでセッターにも挑戦しました。
ただ、場所が意外に遠かったりして、
サマーでは、金沢大会、黒部大会に車で駆けつけ、
国体予選は、東北各県を巡り(笑)、
秋田国体、新潟国体は近かったので本大会も応援できました。
秋田の時は、比内地鶏の飲み屋さんで他県の選手と一緒になったりして。
また、
優勝を機にチームを取り巻く環境も一変して、
マッチョさん、レオ、トモさん入団の縁なのか、関西を中心に全国にファンは広がり、
それはコウの入団でピークに達し、
ファンの集いでは、遠くは九州から来てくださる方もいらっしゃいました。
個人的には、ファンの集いは途中から試合形式になって、中国、ドイツ、イタリア、キューバなどのチームとの試合もあり、またパイオニアAチーム、Bチームとの対戦などもあり、それはそれでとても楽しみでした。
最近になって、また昔のような形式に戻ってしまって行き辛くなってしまいましたが。
レオ、マッチョさん、コウ、トモさんと、それぞれ選手専用の応援HPなどが出来ていたわけですが、
特に、レオの人気は凄まじく、ファンの集いの一挙手一投足が話題になることも。
この時は、さすがに、ファンが暴走する前に天童オルゴール記念館にでもレオ専用コーナー「レオの聖地」でも作るしかないんじゃないかと心配したほどでした(笑)
加えて、
地域への貢献も多かったわけですが、
花笠踊りへの踊りの参加もありました。
河野(当時日本一長身のセッター)が踊っていた記憶があるので、優勝する前後あたりから踊っていたと思います。
ボールを使った独特の振り付けもさることながら、その真剣さは余興を超えた迫力がありました(笑)
それから、サッカーとのコラボもあって、NDソフトスタジアムにも足を運んでもらったり、ラジオ放送に一緒に出たり。逆に、モンテの選手がサマーリーグに応援に来てたりもしました。あれは成功したのかどうだったのか(笑)
でも、あれを見て、運動公園をバレーとサッカーの聖地にしてはどうかと考えたこともありました。
さらに、リーグ戦会場に足を運ぶ方も増え、ピーク時には山形市スポセンで6,000人を超える試合も。
あの時は真面目に酸欠になるかと思いました。
Vリーグとしても(うまみがあったかわかりませんが)、地方としては、山形大会はドル箱試合だったと思います。
今シーズンも、昔ほどではないにしろ、しっかりと集客はできていたんですけどね。
県内の試合が多い年は、山形、天童、鶴岡、酒田のほか、米沢とか藤島でも試合があったと思います。
いちいち振り返ることは多すぎるわけですが(たぶん、この5倍くらいは語れると思います(笑))、
パイオニアという一つの山形の文化はここで終焉しました。
さてこれからバレーボールという文化は継続されるのか、されないのか、どういう方向に地域が舵を切るのか。
自分なりに静かに見守っていきたいと思います。
スポーツ好きなので、
新しくできるNBDLのチームもたぶん応援すると思います(笑)
でも、やっぱり自分の中にはバレー好きのDNAが埋もれていると思いますね。
fin