油屋「千と千尋の神隠し」
サツキとメイの家「となりのトトロ」
「ジブリの立体建造物展」(江戸東京たてもの園)より
■ 見えないものへのこだわり
8月の夜、小金井市にある江戸東京たてもの園の中、「ジブリの立体建造物展」。「となりのトトロ」のサツキやメイたちが住んでいた家の精密な模型があった。これは四方からも上方からも角度を変えて部屋の中、奥まで透き通して見える、実によくできたものである。
それから「千と千尋の神隠し」の油屋の模型。これも細部まで精巧にできている。このたてもの園の中には、この油屋のモデルとなった昔ながらの銭湯の実物大の建物が残っていて、スタジオ・ジブリと東京たてもの園は以前からゆかりがあるのだ。
さらに、これは建物の模型ではないが、「天空の城ラピュタ」のパネルがある。これは舞台となった飛行する「ラピュタ」の島全体を描いたものである。各場面が、この天空を飛行する島のどこで起きていたのか、その場所を拡大して描いている。
これらに言えることは、全体構造が細部まで完璧に出来上がっているということだ。全体が出来上がっているから細部が描ける。細部と全体がつながっているからこそ、そこに物語がリアリティをもって描ける。
「映画では、わずか1秒も映らない場面でも隅々まで細密に描く、―― 例えば、民家の畳など、そこに陽が当たっていればきちんとそれを描く。それが必要だから、やっぱりそこまで描かなくちゃならないんだ」 宮崎駿は、そう言っている。
そういえば、黒澤明監督も似たようなことをやっていたのを読んだことがある。時代劇で民家のタンスが映る場面がある。タンスの外見だけ、それも一瞬しか映画では映らない。なのに、実際にタンスの引き出しの中に住人が着る服を作らせて、すべての引出しに詰め込んだという。そうしないと、現実的な質感がなくて、黒澤監督は納得いかなったという。
■ 細部が全体をつくる
完璧な全体があって、精巧な細部があって、そして場面があって、人物が動く。最初から人物や景色の細部だけがあるわけではない。そこには、緻密に積み上げられた大きな建造物がある。どこから見ても現実感をもっていて、破綻することのない全体の建造物であり、作品世界がある。
映画の中のあの場面はここ、その場面はそっち、と現実的に指差すことができるリアリティをもっている。そして、作品の人物ひとりひとりには、詳細な履歴書ができている。主人公と家族、親せきはもちろん、近所のおじさん、おばさん、年寄り、友だちなど、どんな歴史をもった人物が、どのような関係にあり、どんな土地に何年住んでいるか、それらはみんな決まっている。わずか、数秒しか登場しない人物でもそうなのだ。
見えない所、映らない所は描かない、のではなく、見えない所こそきちんと描かなければならない。虚構の作品とは、そういうものなのだ。手を抜いたところにリアリティは生まれない。小説でも、芸術でも、どんな仕事でも、やはりそれは同じなのだろう。
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