FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

雅邦と玉山「残された名宝」 ― 竜虎と麗しき官女

2010-02-11 10:11:22 | 文学・絵画・芸術

橋本雅邦「竜虎図」
旭玉山「官女置物」

昨年秋に見に行った「皇室の名宝」展には、あとから思うと心にずっと残っている作品があります。

伊藤若冲の絵(『伊藤若冲― 極楽を描いたエロティシズムの絵師』『若冲の鳳凰 ― 旭日(あさひの中の極彩色』)をこの眼で見るのが目的でしたが、上村松園とか横山大観、狩野永徳、葛飾北斎に川合玉堂など錚々たる名が連ねていました。ほかにも、思わず足を止めてしまった作品があります。

ひとつは、橋本雅邦(はしもと がほう)「竜虎図」。先日のブログ(「竜虎と饅頭と美女と ― 深大寺の山門前で」)を書きながら思い出したのでした――。

なにやら荒れた空のかなた、怪しい形の雲の隙から、あるかなきかの影かたち、途切れてはつながる、消えては現れまた見えぬ、そして確かな重量感をそなえ、今にも天全体に唸りを轟かせんとし地へと襲いかかる時を狙う、「龍」。その妖気を感じ取り、敵を受け、地に立つ、勇猛なる「虎」。

この、天の龍と地の虎が睨み合う構図は、ほかの絵師が描いたものでもいくつかあります。しかし、これほどの迫力ある絵を見たのは初めてで、しばらく立ち止まってしまいました。

絵はたいして大きいものではありません。右上の端の端に途切れる雲から見え隠れしているのが龍です。よくよく注意して見ないと、薄く描かれているので見落としてしまいます。中央の激しく立ち昇る白い波頭が、いかにも龍の頭に見えて、そちらに気をとられそうです。これもそのように錯覚させて、逆に本当にいる龍を引き立たせるための計算しつくされた構図なのでしょう。虎は虎で、人の眼では見えない超存在的な龍を見極めようとして、鋭い両眼を開き、牙を剥き、太い脚で前のめりに立ちはだかって、臨戦体勢にいるのです。

前に書いたように、本来、龍も虎も、四神なので互いが闘う存在ではないのですが、こんなド迫力ある絵を見てしまうと、身震いしてしまいます。

もうひとつは、旭玉山(あさひ ぎょくざん)の「官女置物」。これはもう、その美しさに何と言っていいかわからず、人だかりの中、やはり長いこと立ち止まってしまいました。こちらも大きな作品ではないのですが、象牙の彫り物で、着物の紋様、襞や折り目、扇の羽模様、垂れた紐の結び目、髪のひと筋ひと筋、よくここまで丹念に彫ったものかと感嘆しました。象牙の白さが、さらに不思議な吸引力をもって女性の清楚さを訴えてくるのでした。

官女といっても、まだ10代なのか、それとも20代になったばかりか。はちきれそうな若さ、つい鏡の自分に見とれてしまう、そんな可憐であどけなさも残る、たおやかな姿が繊細に彫られています。彫刻は、正面のみから見ても面白くありません。右に扇、左に手鏡、手にする鏡面にはうっすら映る女性の顔がかすかに彫られています。360度、ゆっくりゆっくり、移り回りながら、その形が少しずつ変化していくのを見るのが楽しみです。

腰に届く艶のある流麗な髪に、思わず手を触れてしまいそう。生の歓びのようなもの、そしてこの女性にこれからどのような物語が待っているのだろうかと想像を掻き立てられそうな想い―。なかなか、立ち去りづらい作品でした。