FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

ライフ・オブ・パイ ~ トラとの共生あるいは恐怖と不安と希望

2013-03-10 23:41:38 | 芸能・映画・文化・スポーツ

 この映画は素直に観ればよい。映像はリアルだし、美しい(苛烈で獰猛な自然の美しさ)。3Dが効果的に自然に使われていて違和感がない。『アバター』の映像も画期的だったけれど、海中と海面と空と宇宙現象に3D効果を用いたのはさすがで、今回のアカデミー賞(監督賞ほか3部門受賞)受賞は納得がいきます。

 映画を観る前は、ラストシーンが衝撃的だとか、哲学的な結末で人生観が変わるとか、いくつかのコメントがあったが、そんなに難しく考える映画ではありません。トラと227日間漂流する物語の中で、青年がどうやって生き抜いていく知恵と勇気を育んでいくか、その点を素直に鑑賞すれば、子どもでも、多少退屈なところがあるかもしれませんが、面白く観れるでしょう。

 では、何が哲学的なのか? 観終わった後、ずっと考えていました。痩せて生きながらえてきたトラが、最後にたどり着いた島の密林の奥を見据えたまま動かず、やがて宿命を悟ったようにそこに踏み入っていく。227日間ともに生きてきた青年の方を振り向くこともせず、新たな生物の苛酷な世界に戻っていく。ここで、227日間「共生」した者同士としての友情なり愛情を、猛獣と人間とのつながりの中で期待したくなる場面ですが、動物の世界はそんなに甘くありません。未知の密林の中で孤独に生きていくには、ちっぽけな人間の愛情など無用なのです。

 とすると、何が哲学的か? それは、トラそのものの存在です。後で分かったのですが、これは人生そのものなのです。つまり、諦めないとか、希望といったところで、それは孤立の中では生まれません。苦難(漂流)の中で、人が生きる希望を持つのは、あるいは希望を持つしかないのは、しつこく言えば希望にすがりたくなるのは、恐怖と不安からなのです。いくら希望を持てと言われたところで、うちひしがれてれている人間にそうそう希望は持てるものではありません。

 ただでさえ遭難しているのに、その救命ボートの中に猛獣がいたら、ひたすら救助を待っていても先に猛獣に食われてしまうだけです。眼の前の生存の恐怖、そこから知恵や勇気や希望が湧いてきます。もし、トラが居なかったら、青年は200日以上も生き延びられたかどうかわかりません。緊迫した緊張感と恐怖感、その中でこそ生きる知恵と希望が湧くこと。トラとの共生というのは、その象徴的意味を持つような気がします。そう考えると、この映画は哲学的というより、宗教的といえるかもしれません。

 最後のオチは、救助された青年パイが日本人の保険会社社員(どうも日本人っぽくないアジア人の役者でしたが)から、漂流生活について保険調査で尋ねられた時です。青年パイがトラとの漂流生活を話し終えると、「そんな荒唐無稽なことを話されても保険金が下りないので、実際にあったことを話してください」と諭されます。しかたなく、パイは、象徴的な部分を残して本当っぽい作り話をします。じつは、トラとの漂流生活は、一瞬、青年が生死の境を漂流していた間に起きた幻想ではなかったかと思わせます。

 まさかなあ、2時間以上も観てきた世界の中身が、青年の幻想(妄想?)だったなんて・・・。もちろん、映画そのものは現実ではなく、幻影にすぎないのですが、確かに、その時間を鑑賞することに費やしたことは事実なのです。人生も、ついさっきまでのことは幻想に過ぎないのかもしれません。こうして、哲学的思索の迷路にはまっていくのです。