韓国の著名女性作家が三島由紀夫の『憂国』を盗作したとしてソウルで騒動となった。この作家、『憂国』を読んだことがないけど、自分の書いた文章が酷似しているからしかたなく盗作を認めたということである。読んだこともないけど盗作(?)で文学賞を受賞したわけだ。創造者たる作家が盗作だなんて、人の人生を安易にまねるようなものである。
確かに芸術家は、自分に影響ある作家の作品に心酔するあまり、無意識にその表現の真髄を取り込み、自らの潜在意識に融和させながらそれが堆積されることで、自然とその作家と似たような表現をすることになる。本人は自覚がなくても、いつしか酷似してしまうのかもしれない。それで酷似と盗作の境目がわかりにくくなることもありうるだろう。しかし、酷似箇所が数カ所となると盗作は免れない。
『憂国』は、三島の初期の代表作である。同時期に発表された『花ざかりの森』といい、三島作品のタイトルはなぜかそそられる。タイトルだけで読者である僕は、自分なりに想像し、蠱惑されてしまうのだ。死の兆候は、この2作品にもすでに現れている気がする。といっても、それは三島が自決したから気付くことであって、あの事件がなければ気づかないだろう。
僕は高校生の時、国語の授業で事件を知らされた。教師は教室に入ってくるなり、「三島由紀夫が割腹自殺した」と言って、しばし教壇で絶句した。その時は、三島作品をほとんど読んでいなかったので何が起きたのかわからなかった。夕方のテレビニュースで、なぜ小説家が軍服(三島主宰「盾の会」の制服)を着て自衛隊に乗り込んで演説しているのかもわからなかった。まして、割腹なんて・・・。
学生となって、『憂国』や『花ざかりの森』を手始めに中期、後期へと作品を読み漁っていくと、だんだんわかってきた。毎年ノーベル文学賞候補となっていた三島は、自身の芸術と人生を完璧に仕上げるために、45歳で割腹、自決した。
三島は、美学をテーマに自分の手で自分の人生を完結した。しかし、僕ら凡人には到底まねができるものではない。盗作のように自分のなりたい人生を人からまねすることができればいいが、人生なんてそう簡単ではない。まあ、盗作して賞を貰うような人生より、駄作でもいいから自分の生を全うするしかない。
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